西浜英彦氏は1964年東京都豊島区生まれで、1984年福岡調理師専門学校を卒業しマハラジャで有名なNOVA21グループの日本レジャー開発で外食産業のいろはを学び、バブル崩壊前に退職している。

1993年3月に「梅の花」に入社し研修生からそのキャリアをスタートし工場勤務を経て福岡で店舗研修、その後東京から大阪と営業を担当するという27歳からのたたき上げである。

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西浜氏を形成する基盤、NOVA21と梅の花について。 

NOVA21グループは全国でナイトレジャー店舗を展開する目的で、1968年六本木に日本レジャー開発(株)と日本アミューズメント(株)が創立した。「最後の20セント」「深海魚」「泥棒貴族」など絨毯バーの展開が前身である。1981年ノヴァ・インターナショナル(株)が創立しグループは70社を超えた。

マハラジャは1980年代から1990年代にNOVA21グループが全国展開した高級ディスコチェーン店である。

1982年大阪ミナミに1号店をオープンして北は札幌から南は九州・沖縄まで全国で展開した。
1984年12月に7店目の店舗として東京の麻布十番が旗艦店となりまさに社会的現象となった。
西浜氏が入社した年である。これまでのディスコの概念を変えた大理石・真鍮・装飾品を多用した豪華絢爛なインテリア、コンサートホール並みの音響効果、特殊照明、ガラス張りのVIPルーム、本格的な料理、服装チェック(ドレスコード)を実施、お立ち台、「黒服(タキシード)」や階級別に色分けされた征服の従業員による徹底したサービスなど、高級ディスコの手法が展開された。
1988年六本木トゥーリアの照明落下事故でブームは終焉したが地方では1991年頃まで続きジュリアナ東京の登場で再度ブームとなるが西浜氏はバブル崩壊を前に退社した。

梅の花グループは梅野重俊が平成2年1月設立、店舗数270店舗売上高293億98百万円の規模である。1976年久留米市で立ち上げたカニ料理専門店「かにしげ」が創業店である。1986年、久留米市に「梅の花」1号店を開店。バブルに向かって経済がまっしぐら進んでいる時であった。
当時は給料が銀行振り込みとなり家庭の主婦が財布の実権を握り、カルチャースクールが盛んとなり女性をターゲットとにした店舗を作った。メニューは太らないもの、植物性タンパク質の豆腐、湯葉、生麩、野菜小さなポーションを多数使った盛り付け、路地裏立地を創意工夫した店舗演出。宣伝は新聞折り込みチラシ一回で後は口コミであった。
1号店は大繁盛で続く2号店もオフィスビルの最上階に出店し成功する。店舗で料理人を使わないセントラルキッチンシステムで多店舗展開している。<現在270店舗の展開である。>こんな創業者梅野重俊も「かにしげ」の後は失敗を繰り返した。
梅の花も8店目を出店したころバブルが弾けたこともあり業績が曇りだしたそれらを「人のせい、場所のせい」にしていたが、お寺に参り数珠まわしで出会った言葉「人に感謝、物に感謝」ああこれか、これが俺の足りなかったことだったんだ。で目覚めた梅野氏は繁盛店の視察を開始し「梅の花」の成功に繋げていった。この苦しかった頃を教訓に梅野氏は自己を形成し人の意見を真摯に聞くようになった。梅野重俊氏は西浜氏の大きな影響を与えていった。

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古市庵、古市久幸の背中を追って。 

古市庵は商社で営業をやっていた古市久幸が、「食の提供を通じ、生活文化の向上に役立つ企業体へ」という企業理念のもと、持ち帰り寿司「古市庵」を主力業態とし、全国の百貨店に店舗網を築き上げてきた。現在全国に(北海道、沖縄は展開無し)131店舗展開している。今年で創業41年、デパ地下で伝統の味を守りながらも、新しい挑戦を続けている。

12種類の具材を鮮やかにまとめた「うず潮巻」、季節ごとの具材を彩り鮮やかにまとめた「ちらし寿司」、大阪寿司の伝統である「押し寿司」、創業以来の原点であるいなり寿司など、おにぎりはそれぞれの地域の百貨店と取り組む「おにぎり畑晴れ晴れ」「おむすび紀行・越後屋甚兵衛」「俵大名・おむすび百選」で展開。カレーおにぎりなど変わり種もある。
年配の顧客に人気のおこわも販売している。「おこわ村案山子」「案山子の里」など、鹿児島県ではよく売れる。

「美味しい!の追求、西浜氏は主力の寿司を成り立たせるために食材にはこだわる。
米の表記は国産米であるが関東、東海、北陸、関西、中国、九州それぞれの地域で複数の銘柄を組み合わせて提供している。
素材には決して手など加えない。海苔は瀬戸内海産と有明産の板海苔を使い、酢は無添加でお酒から製造する純米酢にこだわる。社内ではこのこだわりを就任後一年半否定され続けてきたが、西浜氏の社長特権でこだわりの純米酢に切り替えていった。求めやすい価格でボリュームのある古市庵の商品群、この味と品質へのこだわりは浪速の食ビジネスを支えてきた先代ゆずりのこだわりを真摯に追いかける西浜氏の凄味である。

古市庵の「志」につながるもの。 

これから西浜氏が語られることは氏の経歴の中で出会った先達による教えと幾つかの外資系企業における事例から受けた影響が氏の中で咀嚼され熟成され行動としてほとばしるものである。これらの要素は全ての顧客にも従業員にてもその心を楽しみから喜びと幸せに変えていく大切な要素だと思う。

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<商品力、季節を楽しむこと。>

作り手も顧客も季節感を徹底的に表に出した商品設計に心を躍らせることになる。圧倒的なバラエティに富んだその季節感の表現は商品の識別効果を増幅させ「古市庵」というブランドの意味世界を創造し拡大していく。春夏秋冬の季節商品があり、季節を楽しんでもらうパッケージデザインが表現され、それぞれにPOPが作られる。グラフィックデザインとしては意図された絶妙のバタ臭さがあり、幅広い顧客に強い印象を与えている。
節句やお祝い、イベントに向けての商品も考えうる限り提案し続ける。
節分の太巻きは年間の中で単日で一番売れる。
母の日も梅の花との相乗効果で、メッセージカードと共に売れている。ハロウィンやイースターにも取り組む。さらにクリスマスに企画する寿司はびっくりするほど売れる。
POPも全企画に用意し、年間でかなりな数の記念日にも全て企画提案していく。半分以上は当たっていないが驚くべきバイタリティである。商品にかける包装紙と掛け紙も季節によって変わっていく。
おそらく掛け紙を変えているのは「古市庵」だけであろう。デザインは福岡のトシマカマボコの社長に依頼して考えてもらい、2か月ごとに切り替わる。
今までの古市庵の百貨店ならではの上品であるがインパクトに欠ける包装紙も残しているが、このパッケージデザイン手法を取り入れて他者商品との差別化で効果を上げている。
これらの商品戦略を担うのは経験豊かな男性二人と若い女性三人である。2014年から各種コンテストにも出品し数多の受賞を重ねている。「どこもかしこもやっているコトをやっていないならやろう。」おせち料理にも取り組み発売以来4年で120%の伸びを示している。従来梅の花で25000円前後の商品は古市庵の企画で16200円で提供される。

<販売力、販売を楽しむ。>

季節ごとのイベントではインセンティブを実施する。クリスマス、雛祭り、ズワイガニフェア、母の日、創業祭、秋の行楽フェアなど各々に10万円である。しかし上位の店は決まってくる、人である店長である。
販売コンテストも2013年から毎年開催している。販売促進策としてはインバウンドで海外からの顧客が増加しているので、プライスカードに3か国語、4か国語のものを用意している。手配りチラシもデパ地下立地なので集客はデパートに任せるしかないので、月末だけ手配りチラシを配布している。

<製造力、製造を楽しむ。>

メニューコンテストを実施し全従業員からメニューのアイデアを募っている。書類選考で100案にしぼり1次2次最終選考を経て10案の入賞者を決定していく。サルサ巻など変わり種メニューも生まれている。池袋西武ではパクチーいなり寿司が一日60個ほど売れている。多数の意見に耳を傾けながら製造現場が活性化していく。
製造コンテストも2013年から毎年開催している。「速さ」と[完成度]を競う。毎年全国大会を実施している。

<ファンづくり、お客様と楽しむ。>

公開試食会を2011年10月から大阪工場でスタートさせた。年間11回実施し、20人が参加している。今年の6月で60回を数えることとなる。2014年11月より東京でも開始している。参加するお客様は毎回はっきりと効果的な意見を述べてくれる。まさに草の根的に着実にファンを増やしている。また子供たちのために巻き寿司教室も開催している。


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<成長、成長を楽しむ。>

従業員がハッピーでお客様に前向きな気持ちでおもてなししていればお客様も喜んでくれる。「従業員満足とお客様満足の向上こそ利益をもたらす」というリッツ・カールトンの教えを基本とした古市庵の社内教育は4つのコースで成り立っている。

1.経営方針の浸透をねらいトップの考え方を知る。
2.ビジネスマナーの習得で心とコミュニケーションのスキルを学ぶ
3.チームで体を動かす、ゲーム性を入れてコミュニケーション力を強化する。
4.思考法と心の学びは年齢と役職で内容を変える、で進められている。

社員が自社の「志」と向き合う場として、「伝える」ことは重要な機会とされる。
社内コミュニケーションは毎日のラインアップ(朝礼)の実施と関東、関西、九州での年間11回の店長会議の実施、社内研修会は年間32回、そして製造コンテスト、販売コンテストを実施される。
社内報はうめ通信を毎月7000部配布する。

感謝に満たされて相互信頼が持続されていく事例としては、お客様に感謝2012年6月から自社スタンプカードを配布開始したこと。従業員にも感謝を忘れないでバースデーカード、クリスマスケーキ、すいかなどを配る。お客様からも掛け紙で折った折り紙や小物などが届く。心のこもったおもてなしや快適なサービスで提供される質の高い商品を提供するために一番大事なのは人であるという考え方が浸透していく。

古市庵の数字

M&Aの時はいつ倒産してもおかしくなかった、と西浜氏は振り返る。

古市庵の売上推移はV字回復を示している。梅の花グループが古市庵を子会社化した2011年9月売上は8724百万円、147店舗であった。2013年9月は8559百万円、131店舗と売上が減少していったがその後は上昇傾向である。実は34期2月の節分巻で異臭事件を起こしたのだ。原因は高野豆腐の乳酸発酵によるもので、中毒にいたるものではなく対応も早かったので事なきを得た。この失敗その後の古市庵にはプラスに働き、問題を起こした節分巻は翌年2014年31万本で売上げ1億8千万円、2015年は33万本で2億円、2016年は37万本で2億1千万円、2017年は38万本で2億2700万円と伸びている。

2016年9月売上は8975百万円134店舗、2017年は9100百万円を目標としている。

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古市庵の「志」とリッツ・カールトンの「クレド」のこと。

1983年リッツカールトンホテルが設立されたとき、ドイツ人社長、ホルスト・シュルツを中心に創立メンバーが集まり、「どういうホテルであればお客様が常に行きたいと思ってくださるか?それから他の方に進めたいと思ってくださるか」を話し合った。
その考え方をまとめたのがクレドである。クレド(英:creed)とは「信条」「志」という意味で、在るべき組織像や人間像を言語化したもの。
クレドと混同されるものとして「企業理念」(ミッション・ビジョン)がある。クレドはチームが進むべき道を示すコンパスで、理念を達成するために企業がとるべき行動を明確に表したものである。
クレドは、企業がどのような戦略を持っているのかを、社内外に明らかにし、他社との差別化を図るための手段となる。
これによって自社のバリューを明確に示すことができる。古市庵もこの戦略で行動していると強く感じる、それを西浜氏は理屈ではなく機をのがさない力強い行動で示している。
さらにはホームページ、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどのウェブ・コミュニケーションも大事にしている、広告宣伝費が潤沢に使えないころからの名残りであるが大きな力を発揮している。
キャラクターとしてうず潮太郎・おいなり三太郎・おにギリノスケなど宮城県出身の荒川リリーに依頼して制作している。取材にも貪欲に応じるしタイアップなども積極的である。
宮崎経済連や平戸市などの行政とのコラボレーション商品も開発し展開している。

むすびとして、人生の意味とは。

今月は人とは、人生の意味をかんがえさせられたお話でした。

『人間は本質的にとても社会的な動物だ、われわれ人間は誰しも根本的に十分よく似ていて、共通する何らかの人生の意味を持っています。我々は本質のところでとても社会的な動物です。
本当に驚くほど社会的。ユニークなのは、体が非常に大きな哺乳類でありながら群生するというところ。群生する動物の中で、体が大きいのは我々だけです。自覚していないけれども、群生するからこれだけの生産をすることができる。
したがって、多くの人が認識している人生の意味というのは、他の人たちとの関係ではないかと思います。まず子供や両親や配偶者など、自分が愛し心にかける者たちとの関係。そして、われわれは群生する動物であるために、「想像による共同体」というものを作り出すことができる。
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」(邦訳河出書房新社)がこのことを論じてていますが、この能力のおかげで、われわれはどこに属するのか、そして誰を心にかけて世話するのか、といった思考をほとんど無限に広げることができるのです。ですから大まかに言って、他の人たちとの関係と他の人たちに何をしてあげられるかという感覚が、誰にとっても人生の意味の一部になっていると思います。サイコパスでない限り、他の人たちとの関係性とそれに付随する思いこそが大事なのです。』<Martin Wolf 英フィナンシャル・タイムズ誌の経済論説主幹>

5月定例会!


私の好きなパンクロックがBGMに流れる巻寿司の実演動画で締めくくられたエキサイティングな講演でした。


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「有田川という未来 ARIDAGAWA2040 」ほしい未来はつくろう、がスタートしている。
旗振り役で推進するのは今回の定例会スピーカーの有井安仁さんだ。
1976年和歌山市生まれ。22歳で「訪問理容室ハンズ」という、高齢者や障碍者などへの自宅訪問理容サービスを立ち上げた。
そのときから「制度の外に在り見えない社会の仕組みそのもの」をよりよく変える必要性があると気づき、27歳のときNPOやソーシャルビジネスを支援するわかやまNPOセンターに理事として関わり事務局長となる(現在は退任)。
2010年より和歌山大学非常勤講師、客員准教授を努めながら、2012年より社会投資をデザインする会社株式会社PLUS  SOCIAL取締役、「公益財団法人わかやま地元力応援基金」代表理事を担い現在に至っている。
住民を主体とする地方自治(住民自治)の実現と、地域の潜在力を活かした多様なまちづくりのため、自ら考えて行動できる人材の育成を目指すなかで、住民自治によるまちづくりの事例として、ポートランド視察で学んだ視点やヒントで今回のテーマは論じられている。



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PORTLAND,OR オレゴン州ポートランドのこと。

オレゴンカントリーに起源を持つポートランド。
1800年代中頃のカリフォルニア・ゴールドラッシュの時、金を求めた人はカリフォルニアを目指し、一方でオレゴンカントリーを目指した人には320エーカー(東京ドーム28個分)の土地が与えられた。ポートランドへの移住者は昔も今も同じ方向を向いていて、お金よりも自然を愛し、DIYの精神を持ち、創造性に富んでいる。

ポートランドにおける住民自治は40年以上の歴史を持つ。
1970年代モータリゼーションのさなかポートランドは米国内で最も空気の汚い街であった、そのまちの景観におけるランドマークである、マウントフッドに行くための高速道路計画を連邦政府と州政府が市の中心部を貫くウィラメット川沿いに建設計画を進めようとした。
だが環境悪化を恐れる住民の反対運動が高まり計画を断念した。その後川沿いには公園が整備され、さらに道路整備を目的としていた国の補助金の一部を使い、「MAX」と呼ばれる路面電車を整備することで早くから環境に配慮したまちづくりを進めていった。「MAX」はバスなどと合わせて住民の足となっている。
1974年には「ネィバーフッド・アソシエーション(近隣自治組合)」という制度を創設した、これは市内を7つに区分して市民が身近な問題について解決策を議論・決定する場であり、バックアップする行政の組織とし「近隣参加局」を設置している。2005年からは住民が主体となって向こう20年間の方向性についての長期戦略計画の策定作業を始めた。
住民40人超で構成する委員会が中心となり、イベントやディスカッション、演劇、インタビュー、アンケートなどの手法を使い、約1万7千人の住民から意見を募ったうえで、報告書を策定した。さらに、2009年にはポートランド市都市計画及び持続可能性対策局を中心に、「ポートランド・プラン」の策定をスタートした。これは2035年までに市が採るべき政策をしめしている。ここでも地域の課題と解決策を行政、住民が議論し意見収集し住民自治の手法を徹底させた。

 

 

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KEEP POTLAND WEIRD

ヒッピーの文化が根強い街であり、THE NAKED BIKE RIDEという5000人ぐらいの人々が裸で自転車に乗って町を走り抜けるイベントが許されていたり、交通量の多い交差点に住民が絵を描き結果自動車のスピードが落ち安全性が向上するという市非公認のアクションなどヘンテコな行為を許容する風土が街には在る。絵のある交差点は周辺住民も道に面する私有地を開放したりして地域に開かれる。不具合は頼らず自分たちで直そう、CITY REPAIRというコミュニティデザインだ、ヘンテコなことにも理由がありWEIRDを受け入れるところに多様性が生まれる。そこにクリエイティブが生まれ問題を超えるためのイノベーションが起きる。

 

 

ARIDAGAWA 2040

有田川は、和歌山県にある人口2万7千人のまちである。
そして「有田みかん」の産地でもある。しかし有田川は、和歌山県内でも特に人口減少が深刻化している地域である。20歳から39歳の若年女性人口が著しく低下していて予測では2040年に8000人も人口が減少する。
働く世代1人が高齢者1人を支える人口構造となる。そこで行政からだけではなく民間から地方創生を実現しようと具体的な行動を起こしている。2015年7月に始まった「有田川という未来ARIDAGAWA2040」だ。
2040年を一区切りとしながらも、その先にある100年以上先を見据えた長期のプロジェクトだ。
その仕掛け人は、「社会的投資をデザインする」をコンセプトとする株式会社PLUS SOCIALの有井安仁氏である。主な活動メンバーは、みかん農家、教師、大工など有田川に拠点を持つ経営者、地元出身の大学生など多様であり、そこに役場の若手職員を巻き込み、官民一体となって取り組んでいる。自分たちで街を歩いて地域の課題や活用可能な施設や資源を見つけ、テーマを決めて、イベントを繰り返し開催し、当事者意識を持つ仲間を増やし、地域の課題解決につなげていく。
和歌山が和歌山で在り続けられる未来、暮らして楽しいまち、皆が住みたいまちを目指して。

 

 

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ARIDAGAWA meets PORTLAND

2012頃から有井氏はまちづくりについての知識を深めるため文献や資料を読み漁っていた。
その中でポートランドにも興味を持って行った。
たまたまポートランド市開発局職員の山崎満広氏が登壇する東京のイベントに参加して会話を交わす中で意気投合したことが縁となりこれがきっかけとなり、有田川でまちづくりを取り組むメンバーとポートランド市を訪れるようになり山崎氏の案内でポートランドのまちづくりを理解していった。
2015年山崎氏は日本での大きな取組としてはラストチャンスのつもりで、どこかのまちづくりに関わりたい、という思いを持って来日していた。
ここで有井氏の地方創生有田川と手を組むこととなる、そこに見たことが無い未来を一緒に見ようとする前向きの力が生まれた。「民間発信で官民一体となって地方創生に取り組む」という未来を一緒に創ることになる。
「有田川という未来」プロジェクトは“自分たちのことは自分たちでやっていこう”という意識のもとポートランドの行政が行った「住民を主人公にして官民一体を」という地方創生手法を、ポートランド市開発局の人たちの協力を仰ぎながら進めている。
2015年7月の「有田川という未来」フォーラム会は平日にもかかわらず約350人が参加した。
会場には山崎満広氏とエイミー・ネィギーさんが招待された。ここを起点として女性や若者や社会的弱者にも役割と居場所があるという認識で、それぞれの立場の皆が何を求めているのかを時間をかけて洗い出すポートランドスタイルのワークショップが開催されていった。
行政の委員会で決めて形だけのパブリックコメントを得るのではなく、パブリックコメントが先にあってそこから形にしていく、これがポートランドスタイルである。
自分たちで共通善を創りQOL(生活の質)を向上させ、暮らして楽しい有田川を実現していく。プロジェクトが変えようよしているのは、有田川の未来だけではなく、有田川という消滅可能性地域と呼ばれるまちで「民間発信で官民一体となって地方創生を行うという新しい取り組みを実現させることができれば国内の消滅可能性地域を救う一つの解決案をしめすことである。
有井氏や山崎氏はその社会的インパクトを見据え、有田川を起点に新しい事例を実現しょうとしている。

 

 

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PORTLAND STYLE その住民自治
根底にあるのは「住民自治」の考え方である。
行政学の整理に従うと、地方自治の本旨は自治体の自立的領域の拡充を図る「団体自治」と「自治体における自己統治」を目指す「住民自治」の二つがある。
具体的には前者は「国から自治体による事務事業執行に対する国の統制を緩和すること」とされ、後者は「地域住民が自治体の運営に日常的に参加し、住民の総意に基づいて自治体政策が形成、執行されるように仕組みを変革していくこと」とされている。
この定義に従うと、これまでの地方分権政策は、機関委任事務の廃止、国・地方の税財政改革を目指す「三位一体改革」に代表される、「団体自治」を充実させる制度改革だった。
しかし自治体に権限や財源が来ても、その自治体に主権者である市民の意思に基づいて運営していく仕組みがないとあまり意味が無い。市民の意思で行政をコントロールできるしくみを作ることが大切」である。「住民自治」を考える上では、住民が行政に関わっていることで「変化」を感じられる機会をつくる事が必要なのではないだろうか。
この点を強調するために、ポートランド市役所の議会の事を伝えておきたい。議会の議場に来た人はバックボーンを聞かれることなく、誰でも3分間発言できるルールとなっており、議場後方の時計には意見表明時間を費やした市民の思いを込めて、背面に以下の文章が刻まれている。
より良いポートランドの建設と「私達の時間」をより豊かに過ごすため、時間とビジョンを持ち、この議場に来てくれた市民を讃える。

4月最初の定例会にふさわしい、「未来」を考えさせられる講演でした。

底知れぬ食への願望を探究し続ける食の哲人である。その厚みのある体躯と柔和な表情の奥には豊富な食の知識が満々と湛えられ、時おり鋭い眼光を放つ。

門上武司氏は1921年に大阪外国語学校として設立され、2007年に大阪大学と統合された大阪外国語大学ロシア語学科に在籍した。

在学中より作詞家もず唱平氏が代表を務めるイベント企画会社「百十番舎企画」にてデパートや商業施設などの販売促進業務に従事し音楽・ファッションなどのイベントを手掛けそのアルバイトに明け暮れた結果、開設当初からの伝統あるロシア語学科を除籍となる。


当時知り合った人々である楠田恵理子、安井和美、松山猛、などとトークセッションのあと大阪の美味しい店で飲食を共にする中、食は人を繋ぎその繋がりを太くしていくことを学んでいく。


門上氏は幼少期から食べることへの探究心に目覚め、20歳代は中学時代の同級生で北新地の「いか里」店主と一緒にジャンルを問わずあまたの暖簾をくぐり続けた。


この時代に門上氏の原型が形成されていった。


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30歳を過ぎた頃から関西のフランス料理店を食べ歩き、それでは飽き足らず毎年のようにフランスへの旅をするようになった。


そのフィールドワークによる食の経験と知識をもとに39歳でプロモーション会社を辞めて独立した。


その後、食を中心にした舞台で輝きを放ち「あの男ただ者ではない!」という噂が関西中に広まった。現在フードコラムニストにとどまらず編集者、コラムニスト、プロデューサー、コーディネーターというマルチな職域はこのようなキャリア形成から生み出されたものであり、関西にとどまらず日本の食シーンにおける最重要人物の一人となっている。


「食が元気にならないと関西の経済は元気にならない。」39歳から現在に至るまで年間1000軒以上、1日3軒の飲食店を訪ねる毎日である。

門上氏の「料理の世界」とは!

料理の世界の面白さは多角的なこと!人の心に働きかけ、刺激するものである。
例えばシズル感のある写真やビジュアル、映像は人をひきつける。
色彩は寒色よりも暖色の方が感覚に働きかける。それは生命を維持する大事なものであるが、それ以上のものを内包している。
人は外食に何を求めるのか?味わい、時間、空間、美味しいものを食べたいはもちろんだが、その日どういう味わいを求めるのか、その時間をどういう目的で過ごすのか、どういう居心地の空間を好むのか、生きるための食ではなくその次のニーズをいかに提供し叶えるのか、食は日常生活の中で目的を提供し続ける。

世界一の料理を食べること!から考えてみたい。
まずは「世界のベストレストラン50」はイギリスの雑誌が主催する料理界で卓越した才能を持つ人々を集めたユニークなコミュニティであり、世界の美食文化を讃えるものである。そのリストには、世界6大陸23カ国のレストランが含まれ、世界で最も優れた美食体験を表す指標となっている。
このリストはダイナーズクラブ「世界のベストレストラン50」アカデミーの投票に基づいて作成される。アカデミーはレストラン業界で影響力を持つ人々のグローバルリーダーで構成され、世界27の地域に分かれている。約1000人、各地域に委員長を含む36人が所属し、それぞれ7票の投票権を持っていて、7票の内少なくとも3票は所属地域以外のレストランに投じなければならない。
2002年に設立されて以来、2003年より継続して発表されている。

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「Noma」

「世界のベストレストラン50」で1位を4回も獲得しているデンマークのレストランだ。
2015年1月から2月初旬までスタッフごと引っ越してきて東京のマンダリンオリエンタルホテルで期間限定レストランを開いた。
コペンハーゲンの本店では「ヨーグルトと蟻」の料理を出している。今回の「NomaTokyo」のメニューにもボタンエビに長野県産の蟻をまぶしたものが登場し話題となった。
価格は料理+ワイン・ペアリングで6万3千円、宿泊込だと151万4千円だが1か月2000席に対して、6万5千人の応募があった、うち70%は海外からの予約であった。
「Noma」を立ち上げたオーナーはレストランや高級デリの経営者でデンマーク飲食業界のカリスマ、クラウス・マイヤーそしてシェフはレネ・レゼビだ。
北欧はそもそもプロテスタントが多く美食とは遠い国であった。
「経済的には裕福な国でありながら、こんなひどいものを食べているアンバランスさに社会の目を向けさせなければならない」と考えたクラウス・マイヤーは事業の他にテレビ番組を持ち、国の機関にも働きかけた。
こうして彼は北欧のシューケースになるようなレストランー「Noma」プロジェクトに着手することとなった。
2004年に「新しい北欧料理のためのマニフェスト」を発表した。新しい北欧料理はその目的として「私達の地域を思い起こさせる、純粋さ、新鮮さ、道徳を表現すること。」「自給自足されてきたローカルな食材を高品質な地方産品に」あるいはサスティナブルであったり、「消費者、料理人、生産者、小売、研究者、政治家などが共同して北欧の利益を生み出す」など10か条が上げられる。「Noma」が用意できる年間2万席に100万人以上の予約がある。
「Noma」の成功はコペンハーゲンを訪れる人々の目的を変え結果、観光客は11%増加した。「Noma」はスカンジナビアの食材しか使わない!グローバリズムが進めば進むほどローカリズムは差異化を生む武器となる。

「NARISAWA」

かつて小田原市にあった港の前の小さなレストラン「La Npoule」、今だに語り継がれる伝説の店が現在の「NARISAWA」の起源である。
2011年シェフ成澤は「サスティナビリティとガストロノミーの融合」というテーマで自然保護に関わる料理を発表し始めた。
素材は全て日本のもの、素材を守る気持ちから生まれた世界初の「土のスープ」、「水のサラダ」、日本の森のエッセンス里山の風景が料理を通じて環境問題を訴え続ける。常に自然体であり、時の流れに身を任すように季節や風景を器の中に表現していく。
成澤由浩(1969年愛知県常滑市生まれ)ヨーロッパで8年間修行した後、個人の料理「InonovativeSATOYAMA Cuisine」というスタイルを南青山で確立した。

「いか里」

大阪北新地・本通の料亭「いか里」は1946年創業で三代目の稀代のくいしん坊の木村篤氏は門上氏の中学の同級生である、そんな彼が盛り付けた料理が会場で映された。食べ物の情報操作できる幅は大きい!750円の弁当も分解して再構成すると、6,000円もの料理に見えてしまう。私もしてやられました!分解と再構成による美的プレゼンテーションであり、価値の再構築である。

「富小路やま岸 」

京都懐石料理の料亭である。京都の伝統を守りながら、茶懐石のおもてなしの精神を基本に、四季の移り変わりを感じられる料理を提供。店主の山岸氏は「華道」「茶道」「書道」の通じそこで得た繊細な美しい感性を料理で表現する。季節の先取りと旬、名残りと走りが一皿で出会い表現される。寿司屋での修行経験を持つ店主は客の目の前でネタを料理する。最高のエンターティメントであるということである。これが楽しいからまた行きたい、人に喋りたい話のネタがることが大事、今の時代に山岸は質の高いネタを提供し続ける。まさに「出会いもの」という言葉を思い浮かべる。

白(tukumo)

奈良市三条町にある日本料理店である。「白」と書いて「つくも」と読む。「百」に一つ足らず、よって「つくも」である。店主の西原理人氏は「嵐山吉兆」で10年間修行を積んだ後、ニューヨークの「嘉日」精進料理で料理長、そののちロンドンの「UMU」でそれぞれ3年ほど働き、2015年より奥様の縁があり奈良で開店した。基調は日本料理で在るが時にはニューヨークやロンドンの色彩が増してアヴァンギャルドな献立となる月もある。鮮烈な黒文字の香り、先附の藤原宮跡の蓮池の水面、沢煮椀は黒い海苔が入った真っ黒な景色、肴は旬の魚の薄造りと金糸瓜など、これから奈良が面白い。

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チェンチ

「岡崎」は琵琶湖疏水が流れる京都市の文教区である。長年イルギオットーネ本店のシェフを努めた坂本健氏は2014年2月にこの地に開店した。特筆すべきは店舗の空間デザインである。古い町屋を大胆にリノーヴェーションした。そのインテリアは外観からは想像できない。店名の「Cenci」とはイタリアのフィレンツエの方言で「古びた物、ボロ布」という意味である。入口を入ると「ほの暗い玄関ホールに降りる古い石造の階段があり、いきなりフィレンツエの路地に迷い込んだ感覚になる。ホールの左手には南禅寺に在る「ねじりまんぼ」という明治時代の遂道を模したレンガ壁の奥に4席のカウンター席が垣間見える。レンガは店舗改装の時半地下に掘り下げたときに出た土を、信楽の土と混ぜてスタッフが焼成したという凝りようである。正面の扉を開けると、そこは一階席だが左手のはるか眼下に広々とした半地下のダイニングホールが見下ろせ、シェフと4人のスタッフが働くオープンキッチンがその向こうの一階にある。どの席からも空間の一番奥にある坪庭が眺められる。お客様に来てもらうためにこだわりの店づくりをする。あくまでも料理は京都にこだわり京都料理を提供するがしめはパスタである。「Cenci」究極のローカリズムが交錯する食の空間である。

洋食おがた

長崎のホテルヨーロッパで柿本勝シェフの元10年間修行を積み、1998年には未来のグランシェフ全国料理コンクールでグランプリに輝いた緒方シェフ、「客の要望にできるだけ応えられる、割烹のような洋食店にしたい。」という思いで京都市中京区柳馬場押小路上ルに「洋食おがた」をオープンした。洋食好きをどう刺激し擽るのか。ハイレベルの接客と素材と味と空間にこだわった店である。河北農園の白菜マリネ、熊本の馬刺し、菜の花とホタルイカ、まながつおの焼霜、尾崎牛のビフカツ、ミンチカツのハンバーガ、3匙カレーなど・・・

まとめとして、

京都のムーブメントを中心に今回はチェーン店ではなく個店の紹介である。
生き残る、元気な外食産業とは、人に進めたくなるトリガーが埋め込まれ、人に伝えたくなるキーワードが物語を作る。
人を惹きつけるチャレンジとイノベーションを常に試み、コンセプトと目的が明確である。
ここでのローカリズムは差異化を産み出す大きな武器となる。地域で産する生産物は調理加工によって小さな価値から大きな価値に変わり経済効果を押し上げる力を持つ。
材料を分解し再構築する、科学的な知識に基づきそこに私達は何をしたいのか、表現したいのかという哲学を持ち続けることが大切なのでは。
文化的な戦争は目に見えない形でもうすでに次の段階に入ろうとしている。
「和食」がユネスコの無形文化遺産として登録された中、京都府立大学和食文化学科の活動にも注目していきたい。

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むすびとして

18世紀のアダムスミスの時代までは「量」は問題となっていなかったが、「人口論」のマルサスの時代から「量」が問題となってきた。
そして、マルサスは量の市場が生まれる可能性があると予測した。私達は資本主義の欲望の対象として、量化されたモノを交換しあう社会を作ってしまった。
20世紀のビジネスモデルの前提は、19世紀半ばから急速に発達してきたマーケティングを基調にして、大量生産したプロダクトを店頭に並べ、匿名のお客様「顔の見えない人」がそれを買っていくということで推し進めてきた。
これは鉄道と電信が商圏を広げたことによって成立したモデルである。
大量生産した製品を広域で大量販売するモデルである。そうではなくて今、新しいモデルを探究する必要がある。今回の幾つかの事例は「顔の見える」ビジネスモデルでありその次を予測させる要素多く含んでいる。言わば「質」を問題としたモデルである。
フランスのポストモダン思想では、植物の根が生えるようなネットワークを「リゾーム」と呼ぶ。ネトワークというと、系統樹のように木の上の方に広がっていくという考えが主流だが、必ずしも上だけがネットワーク化されるわけではない。
地下茎の様に土壌でもネットワークは伸びる。それが「リゾーム」で、この「リゾーム」がニューロンネットワークのように伸びていき、その上にコミュニティやコモンズやソサエティができあがる。このネットワークのあちこちには「萃点」がある。
これは一種の複合ノードで、ハブは寄せ集めであるが、「萃点」はすべてそこから発して戻ってくる。様々な理が通過し、交差する点である。

<「萃点」とは和歌山県田辺市の偉人南方熊楠が唱える彼オリジナルの概念である。> 三月如月

本年度もご清聴ありがとうございました。

時代を超える魚の骨

前川洋一郎氏は1967年神戸大学経営学部を卒業し同年松下電器産業に入社、翌年創業50周年を迎える。
1997年本社経営企画室長、2000年eネット事業本部長、2001年取締役、2003年〜05年渉外担当役員、2005年顧問、同年高知工科大学大学院博士課程起業家コース終了という経歴を持つ。
著書に「なぜあの会社は100年も繁盛しているのか、老舗に学ぶ永続経営の極意20」がある。

2003年以降パナソニックの社史を探究的に研究した。その社史のエピソードの中でも熱海会議はインパクトがあった。


<高度経済成長を続けてきた日本経済は、1964年の東京オリンピックブームの中で深刻な時期を向かえていた。高度成長の行き過ぎで金融が引き締められ、景気は急速に後退した。年率30%もの成長を続けてきた電機業界も、主要商品の伸び率が鈍化し、需要が停滞し、設備過剰が表面化して深刻な影響を受けた。1964年11月期の半期売上は1950年以来、初めて減収減益となった。販売不振により販売会社、代理店も赤字経営に陥るところが激増した。このような中、1964年7月、全国販売会社、代理店と懇談会を熱海で開催した。>


「このような事態を招いた原因の半分は、日本経済と業界の混乱にあるが、我々が好況に慣れて安易感を持ったことにも原因がある。販売会社の依存を責める前に、まず我社自身が改めるべき点は改め、その上で販売会社にも求める点があれば率直に改善を求めて、危機を打開していくしか方法はない。売上の減少などはこの際、問題ではない」と反省の念を表明した。


松下会長の目には涙が光っていた。「老舗学」への構想の基礎をここに得たと推察する。


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松下電器産業の創業期は1894年〜1918年(明治27年〜大正7年)である。

1918年に松下電器器具製作所として創立された。創業から終戦まで(1918年〜1945年)

終戦から熱海会議まで(1945年〜1964年)、新販売制度から2000年まで(1965年〜2000年}、2000年以降(2000年以降)区分される。創業期から太平洋戦争や高度経済成長を経て現在に至るまでのパナソニックの社史は前川氏の研究の基礎となっている。

老舗とは、先祖代々の業を守り継ぐことで、継続して繁盛している店、又それによって得た顧客の信用と愛顧である。
「仕似せる」先祖からの家業を絶やさず守り続け、資産を形成していくことである。

前川氏による老舗の定義とは、
1.創業後100年以上。
2.現在も日々繁盛。
3.規模の大小は問わない。
4.業種業態(形体)は変わっても資本、経営主体が繋がっている。
5.公開、非公開は問わない。
6.個人、自営も対象とする。
7.親会社や先祖の活動を引きづっている場合は合計でカウントする。
都道府県別長寿企業出現率(明治末年迄創業)全国24243社によると、大都市圏では数においては上位を占めるが、老舗が育ちにくい事情もあり出現率においては京都、滋賀、三重、長野そして日本海側の都道府県に上位を譲っている。日本海側に老舗が多いのは北前船など廻船業を営む人々が多く住みその航路にあたるなど文化が色濃く残っているなどの要因も仮説として考えられる。

老舗の生成要因「形体(キョウタイ)」とは、ありさま、形態のことである。

 

前川氏が提示する老舗の形体はあたかも魚の姿に似ている。老舗の始まりである起業から創業期が尾鰭であり、そこから頭に至る中央の背骨の部分が時間軸として左右に伸びる経営の現場である。この中枢部分を形成するものは家系・家訓・秘伝・暖簾・歴代の経営トップである。それはブランドにたとえればブランドプロミスであろう。優れたブランドの裏には必ず顧客への確固たる誓約が隠されている。「形体」に変化を与える要因として、外的なマクロ要因と地域要因があり、内的なマネジメント要因とヒューマン要因が作用して老舗の栄枯盛衰を出現させていく。あたかも時代を泳ぐ魚がダイナミックな変化の波を泳ぎ渡り、その「形体」の様を変えていく様である。永続的繁栄の事例もあれば没落・消滅の事例も枚挙に暇がない。

 

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老舗の生成、存続、消滅の共通要因とは、その生成においては、マクロ要因として政治経済体制の変化を起業、創業のきっかけとする。
地域要因として資源の恩恵、地の利である交通インフラのメリット、地産地消の風土があげられる。
マネジメント要因では顧客大事、取引先大事、イノベーションの活用がある。
ヒューマン要因としては母県文化、修行経験、先祖の強み、暖簾分けなどが上げられる。
存続の局面では、地産地消、地域共生、社会貢献を継続強化し、業態転換やリストラなど社会の変化に適応させ、労使協調を重んじながら家系を繋ぐ努力を怠らないことである。
消滅の要因としてはマクロ的地域的生成要因である政治経済体制の変化や大きな自然災害、事業資源の枯渇が考えられ、マネジメント・ヒューマン要因として投資の失敗や不祥事、多角化の失敗、家系継続困難な状態が生じるなどが考えられる。

老舗と地域文化<歴史・経済・生活>との関連について
老舗が地域・都市に存在していくためには儲けるだけではなく、よって立つ都市(まち、むら)の地勢を基盤とした歴史を理解し、そこに居住する生活者と生活スタイルに沿いながらその活性化に努め、さらに都市(まち、むら)を統治する政治と効果的に連動した経済活動を継続していくことが必要である。
経済×歴史×生活の中にこそ老舗は生成し継続して繁栄していける。そのような老舗の出現率は朝日新聞が1964年より刊行している民力<国民の総合的な力・マーケティングにおいては、「生産・消費・文化」などの分野にわたり国民が持っている総合的な力>と幸福度、1970年頃より示される概念で<一人ひとりの幸福を所得などの経済要素に限ることなく、家族や社会との関わり合いなどの要素を含めて評価する考え方>の順位合計と強い相関関係が認められる。
日本の長寿企業誕生の要因、日本型経営の特徴が老舗を持続させ活かしていくことの大きな要因となっている。
その要因とは、
①島国、四季の自然環境と自主自立の精神
②江戸、明治、戦後と大きな戦争・政変を除いて経済の持続成長がなされた。
③老舗ならではのマネジメントシステム<丁稚番頭、複式大福帳、屋号、引き札、家訓>
④「家」制度による和の精神・家業継承の仕組み
⑤商売尊重と信用重視の精神風土。
さらに私見ではあるが日本国家に古くからねづいた律令制度に基づく「公(おおやけ)」という概念も少なからず働いているように思う。
倒産と廃業について、景気の好不況、業界の構造変化、自然災害、経営組織と戦略の不具合、不祥事や事故、政府の緊急対策、中小企業金融円滑化法<2009年12月に施行された時限立法であり、中小企業等から条件変更等の申し込みがあった場合、出来る限り応じるように金融機関の努力義務を定めている。
リーマンショック後の連鎖倒産を防止する狙いがあった。>があっても倒産、消滅は決してなくならない!老舗においても避けられない現実である。
倒産率、消滅率0.3%うち老舗は2%である。そのような中で老舗の浮沈と悲喜の事例は様々な示唆を与えてくれる。
倒産廃業・再生転身の事例として浮沈の激しいアルコール飲料業界。デジタル化、活字離れと制度疲労で淘汰される出版業界。お客様の選別が厳しい、サービス業界。転地で生き残っていく事例もあれば、ひっそりとあっさりと退場していく事例も多い。


守成経営、時には逆櫓も必要
最近の老舗の行きづまりの原因は
①人口構造の変化
②流通構造の変化、中央資本
③重要の本質的変化
④新興国とのコスト競争
⑤グローバル大手が覇権をにぎる
⑥技術のイノベーション
⑦IT化の進歩
⑧法規制の緩和と新規制
⑨天変地異
⑩事故、事件の被害
老舗の財務状態は、過去の経験から多めの原材料在庫でリスクへの対応。
先祖の財産を堅実活用で営業外収入。自己資本比率が高いので安心感から現状に胡坐をかいてしまう。
老舗の精神状態は、自分の代で潰したくない。家族、従業員の一致団結の助け。何か新しいものを考えださなくては。このような状態は焦りから適切な行動に繋がりかねない。
老舗の行きづまりの本質は、まず経営者に起業家精神が欠如し、企業に社会的責任のストレスがかかること。そして後継者が見つからない。新しい事業の展望が見えず事業意欲の喪失につながっていく。社会、縁者など周囲の見限り。ステークホルダーの崩壊、ネットワークの陳腐化、顧客満足の低下、社会、時代の文化とのかい離などが上げられる。

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持続とは守成!
貞観政要における「創業守成」によって老舗の持続は成ると前川氏は説く。
「貞観政要」は唐王朝二代目太宗李世民(在位626−649)、中国の名君であり重臣たちの諫言を聞き緊張感を持って国の平和と安定を持続させた。
死去50年後に史家によってまとめられた。創業か守成を問うとき、「創業は易し、守成は難し」の見解を示す。安きに居りて危うきを思う、率先垂範、わが身を正す、臣下の諫言に耳を傾ける、人材を育成し登用し活用する。
ここが名君と暗君を分かつものである。創業に王道なし、頂上を目指す道は幾つもある、勘を働かして選べばよい、教えられないし、学べないし、継承できないが、「守成」は学ぶことができる。先祖先輩の歴史を見れば何が悪いのか共通因子が抽出できる。創業から守成への転換が難しい。この持続の意志、戦略、体制づくり、いわゆる中興が重要となる。
守成には保守と革新の二つがある。そのフローは創業から守成へ、そこから保守・伝統と革新・開拓とに分かれ持続・繁盛へと繋がる。いわゆる不易流行ということになる。「不易流行」は松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の間に体得した概念である。
「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかもその本は一つなりということ。老子にも「無用の用」という概念がありますし、「荘子」にも同じ趣旨の話がある。これらの話から前川氏が説く老舗の「形体」は老舗の中枢部構造化し、魚の骨の部分とそれを包み時代の変化に適応しながら立ち現れる社会共通資本である。それが老舗のフォルムに繋がるのではと考えられる。前川氏は以上に加えて、ときには逆櫓も必要であると説く。
「逆櫓」とは[平家物語]1185年(寿永4年)2月、源義経が平家追討の命を受け摂津国・渡邊津に軍を進めたとき戦奉行の梶原景時とこの地の大きな松の下で行った軍議の評定のことである。景時は、「船のへさきにも櫓をつけて、どの方向へもたやすく回転できるようにしたい」と進言した。義経は「初めから逃げることを考えては縁起が悪い」と景時の意見を退けたといわれている。

 

結びとして
経営のコツここなりと気づいた価値は百万両:松下幸之助翁が昭和9年の元旦に全社員にお年玉として送った言葉である。翁は全社員が取り組んでいる仕事はどの様な仕事でも経営である。
しからばやはり一人一人の社員が「経営のコツは何か」をつかまなければならない。経営学は勉強すれば学ぶ事はできるが、生きた経営のコツは人に教えてもらったり、本を読んでも分かるものではない。実際に実践、体験、経験を積み重ねて体得する以外に方法はないと教えているのである。

 

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プロダクトデザイナーの頭の中 In the Head of Product Designer

はじめに秋田氏の経歴は
プロダクトデザイナーの秋田道夫氏は1953年生まれ、大阪府吹田市の出身である。
1977年愛知県立芸術大学を卒業、私の一年先輩である。
ちょうどドルショックやオイルショックの影響で、日本全体が落ち込んでいた時期だった。同世代で企業のインハウスデザイナーになった人は非常に少ないその年にトリオ株式会社(現・ケンウッド)に入社、カーオーディオのデザインを5年半手掛けた。
その後当時製品デザインとしては当時のイタリアンデザインに比べても遜色ないソニー株式会社で5年半プロダクトデザインを手掛けてきた。
ソニーは知らないことを教えてくれる人を大事にする。
「人のやらないことをやる、つねに一歩先んずる」という企業理念、「自由闊達にして愉快なる理想工場」、そのような社風が独立後の氏の座標における基準点を据えた。
1988年にソニーを辞めて独立したがその数年後バブルがはじけ、現在に至っている。
事務所は代々木上原に在り、大阪からは遠かった渋谷、原宿、新宿など都内のトレンド先端地にはとても便利でありデザイナーとしてアンテナをはるには最適である。
自分をアクセスの良いところに置くことはとても大事で、スピード感のあるアクセスは自分と他者や外部世界とのギャップを埋めると氏は語る。
生まれ育った吹田市にはお祭りもなく外部とのコミュニケーションも深まらなかった、そんな潜在的な渇望感も現在の氏が構える制作拠点を成り立たせている要因のひとつである。

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「価値観」の共有
プロダクトデザインはふつう言葉にしないがたとえて置き換えることは可能である。
専門用語を極力使わないで平易な言葉で、でも深く難しいことを伝えていく。そして説明できないデザインはしない。
一般的に製品の説明は見かけるが、使っている人のことを説明する文章は見かけない。
そこに使う人の時間のことも入れて語ることが大事である。作る人のことよりも買って使う人がどう思い、どう感じているのかを言葉にしていく。
「使う人は作る人ではないが、作る人は使う人でもある。」「こころをかたちに」していけば「価値観」を共有できる。そして「説得力」には「つけおき」が大事、前ごしらえ、下ごしらえである。
そしてデザイナーの思考は醗酵し熟成していくことが大事である。
デザインや製品は評価されやすいが、デザイナーの価値はなかなか評価されない。ここで必要なのは「哲学」である。皆に役立つように魂を込めて、言葉と形にすることである。
氏のこの姿勢の背景に在るエピソードの一つとして、<1990年次にくる建築家は?この問いに隈健吾と答える人がいた。なぜならば「デザインができることは当たり前であるが、文章が書けるから。」とあった>自分の思考や哲学を言霊にかえて皆に伝えることである。

「価格をデザインすること」もデザイナーの役割
「一番優れたデザインは価格だ」、製品の付加価値として謳われているブランドやデザイナーの名前に対しては自身あまりお金を払いたくなくて、優れた物、優れた技術でできている物に妥当な値段がつけられるべきであると思っている。
だから製品の値段を決めるときに自分が買うかどうかは重要な判断基準となっている。100円ショップにもよく出かけて一番いいと思うもの買うこともよい訓練となる。

そして秋田氏のプロダクト製品について、
機能を増やすには技術がいるが、機能を減らすには哲学がいる。
ロング・ライフデザインとして、一本用ワインセラー2003年発売はオーディオデザインのキャリアがかたちに現われている。
使う人の時間が製品に重なる、例えば子供の誕生の時ワインを収納し二十歳の誕生日にワインを開ける。まるで小さなタイムカプセルである。
2023年の夢!そしてコーヒーメーカーは使い勝手が素直にかたちに結晶した。
二つに共通するものは使う人と「価値観」を共有するための想像力、<ワインの好きな人は若いころのライフスタイルとは>、耳から眼、舌そして匂い。オーディオへセンシティブにインスパイア―していく。このデバイススタイルの製品は“いろいろな場所で売る”ことを実践したブランドで家電量販店にその売場が設けられた。

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デザイン・ニューディール政策
薄型のLED交通信号機は景気に左右されることなく売れ続けている。
12年前に信号電材より依頼されたもので、高さは70センチで信号面は30センチ角で意外と大きいその背面は丸くデザインされている。
これもオーディオデザインに由来し立ての溝は雨水が残らないように水切りの機能を備えている。時を経ても古く見えないデザインである。長く公共空間で使われるデザインである。
六本木ヒルズのセキュリティゲートは1998年にデザインされた。使う人への思いはセキュリティではなくウエルカムゲートである。2008年にデザインされた新しいゲートは幅と長さは同じであるがより抜けの良いデザインとなっている。

「やさしさは新しい形を生む」
人が接するところはやさしくないといけない。ICOCAのチャージ機は見切れることそして「忘れ物」を防ぐため上部が後方に傾斜している。操作面下のくぼみは車いすでの使用を考えたバリアフリーデザインであり、決して押しつけがましくなくデザインされている。

ハイアールの洗濯機はイオン伊丹店で初めて売られた、乾燥機付き25000円である。上面がフラットなので洗濯カゴの置き場になる。冷蔵庫のハンドルは、従来の縦では開閉にしか役に立たないが、横にするとタオルなどがかけられる。この商品には無粋なPOPや本体へのロゴ表示もつけていない。家電量販店の売場でのリテラシーが向上していった。

「23時間をデザインする」
IHのクッキングプレートは使っていない時に、いかに邪魔にならないかを考えたデザインである。
ソファーセットは立ち上がりやすく掃除のしやすいソファーである。スマートな所作で立ち上がれるがすわり心地は落ちる、くつろぎよりも打ち合わせ用のソファーである。インテリアに置かれた姿もスマートである。

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「360日をデザインする」
セラミックジャパンの土鍋は収納場所をとらずに一年中使える土鍋。
従来の土鍋は左右ハンドルが出っ張るが、この製品は窪ませた、底もフラットでIHに対応し熱伝導の効率がいいかたちである。今通販でよく売れている。

「最先端は人に近づく。」
ロームの医療機器は医療の現場を明るくやさしくする。薬局での試薬のセットのしやすさとかたちのやさしさを考えたデザインである。ふっくらとしてフワーとインテリジェンスを感じる。薬剤のパッケージもデザイン、「なにをするものなのか」を明確にすることによって間違いを無くす。

「しつけ」のあるデザイン
例えば落書きされないデザインで品格と崇高感が伝わること。
プロダクトに優しさと凛とした気配を持たせること、そのために手加減しないでおもいっきり振り切ってデザインすること。そこに押し付けがましくないんだけど、しつけのあるデザインがたち現れると思う。手加減しないでおもいきり振り切った時にボールはまっすぐ飛ぶ。(タイガー・ウッズ)
シンプルなフォークとナイフとスプーンは柄の部分が太くて重い食べ物が軽く感じる。
ボールペン、書くことの大切さ重さを知らせる。朱肉は契約の重要性を「重さ」で伝える。

「条件」がデザインをつくる
製品をつくるということはなんでも条件だらけである。
条件を感じさせないデザイン、そして敢えて売れないモノを作りなさい、自分が売れると思ったことをやりきることが大事で、条件に振り回されずに自分の座標をずらさずに自分が使いたいモノを作ろう。「プリマリオ」のテープカッター(4万円)、スマホホルダーは新潟県燕三条市のアルミ、ステンレス加工メーカーで製造。製造技術における作り手の価値観をユーザーの価値観へと共有させる。このブランドは卓上のF1カーを作るような気持ちが込められている。
ルーペは円筒形の本体底部を三脚にすることで光が入り、ピンセットなどを使った細かな作業が可能となった。

最後に結びの言葉を幾つか

さじを投げない。

日常は「些事」だらけです。事務所のゴミを出したり、玄関先をはいたり、領収書をフォルダーに入れたり、お茶を入れたりとデザインとはまったく関係の無い仕事も日常にはたくさんあります。
しかしこれらの事がちゃんと片付いていないと頭の中に「澱(おり)」のようなものが蓄積されてそれが肝心のデザインのアイディアを考えるときの支障になります。
逆に日常の「些事」がスムーズに出来ると清々しい気持ちになって机に向かえたりもします。デザインの基本の基本は、絵でもセンスでも無くてそういう面倒なささいな事を前向きに捉えて処理する事かと思います。

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大量に使われる製品は、とぎすまされたふつうでなければならない。 

デザインすることは職業ではなく、一つの姿勢である。(ラズロ・モホリーナギ)

 人はみな、デザイナーである。我々が日々なしていることはほとんどデザインだ。なぜならデザインは

すべての人間の活動の基本だから。「生きのびるためのデザイン」(ビクター・パパネック)

「売れないものを作りなさい。」(平櫛田中・岡倉天心)

使い手、買い手は揺れている。それに合わせて(合わせたつもり)自分が動くと、いつまでも揺れは止まらない。何がポイントなのかを明確にするにはまず「自分が止まって」相手を見る必要があると思います。かっこいいのは使い手、買い手の目線を動かす事です。止まらないで、常に前を見据えて「先の製品」を作り続けること。

以上デザインとマーケティングの未来に向けていい言葉をいただきました。


未来は研ぎ澄まされて上質な過去の積み重ねと、不動の座標軸に据えられた現在から見えてくるものである。


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※秋田道夫氏によるかわいいイラストです。

今年も12月師走です。本年最後の講師はネスレ日本株式会社 Eコマース本部 ダイレクト&デジタル推進事業部デジタル推進マーケティングユニット ユニットマネージャー 山野 和登氏です。

まず初めに、未来を予測し、未来がもたらす機会を捉えるために、自らを適応させ続けることで、成功を築いてきたネスレとは!

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ネスレは今年2016年に創業150年を迎え、その歴史のなかで赤字は一度のみ。
右肩上がりの成長を果たしてきてその株式時価総額は世界13位、世界189カ国・地域でビジネスを展開する欧州最大の企業である。
本部はスイスのヴェヴェーで年商は10兆円、社員数は335000人で工場は全世界85か国に436箇所を有する、まさに“食の帝国”である。
そのネスレ会長のピーター・ブラベック氏は、1997年からCEO、2008年からは会長を務めるネスレの皇帝である。世界経済フォーラム(ダボス会議)でも中心的役割を担いドイツのアンゲラ・メルケル首相や中国の温家宝元首相とも議論を交わす。俳優顔負けの整った顔立ちで世界の大御所たちをその魅力に引き込んでいく。

ブラベックは母国オーストリアで「成功」をテーマに講演を行っている。その中で彼はこう語っている。

「辞書を引くと、“成功”には二つの意味が書かれています。一つは権力、名声、富を得ること。もう一つは成果。私は後者の意味が近いと感じます。もし私が目指すものが富であれば、私はネスレに商品を納める個人事業主になっていた。ネスレは原材料費をけちったりしないので。名声が欲しかったら、俳優か音楽家になっていただろうし、権力が欲しかったら、政治の道に進むべきでした」

彼にとって成功とは、努力の結果生まれる「成果」だ。
事実、彼は成果のために名声を犠牲にした。
水資源問題の解決のため、水不足に陥る危険性を叫び、批判の矢面に立っている。「水は無料同然と思われているが、我々は考え方を改める必要がある。プールや洗車に使用する水は人の権利ではない。だから利用価格を上げるべきだ。」彼の発言は、ミネラルウォーターの事業を持つネスレへの利益誘導だと一部の政治家や非営利組織は猛反発した。だがこの物議を醸す発言は、G20などの国際会議で水枯渇問題の議論を始めるきっかけとなった。彼らしいエピソードである。前国連事務総長のコフィ・アナン氏はブラベック氏を評して「彼は、ネスレのトップということだけでなく、未来の企業の在り方を示してきた、国際企業のリーダーだ!」と評する。

ブラベックはネスレの経営においても成功を収めている。彼がCEOを務めた97年以降、ネスレの時価総額は実に4倍以上に拡大している。ネスレは社会との関わりの中で「共通価値の創造」(Creating Shared Value=CSV)を掲げている。優れた株主価値をもたらすと同時に、人々の栄養・健康・ウエルネスの向上支援する企業を築くため、ネスレが事業全体で執っているアプローチである。栄養に加えて水にも重点を置いている。世界の多くの地域で水不足が極めて深刻な問題となっており、水はまさに食糧安全保障の要であるからだ。さらに事業の長期的成功に関わる農村開発にも力を入れている。事業展開するそれぞれの国が抱える問題をコンプライアンスを順守しながら考えて、消費者と共に新しい価値を作り出していき透明性のある報告のもとにサステナブルなビジネスにつなげていくのである。


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ネスレ日本について!

日本ではコーヒーの「ネスカフェ」とチョコレート菓子の「キットカット」を知っていても、その製造元であるネスレに対する印象と認識は薄いかもしれない。
英語読みの「ネッスル」(94年にネスレに変更)親しみを覚える世代も多いだろう、事実私もそうである。ネスレは、コーヒーや菓子だけではなく、ミネラルウォーターや冷凍食品、ペットフードなど約2000のブランドを持ち、世界189か国でビジネスを展開する、“食の帝国”である。アップル、グーグル、フェィスブック・・・。
この20年シリコンバレーで誕生したIT企業が我々の生活を一変させ、その企業価値を高めていった。現在の時価総額は20年前のそれと比較すると、上位が軒並みIT企業に入れ替わっている。この間日本企業は凋落の一途をたどり、上位から日本企業の名が消えていく中、食品産業というオールドエコノミーを主戦場としながら、ネスレは順位を38位から13位まで押し上げた。今年2016年6月、黄金期を築いたブラベックが会長を退任すると発表。巨大企業の方向性を変える「成果」に手応えを得ていた。2001年に食品企業から「栄養・健康・ウエルネス」企業への転身を宣言した後の成果である。

ネスレ日本は「100年企業」である。1913年創業で最初はインスタントコーヒーから始まった、戦後ブラジルではコーヒー豆が余りその問題解決として日本でインスタントコーヒーとして販売したのだ。

離職率が非常に低く、社外へ転身して全容を語るような人物がほとんどいなかった。ネスレ日本は10年前からほとんど成長がとまっていた。先進国の中で最も早く縮小する経済の現実に直面していた日本。人口減少・高齢化・デフレの中で日本ネスレは新しいビジネスを開発し今後100年間の日本が直面する問題を解決していく使命がある。そのイノベーションを担うためのダイレクト&デジタル推進事業部のミッションはEC事業(ネスレ通販)の拡大、新規事業の立ち上げ、IoTやAIの活用、他企業とのコラボレーションなど社会に貢献できる新サービス、良いサービスを推進していくことである。

そのようなネスレ日本がここ数年目覚ましい成長を見せた。高岡浩三ネスレ日本株式会社代表取締役兼CEO<「キットカット受験生応援キャンペーン」を成功させるなど数々の成功を樹立。>率いる日本ネスレが展開する「ネスカフェアンバサダー」である。職場で安価にコーヒーを楽しめるモデルが大ヒットして、日本発のイノベーションとして脚光を浴びたのである。


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ネスカフェアンバサダーはネスカフェ ゴールドブレンド バリスタの展開から始まった。背景には家庭内コーヒー市場の縮小と1966年以降のシアトル系カフェの進出があり、単なるコーヒーメーカーではなく、日本のコーヒー市場とトレンドをリードし最も愛されるコーヒーブランドとして消費者に提供することにある。驚くほど簡単に、ご家庭でカフェのコーヒーが楽しめる驚きを。2009年4月に顧客限定販売、2010年3月に7800円でスーパー中心に販売、2011年3月家電量販店へ参入経済性とチャネル戦略を慎重に考え合わせながら、2015年8月1日に300万台を突破した。インスタントコーヒーのユーザーは全国に3000万世帯以上といわれる、もっとより多くの人に拡大できないか。転機となったのは2011年3月11日の東日本大震災である。仙台の仮設住宅にバリスタを設置した。そこでコーヒーをサーブしていると世代を問わず多くの人が集まってきて、ある種のコミュニティを形成していった。コーヒーには多くの人を活性化し幸せにする力がある!と確信したのである。

日本のコーヒー市場は年間約500億杯といわれる。日本には600万のオフィスがあり「職場」でのコーヒー需要とコミュニケーションにフォーカスしてコーヒーマシンを職場に無料で貸与を開始し、3年で(2016年3月)24万台を突破した。日本中のコミュニティにポテンシャルがある。お客様の喜ぶ顔が見たい、お客様と一緒に進めるという思いの中であらゆるタッチポイントからお客様の声を集めて次の商品とサービスに活かしていった。病院に大学やその教室、シニアコミュニティ、被災地、さらにこんなところも、消防署、神社、船舶、今まで取れなかった場所へ重要は拡大していった。コーヒー消費量の予測や社内説得ノウハウの提供、コーヒー以外のメニューなども提供していった。展開に当たって注力していることは、<Recruit> メディアやタイアップだけではなく出張デモサービスを重視し実際に気軽に試せて大人気となっている。<Engagement> ネスカフェアンバサダーサンクスパーティ、ベトナムコーヒー農園工場見学、料理教室、ネスカフェアンバサダーパークなど盛りだくさんである。夏場の需要低迷期にはアイスコーヒーサーバーも提供する。ビジネスが拡大している理由としてはアンバサダー→誰かの役に立ちたい→自己実現に繋がる日本人ならではの深層心理に働きかけているからでは。ネスレスイスでも一番のイノベーションとして表彰されているが日本以外の国では展開することが困難なようである。マーケットが成長過程の新興国では難しく、マーケットが成熟した日本やヨーロッパなど先進国で、こうした先進的なマーケティングが必要になってくるだろう。

まとめとして、今マーケティングはグローバル化が進む中で新たな段階に移ろうとしている。2014年にフィリップ・コトラー氏が提唱した「マーケティング4.0」という考え方はその中心概念に、顧客にとっての「自己実現」提唱する。<顧客の問題解決によって生まれた価値が、顧客の自己実現に繋がるようなマーケティングこそがこれからのマーケティングの主流となる。>と説く。コトラー氏がこのマーケティング4.0を考案する時にベースとした事例の一つが、ネスレ日本が2012年から展開している「ネスカフェアンバサダー」である。1.手作り感とチームワークに働きかけながら小さなテストとその検証を丁寧に繰り返し成果を大きくしていく。2.人のブランドであること。製品ではなく人によるサービスを主体に人のブランド「ネスカフェアンバサダー」を創り上げる。3・共通できるしくみとして、サービスは進化させ続け本当に望まれるものを実現していく。以上愛されるブランドとは新たなビジネスモデルとしてFace to Faceのつながりの中で「共有価値」とすることが重要である。

次への取り組みはとしては抹茶の消費拡大を目指して、ネスカフェドルチェグスト宇治抹茶は茶筅でたてたお茶の味をお手軽にコーヒーマシーンにて家庭で楽しめる。現実は抹茶の飲料率は1%に過ぎない、テスト販売は2015年北海道から2016年より全国へ展開する。ポリフェノールを多く含む抹茶は健康寿命に意識が高まる日本市場に「おいてポテンシャルは高い。京都府と日本ネスレが協定を結び進めている。もう一つの取り組みはスマホと繋がるバリスタである。IoTコラボとしてSONYと取り組んでいる。離れて暮らす大切な人をより自然に「見守れる」サービスである。一人暮らしの孤独の解消・安否確認などに活用される。


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結びとして

「コミュニティ」ではなく「コモナリティ=共有性」、「コミュニティ」というと、人が集まる場のことを想像するが、人の活動が根拠になって建築が作られるわけなので現在建築の課題は、人間も含む資源とどのように向き合うかにあると考える。資源に対するアクセシビリティの確保、それに対するインタラクションの最大化、それによって生まれる他者への責任。インタラクションを起こすことは、環境を変え、ときにダメージを与えるかもしれない。でも植物や生物の様に再生産される資源もあるし、人のスキルの様に増える資源もある。資源の共有およびそれと関わることを通して生まれるふるまいの共有を通して「コモナリティ=共有」が生まれ、コミュニティを組織化しその靭帯を強めることも可能です。今やるべきことは建築をつくることで地域の資源へのアクセスを良くしてそれをよりよく利用するスキルを高めることであると考える。<東京工業大学 大学院教授 塚本由晴>

この建築(百年以上の耐久性を持つ設計に限るが)をネスレの企業活動に置き換えれば腑に落ちる!

今年も暮れようとしていますがMCEI大阪はマーケティングの未来について議論を続けていきたいと考えています、皆様来年もよろしくお願いします。

今月は日経BPヒット総合研究所上席研究員 品田 英雄氏に3年連続登壇いただきました。テーマは「2016年日経トレンディ ヒット商品予測」ですが、折しもアメリカ大統領選挙の結果が出たタイミングなので、まずはエピソードから始めたい。

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木村太郎氏はなぜトランプ大統領を予測できたのか。
「直感したのは昨年12月。当時の報道を見て、彼の暴言の数々は、米国人が言いたくても声に出せないことだと感じたからです。
移民や経済格差の問題にしても多くの米国人が心の中で思っていた。
それを率直に表現したからこそ有権者に響いたんですよ。
マスコミが想定するトランプ支持者は低所得の白人で人種差別主義者で女性蔑視の人たち。トランプ支持を隠さないほうがおかしい。」だから調査会社の質問にも多くの人が態度を明らかにしませんでした。<隠れトランプ支持>の数は想像以上だと思いましたね。」

予測とは何かと考えさせられるエピソードである。
話したことがSNSにのこりすぐに拡散する、情報は検索すればすぐに出てくる時代にトレンドを予測するためにあなたならどうする。

品田氏は商品開発のポイントとして①情報収集力②企画力③実現力をあげる。
感性に基づく読み方がそれがアウトプットに繋がるのではと説く。
ヒット商品のキーワードとして①オリジナル脚本②リアリティ③リピーターを上げる。
例えば原作をドラマ・映画化することによりその原作との差異が虚構であるのにより現実感を帯びてリピーターを呼ぶ。これがヒットの構造である。
2016年ヒット商品を構成するモノはモノそのものから離れれば離れるほどそこに立ち現れるリアリティの強度が増幅するように感じる。
ランキングの半分以上がその様なモノが占めていて、漠然とした不安定感と不確実性を覚えてしまう。
商品がその機能、仕様(スペック)、用途、デザインで直球勝負できなくて、原型としてのオリジナリティが一度脚本としてひねりを加えられ反転した以外な解釈と価値を生み出していく。それは商品であっても、しくみであっても、空間や施設であってもそうである。

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現実は、常に、反現実を参照する。
現実は、意味づけられたコトやモノの秩序として立ち現れている。意味の秩序としての現実は、その中心に現実ならざるもの、つまり反現実をもっているということである。
反現実とは何か?見田宗介(社会学者)によれば「現実」という語は、三つの反対語を持つ。
「(現実)理想」「(現実)夢」「(現実)虚構」である。戦後という日本固有の時代という意識(ドイツ、イタリアではもうその時代意識は社会的に認められないが。)を、この反現実というモードを規準にして眺めたとき、「理想の時代1945年〜60年」「夢の時代1960年〜75年」「虚構の時代1970年〜90年」に区分する。
その5年後1995年阪神淡路大震災の年を転換点として、そしてその境界から、「現実から逃避」するのではなくむしろ「現実へと逃避」する特異な時代の様相を我々は予測していかなくてはならない。
未来を予測することは自分自身にも、他者の、そして次世代にとってもきわめて重要な意味を持つ。しかし、未来には様々な力が影響するので、人々は未来予測に興味が持てなくなり、刹那的にくらしている。

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例えば市場経済民主主義は、瞬間に価値を見出すように人々を仕向け、過去から生じない未来はないとしても、未来を現在の延長としかみなさない。多くの人々はコンピュータという予言する独裁者に身をゆだねる。
コンピュータは自分に有用で都合のよい分野でのみ予測する。まもなくわれわれはコンピュータの観察対象にすぎない存在となり、人工知能がそれ自体の利益のために、未来を知り、操り、決定するようになるだろう。そのような未来を信じたくない。
そうではなく、未来は誰もが知る事できる。
そして知る事が可能なのである。
出来事を結びつける因果関係に興味を持ち、原因を探究し、分刻みで毎日、未来の小さな歩みを理解し、不変の要素を見出し、新たなものを創造し、論理に従うこと。
将来は何一つ決まっていない。
世界はさらなる自由に向かっている。

 

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最後にジャック・アタリ氏の未来予測のメソードを紹介して、来年以降の備えとしてお役に立てていただきたい。
まず、予測範囲の選択から始める。次に、予測対象の未来分析を5つの段階に区分する。
第一段階の「懐古予測」は、予測対象の根源的なアイデンティティの描写だ。つまり予測対象に「おいておおむね変わらない要素を抽出する。
第二段階の「生命維持予測」は、予測対象の健康状態、生活様式、自己管理方法に関する見解のまとめだ。これには人口が含まれる。人口は未来のあらゆる分析にとって必要不可欠な変数だ。
第三段階の「環境予測」は、予測対象の運命に影響を及ぼすかもしれない関係者(人物、企業、国、環境)の未来分析だ。
第四段階の「愛着予測」は、「環境予測」で重要性を見出した関係者が予測対象に未来においてどのような態度を示すのかを明確にすることだ。
第五段階の「投影予測」は、予測対象の人生のなかで、分かっている、あるいは起きると思われる未来の出来事の分析だ。
その際、予測対象の人生の中で、分かっている、あるいは起きると思われる未来の出来事の分析だ。
その際、予測対象となる者に未来の計画があるのならそれも自己に投影させること。
私はどの段階においても、直感と省察そして傾向の持続と急変を織り交ぜ、掘り下げた質問事項をつくって取り組む。
こうして最も厳格な因果関係を探究し、過去の教訓を導き出す。トレンドが急変する分岐点を常に探す。そうした分岐点は無数にある。
このメソードはすぐに実行に移せる。現在が未来に追いつくとき、現実と予測を比較しながらこのメソードを上達させられる。

参考になればマーケティングの未来予測に使ってもらいたい。

池内伝説の始まり

ボクシングでは、試合続行を不可能と判断した自陣のセコンドが、リング内に白いタオルを投げいれることで試合放棄を表明する。
記録上ではTKOと表記され、ノックアウト負けとして扱われる。
本日は決して試合放棄しない不屈のボクサーにたとえたい池内計司に四国今治市からMCEI大阪のリングに登場いただきました。

 

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ORGANICしかやらない!なぜそのような路線となったのか、その沿革と歴史

日本のタオル業界の現状はその80%を中国やベトナムなどからの輸入で残りの20%が国内で生産される。そのうちの12%が今治で8%が泉州と東京の一社(ホットマン)となっている。
今治タオルは四国タオル工業組合100社のうち今治周辺でつくられているものを指す。
四国タオル工業組合はもともと500社程度存在したが輸入の拡大で100社ほどに減少したのである。

タオルの起源は170年前のイギリスである(1850年トルコ旅行をしていたイギリス人が手工芸品として作成されたタオルの原型を母国に持ち帰り工業化を進めた、調度産業革命が始まったころである)。
日本では明治元年(1869年)には輸入の実績があり、ショールなどの用途として高級品として扱われた。国内での生産は133年前の高槻市周辺での生産にさかのぼり、その後泉州に生産の中心が移って行った以後130年シロモノを中心に生産している。
四国今治で生産が始まったのは122年前である消費の中心から距離のハンディがあるのでイロモノを中心に生産してきた。綿織物の会社がタオルの生産へと変わっていったのである。

タオルの概念として江戸時代の日本は手拭(手拭の歴史は日本の織物の歴史でもある。)ヨーロッパではワッフルタオルが原型となる。
イギリスにおいて織物産業が麻からマンチェスターのウールその後インド綿を広大な土地を有するアメリカで奴隷を使って大規模に生産していく。
19世紀綿織物は世界中に広まっていくが、綿の栽培は広大な土地を使う極めて環境負荷の高い産業なのである。
池内タオルは大正から続き現在で三代目である。
1953年池内忠雄が池内タオル工業を創業しタオル生産を開始する。
1969年池内タオル株式会社を設立し1983年2月池内計司が社長に就任した。
1994年ジャガードのタオルハンカチを開発し販売を開始した。
1999年瀬戸内にしまなみ海道が開通した年の3月に業界初のISO14001を取得し、自社ブランド「IKT」を立ち上げた。
元々は問屋から注文を受けタオルハンカチのOEM生産を主力とするタオルメーカーだったが取引先の問屋が倒産し売掛金が焦げ付き経営が悪化し2003に民事再生法の適用を申請した。
その後はOEM路線から脱却し自社ブランドを核とした事業展開を行い、2007年には民事再生法の手続きを終了している。

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「IKT」は2002年にアメリカの織物品評会「ニューヨークホームテキスタイルショー2002年スプリング」で最優秀賞を受賞した。
当時首相であった小泉純一郎は工場を視察し2003年の施政方針演説(第156回国会における小泉内閣総理大臣施政方針演説)で、社名は出さなかったものの紹介し話題となった。

IKEUCHI ORGANICの考え方、その哲学と理念

自分たちの思いを直接お客様に伝えるために、生き残るために、作り手として作りたいものを作ろう!「IKT」は年間200アイテムの新製品を発表する。最大限の安全と最小限の環境負荷でテキスタイルを作る。
LIFE FABRIC:顧客一人一人の生活ために織り込まれたファブリックだけではなく、社会の組織をも織物(Fabric)と見立て、豊かな生活のファブリックを提案し、より自然にピュアになっていく未来を目指している。
オーガニックに精密さを、池内オーガニックが考える3つの安全は、常に「誠意をもって説明できること」を大切にしている。
この企業品質を原材料の調達から最終製品に至るまでの安全性と環境性のデータを全て公開することで実現している。

イケウチオーガニックが考える三つの安全性とは、

生物学的安全性
①3年以上化学農薬や肥料が使われていない土壌で有機栽培で育てられていること
②遺伝子組み換えでないこと
③コットン生産農家が、安全な労働環境下にあり、正当な生活賃金が支給されるフェアトレードであること。

化学的安全としては2001年11月エコテクス規格100のクラス1を業界初認定。
イケウチは全製品クラス1である。(クラス1は部屋に入れても安全、クラス3は身に着けても安全、クラス2は密着しても安全、クラス1は36か月未満の乳幼児が口に含んでも安全)

さらにグリーン電力の導入としては、2002年に使用する電力の100%を15年契約で風力発電に切り替えた。
2003年9月「風で織るタオル」販売開始、2008年3月には第12回「新エネルギー大賞委員長特別賞」を受賞、2013年6月には再生可能エネルギー使用を示す環境ラベル「Wind Made」に日本企業として初めて認証された。
まさにトータルオーガニックテキスタイルカンパニーとして認められたのだ。

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IKEUCHI ORGANIC の未来とは

2013年に池内タオル株式会社が60周年をむかえた翌年、2014年3月に「IKEUCHE ORGANIC株式会社」に社名を変更した。

この年STRAITS2をオーガニックに変えて製品の100%をオーガニックにすることができた。

2072年には乳幼児が食べても安全な製品に切り替えていくことを目標にしている。

食べても安全なタオル作りへと、2015年12月にはISO22000を業界初認定される。

この基準は食品工場としての基準である。

消費者の安全基準のハードルは時代と共にどんどん変化し、そのハードルは上がっていく。

まさに顧客がイケウチオーガニックの製品を作っていくのだ。

今後は全工程のトレーサビリティも目指していく。

池内計司氏は33年前(1983年)にパナソニックをやめて「池内タオル株式会社」を継ぐために今治に帰った。
1992年4月にYグループ協同組合(今治市内のタオルメーカー7社が設立した協同組合)の染色工場「インターワークス」が操業開始し四国タオル工業組合の製品基準となった。
今治タオルはこの7年間ステップアップしていないと池内氏はいう。
ライセンス事業だけ、青山の一店舗だけではだめだという。

そのようななかイケウチオーガニックは未来に進む。
基準はきびしいほどお客様に感動を与える!

イケウチオーガニックの商品は直営店で販売される。
2002年10月東京白金台に直営タオルショップ「TPO」開店、2014年3月南青山オーガニックタオル専門店、9月京都にそして2015年6月福岡に専門店を開店していく、店舗では使ってもらってから買っていただく「イケウチエクスペリエンス」である。

1999年自社ブランド創設から2003年熱烈なイケウチファンの応援をうけながら民事再生法の適用をくぐり、2073年の創業120周年には食べられるタオルをつくるという目標に向かう。
IKEUCHE ORGANICを知ることは、オーガニックの最新状況を知ることとイコールでありたい。
シンプルに、無駄を削ぎ落として全うにテキスタイルをつくることで、その精密さをもって未来を切り開いていく。

オーガニックは当たり前の世界である、新しい次の時代へ向けてのオーガニックを目指して、リアリティのあるオーガニックスタイルを生み出すための3つの行動指針がある。

 

1.最大限の安全と最小限の環境負荷

2.すべての人を感じ、考えながらつくる

3.エコロジーを考えた精密さである。

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自然の豊かさと安心をファブリック商品にしていくためにそしてものづくりの根底にあるのは、人々のエネルギーである。
私たちという作り手である「人」。
仲間たちという「人」。
多くの生活者としての「人」。
そして全ての商品、サービスに人格を感じることを大切にする。

天才角田陽一郎とは

本日お迎えしたゲストは、マーケティング研究会にはちょっと珍しい、テレビ業界からのゲストです。
バラエティ番組の企画制作をしながら新しいメディアビジネスをプロデュースする角田陽一郎さんです。
「さんまのスーパーからくりテレビ」「金スマ」「EXILE魂」など誰もがこれ聞いたら絶対「知ってる!知ってる!」というのを作ってしまった人です。

角田さんのプロフィールということで1970年千葉県生まれ。
東京大学文学部西洋史学科卒業、1994年TBSテレビ入社以来21年間バラエティ制作部に所属。映画監督もします。
ご本人も鼻につくという「東大卒」「天才プロデューサー」の肩書を持つ!
番組制作の現場では出演者にプレッシャーを掛けながらどこまで演出でどこまでが本当なのかギリギリのところで人気番組を作り続けてきた。
そのようなTV局での日常の中、たまってしまったタクシーの領収書の処理に苦労しているとき、局のTVに堀江モンが660億でTV局を買収しようとしている報道を目にした。
東大でほぼ同期であるが、自分は660円の領収書の処理、堀江は660億円で買収劇。あまりに大きな違いに角田は衝撃を受けた。この出来事がその後の角田を変えていった。

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バラエティプロデュースとは

バラエティ的思考で観点を変えてみて体験してみることが今必要!組み合わせの新しさや置き換えてみること、例えば一神教と多神教の違いをヤザワとAKB48との違いに置き換えてみる。
何か始めようと考えたら必ずタイトルを付けてみるとか。角田氏は「レッテルで人を判断したら、全然面白くないですよ」と考える。
自分でその人と話してみたり、自分でその場所に行ってみたりして、体験したうえで好きなら好き、嫌いなら嫌い、つまんないならつまんない、面白いなら面白いを判断するのがバラエティ的生き方だと語る。著書「成功の神はネガティブな狩人に降臨する」のテーマでもある。
また、バラエティプロデューサーになった理由を、例えば教育って「良い教育を受けるのが教育」みたいな世の中の通念みたいなのがあると思うんですけど、教育者として不適格な教師とかも体験したほうがいいし、ビジネス指南本とかの「こうやるとあなたは豊かになれますよ」とか、「こういうテクニックがあるとあなたは素晴らしい人生を送れますよ」みたいなことが書いてあるけど、「いやいや、ダメなことも体験しろよ」というか、「そうだとダメなんだな」とか「あいつムカつくな」っていうのを体験した上で、自分がどう行動するのかっていうほうが面白くないかなって思うんです。
自分がバラエティプロデューサーって名乗ってるのは番組だけじゃなくてそういう生き方としてバラエティに様々なことをやるということで、なんでもインプットしちゃっていいんじゃないかと思うからなんです。と語る!


放送の新しいつくり方―ゼロ次利用とは

クライアントがあまりわかってくれなかったら、そこまでのものになっちゃうということがある。
採用者に採用してもらうために企画書を書くのではなく何をビジネスモデルとして先にやるか!採用不採用ではなく、実現するかしないか。
自分はバラエティ番組のプロデューサーだとずっと思っていたんですけど、最近はバラエティプロデューサーと名乗っています。
バラエティって色々という意味ですね。最初はテレビというフレームの中で企画を考えていて、いつもそこに落とし込もうと思っていました。
でも、そうじゃなくって、面白いものがあって、それが結果的にテレビで放送されているという風に、原因と結果を逆にしちゃってもいいんじゃないかなって思ったんですね。
放送前にクライアントと一緒にビジネスモデルから作ろうという形です。そ
こは気持ちの問題ではあるんですが、ゼロから一緒にビジネスモデルをつくりましょうよ!とできたものが1次の放送で拡散されて、それが結果的に広告にもなるし、PRにもなるんだと。

視聴率に関係なく、大人が本当に見たくなる番組「オトナの!」はゼロ次利用になる。
「オトナの!」はTBSテレビで放送されていた関東ローカルのトークバラエティ。
2012年1月11日から2015年6月30日まで放送されていた。放送時間は、毎週水曜深夜1時46分からで、MCはいとうせいこう、ユースケサンタマリアだった。
普通はテレビに出ない人も出る。その人が話したくないことは話してもらわない、話したいことを話してもらう。
映画やアルバムや著作などその話だけ深く話してもらう、いいスパイラルの四年半であった。
目先の場当たり的な売り上げよりも本質的なことを多視点で見て、そしてあぶり出す。これからは学歴やタテマエはいらなくなる。
情報革命が進み、モノゴトはエモーショナルに向かう、要するにPR・広告ありきで作るのではなく、まず面白いものをつくりましょうと言っている。
だからゼロ次利用が新しいメディアとか、広告の在り方として根付くと、「ゼロのところにお金がいく=つくりてにお金がいく」ということになる。
結局作り手にお金がいくようにならないと、どんどんピュアに面白いものが減っていくという危惧が根底にある。
「その予算はどうなるの?」という話になると途端に難しくなる。
ゼロ次利用的な考え方でいくと、「何をビジネスモデルとして先にやるか?」がありきなのでスポンサーもいて、流通のシステムもゼロ次として作ったうえで、1次利用として放送する、プロトタイプに近い考え方である。
テレビの使い方ってそう考えるとまだまだ未来が在るという話になる。

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未来につながる「バラエティ的思考」とは

情報革命が進むなか、大量生産大量消費社会から少量共鳴社会が訪れつつあるという。
調査・研究など調べることはスマホ、PCで検索できそれが正しいか正しくないかではなく自らの経験と知識で取捨選択していくことが大事である。
従来の「広告」はたぶん大きく変わる、「告広と」逆転するかもしれない。
広く告げる必要はなく取捨選択された本当に大事なことや本質告げて広げていくことになる。
今あるマーケティングも感情やエモーショナルな要素を見えなくしていて広告を裏付けるマーケティングデータは売りやすく、買わなきゃ損と思わせるようなあたかもサギのようなことになっている。
これからは資本主義に代わり時間主義となりお金を儲けるという概念は古くなる。
人間の生き方も一変し、次に来る少量共鳴社会は価値観が大きく変わっていく。
一つはお金より時間が人生の価値となる。資本主義から時本主義へ!自分の時間を何をするために使ったか?そしてその時間がその人にとってどんな経験となったのかが大事。
二つ目はひとりひとりの心にどのくらい響いたか、人それぞれの影響力!
三つ目は年代別、年収別マーケティング等が無力化する。
そこで未来志向の考え方「バラエティ的思考」が多視点で判断し行動を最適化する。
宣伝広告・IR・経営戦略・製造開発・採用社員教育など分業分断されたものをまとめてゼロ次で最適化できないか。
バラエティ戦略会議を定期的に開催しバラエティプロデュースで最適化する。
言わばアイデアの産地直送でクライアントに届けることができるオモシロイのクオリティを上げるためのプロとタイプである。
タレント、文化人を招いてイベント→放送TV→拡散WEB、スマホ→出版(イベントを再編集してアプリ化)→スクールで定着→のサイクルの中心にバラエティ戦略会議がある。


歴史で導くバラエティ的未来とは

「最速で身につく世界史」は人間関係分析である。
現在は明治維新や古代ローマがキリスト教社会に変わった時に匹敵するようなすごい転換期にいるのに、実感を持って理解している人は少数である。
明治維新1867年の前後も同じ人々その歴史の転換点を日常生活の中で通過していった。
それでも今、産業革命よりもすごい情報革命を私達は通過しようとしている。
1986年アルビン・トフラーは「第三の波」を出版した。
第一の波は農業革命で自然×労働を富に変えて国家と宗教を生み出した。
第二の波は産業革命で本質な第一の波と同じだが資源×動力で巨大な富を算出し株式会社、資本主義、イデオロギーを出現させた。
第三の波は情報革命でモノそのものの価値よりもそれに内在する情報に価値がある。物質よりも情報に価値がある時代を迎えている。
情報革命が進む中で企業が直接生み出すものは力を無くしていく。
ソフトバンクの孫氏によると2045年に私たちは特異点を迎える。AIが人のIQを超える、AI(人工知能)のIQは10000を超える。
この30年私達はどういう道程を歩むのか、わざわざつくる、いちいちやる、わざわざいく、しか人生の価値を見いだせないのか。
やりたくないことをしなくていい以上じぶんのやりたいことのみをせざるをえない。
これが情報革命の一つの側面である。角田氏は講演の最後に映像を放映した今までの宇宙観を変える新鮮な映像である。
1867年までは天動説<主観>でその次に地動説<客観>が世界をおおい、そして新しい太陽系のモデルは動きの本質に基づく<スパイラルライフ>廻っていようが廻されていようがどうでもよくてその様に社会とか人生を考えるとバラエティ的思考に行き着く。
“The Spiral System is part of life.”

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天才角田を生み出した背景とは<結びに変えて>

80年代に広告の中心がテレビに移り、「会社」によって仕掛けられたテレビ中心の大型キャンペーンが時代を席巻する90年代に角田氏はTV局に入局した。

彼が生まれた70年代は過渡期で、広告が商品の品質訴求から、イメージ訴求へと変わるときであった。

広告の訴求ポイントは「モノ」から「コト」に移行していった。

1980年のコピーブームはそのような時代背景の中で生まれていった。

「コト」を語ることはヒトを語ることだし、想いを語ることだし、生活や人生を語ることだから、従来の「モノ」を語る時より広告は深度をもつことができた。

もうひとつ付け加えます!

時間を圧縮した近代:ル・コルビジュエの近代建築の5原則やサヴォア邸、ミースのファンズワース邸は時間のディメンションをゼロだと考えた時に可能になる自由度を提示している思っていました。

近代的な思考やその現われとしてのデザインは、時間を排除するなかで可能な価値のあり方をしめしたものです。

それは近代建築のみならず、その背後にある近代技術、資本主義経済、高度情報化、それらが生み出す社会構造も含めた、20世紀を通した大きなトレンドだったのではないかと思っています。

記憶を主要な媒体にせざるを得ない時間という存在は、最終的には個人に帰着するものですから、一般化しにくいし扱いにくい。

効率が悪いから排除されてきた。

ハイデガーが近代的思考に切り込もうとしたのもこの点であったはずです。・・・・・・当然のことながら資本主義経済の原理として、モノが貨幣価値に代わるとき、すなわち売買されるときに金銭的な価値が最大限度高まるように欲望が誘導される。

内藤 廣 1950年神奈川生まれ 1976年早稲田大学大学院修士課程修了

 

以上今月私自身ややエキサイトしていて懇親会後の集合写真をわすれてしまいました!

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都市のはじまり 

明るい暑い日であった。
定例会打ち合わせのため6月末、初めて丘陵地の連なる「関西文化学術研究都市」を訪れた。その時に受けた地形と景観から受けた印象を咀嚼しきれずおよそ1か月ぶりの訪問である。

創造的な学術・研究の振興を行うための新産業・新文化などの発信の拠点となることを目的として国土交通省が主体となって開発を推進してきた。
枚方丘陵、生駒山、八幡丘陵、田辺丘陵、大野山、平城丘陵にまたがって建設されている広域都市は愛称「けいはんな学研都市」と呼ばれている。
その中で今回訪問する精華・西木津地区は都市景観100選に選定されている。
総面積はおよそ15000haそのうち文化学術研究地区はおよそ3600haである。建設の契機は京都大学名誉教授奥田東が中心となった関西学術都市調査懇談会によるものが大きかった。
奥田は提案の理由をローマクラブ研究報告「成長の限界−ローマクラブ・人類の危機レポート」を読んだ深い衝撃にあった。
奥田の懇談会に参加していた、国立民族学博物館館長の梅棹忠夫はその学術研究都市構想が理工学系の研究に偏ることを危惧し、文化開発の重要性を指摘し「新京都国民文化都市構想」を提案した。その議論の流れの中で「学術研究都市」に「文化」が加わり、「文化学術研究都市」と呼ばれるようになった。

学研都市は1994年に「都市びらき」が行われた。
バブル景気時代に建設が始まったにもかかわらず、バブル崩壊後も建設が中止にならず進められてきたが、2002年には住友金属工業が、2004年にはバイエル薬品とキヤノン学研都市から撤退した。
企業が基礎研究から研究開発に重点をうつしているなど、企業の研究に対する姿勢の変化もその原因の一つであった。
2013年頃からは景気回復と災害リスクの低さが評価されて再び企業進出が進んでいる。
研究施設ではないが三菱東京UFJ銀行や日本郵政が事務センターの設置を決めている。
最初は職住一体の街を計画していたが実際は大阪市や京都市のベッドタウンの傾向がつよくなっている都市は2015年4月現在総人口24万6807人、文化学術研究地区の人口は9万1223人である。

精華・西木津地区へ 

学研都市には、12の文化学術研究地区が設定されているが、2地区は未着手である。


2015年4月現在立地施設は124施設、就業者数は7774人(内外国人は222人)である。


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その中の精華・西木津地区に今回訪問する国立国会図書館関西館とサントリーワールドリサーチセンターが隣接して建っている。


国立国会図書館は、年々増加する蔵書のため新たに大規模な収蔵施設を確保する必要が生じたことといった課題に対応するため学研都市の中核施設として、文化創造の中枢、学術研究推進の情報拠点として建設された。


かつて雑木林に覆われていた原風景である丘陵地をイメージさせる屋根の緑化や中庭の雑木林は私が初めて学研都市を訪れたときに記憶の奥底にある襞をくすぐられたソレである。

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来館者は模様入りガラスのダブルスキン・カーテンウォールとルーブル美術館の床と同じ大理石の床で構成されたエントランスから地下一階の閲覧室へ誘導される。
閲覧室はサッカーグランドとほぼ同じ大きさを持つ大空間である。
中庭、トップライトを介して風や光の変化を感じさせる空間はあたかも外部空間のようなオープンスペースを創りだし創造的研究活動を促す空間を提供している。

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書庫は機能性、フレキシビリティを考慮し、単純な方形の書庫とし周辺環境への影響とその保全を考慮して地下に配置され理想的図書保存の環境を実現している。

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地下2階から地下4階まで2400㎡の書庫に役600万冊の収蔵が可能である。
また将来の書庫拡張にも対応した配置計画となっている。

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2002年7月に開館した関西館の設計者はヴェネツィア建築大学修復過程終了の大阪出身陶器二三雄である。
施設のご案内は文献提供課の依田紀久氏にお願いした。
テーマは「マーケッターへの図書館活用へのお誘い」まずは自分だけの図書館ポートフォリオを作る。
ネット時代だからこそネットには無い情報による差別化を、SNS時代だからこそ「フィルターバブルを打ち破る」今を理解するために過去を知る。などお話をいただき、立法府に属する珍しい図書館の利用カードを全員が作成しました。

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次に訪問した施設サントリーワールドリサーチセンターは地上4階建の地層のような印象的な外観を持つ。


「水」、「緑」、「土壌」を表す外観はサントリーの企業理念である「人と自然と響きあう」を表現している。


サントリーグループの3箇所に分散していた研究開発拠点を集約化した施設である。


「健康科学」、「微生物科学」、「植物学」、「水科学」、「環境緑化」といった領域で世界最先端の研究を行い、国内外に活動を広げるサントリーグループの研究開発を牽引しています。


内部設計は開放的でオープンなスペースを実現。


研究者同士の知の交流をうながすために各社、各部門の壁を取り払い分野の異なる研究者同士がコミュニケーションをとりながら研究できる「共同実験室」の設置。


全従業員の固定席を廃止し100%フリーアドレスのオフィスを実現している。


また最新のICT(インフォメーション アンド コミュニケーション テクノロジー)を活用することで場所と時間にとらわれない「働き方の革新」にも取り組んでいる。


さらに外部との「知の交流」を促すために前面道路と敷地の間に壁や柵を設けないオープンスペースとし、1階のエントランスから4階まで開放的な吹き抜けで繋いでいる。


1階には展示空間を設け、これまでの研究成果や研究者のプロフィール、研究内容を紹介し外部機関との交流を促し、2階にはコラボスペースを設置して、執務エリアのセキュリティを確保しながら、外部訪問者との交流を実現している。



施設見学の終わりにはサントリーグローバルイノベーション(株)渡邊礼治氏の水科学研究所の活動についてお話を頂きました。


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わたしたちのふるさとは森にありました。あらゆるいきものの命は、水によって支えられています。


「サントリー天然水の森」は森を守り、次の世代へと繋ぐ活動です。


2003年にスタートした活動は2015年現在、森の総面積約8000haで倍増計画の目標を達成し、新たな目標はサントリーの工場で汲み上げる水の2倍の地下水を2020年までに育むというものです。


森づくりを広めることで、より豊かな地下水を育むのはもちろんのこと、地域の文化や産業にも潤いをもたらしていきたいと考えている。

天の水が地の水となり、命の水は森と大地の力を借りて、長い歳月をかけて天然水へと育まれる。
大切なのは降った雨をしっかりと受け止めるスポンジ状のふかふかの土。
そしてその土を守る様々な木々が織りなす混交林。
そこに育まれる健やかな森は、多様な生物が形作るピラミッドができあがります。
この水や自然があり続ける限り終わりの無い「天然水の森」活動は未来に向けて続いていきます。
このようにサントリーグループは、創業以来グループの持続的な成長・発展のためには研究開発部門の強化が不可欠“という思いから新たな価値の創造として継続的に取り組んできた。
それは1919年創業者鳥井信治郎が社長直属の研究組織である(製品)試験所を設立し2代目社長佐治敬三が1946年(財)食品化学研究所を設立して以来続いている。
日々新たな探究、日々新たな創造。「やってみなはれ」のサントリーです。

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都市の未来は 

学研都市は3府県8市町村にまたがっており、12の文化学術研究地区や周辺地区をブドウの房のように分散配置(クラスター型)しているため、全体を統括することが難しくなっている。
各地区をつなぐ道路網は未完成で全体をつなぐ公共交通機関は無い。
立地する研究機関は理工系のものが多く、文科系機関はまだ少ない。
梅棹忠夫の「新京都国民文化都市構想」での提案を受けた「国立総合芸術センター」は現在のところ実現の目途は立っていない。
今後に期待していきたいところである。

結びとして 

消費文明都市から成熟文化都市へのターニングポイントなのか・・・

古代ローマのヴィトルヴィウスは、建築における最も重要な価値を<Utilits><Firmitas><Venustas>と定義した。私が学生の頃、それは「用・強・美」と訳されて教えられていました。
近年この最後の<Venustas>を「美」とすることにヨーロッパのある学者は異議を唱え、ヴィトルヴィウスが本来意味したのは、「美」ではなく「歓び」ではないかと主張したそうです。
この歓びは、建築家と人々を結びつける一つの接点となる概念だと思います。
美の基準は時代や地域の文化によって、あるいは個人の趣味においてすら移り変わるけれども、歓びは、より根源的な指標となりますね。
私は<Venustas>には歓びと美の両方がふくまれていると思います。
歓びが昇華されると美になるし、美はときに人々に歓びを与える。
その中で大事なのは、どちらかというと建築の姿は、美の評価へとつながっていく。
一方の歓びは、空間が与える場合が多い。

ジークフリート・ギーディオンの空間・時間・建築に対する私のエッセンスは次の宣言に集約される。

空間と建築:1.空間には外部と内部の差は存在しない。
      2.空間は機能を包括し、かつ刺激する。
      3.空間が人間に歓びを与える。 

時間と建築:1.時とは記憶と経験の宝庫である。
      2.時は都市と建築の調停者である。
      3.時が建築の最終審判者である。

もう一度都市と建築を同じ眼差しを持って同一空間として見直そうということである。

家は小さな都市、都市は大きな家なのである。 2015年 槇 文彦

Marketing of  The Future  from  Keihanna!

Hello FM802 から始まった7月の定例研究会は久しぶりに谷口氏にお越し頂きました。前回の登場は2007年なのでほぼ9年振りです。谷口氏は昭和36年生まれで、1998年FM802に入局し今年で26年目です。

Radio Visual

「ラジオ局なのにアートディレクション」は、見えない電波を扱うのに見えるアートのことをなぜ扱うのか。過去にFM802は自動車に貼るステッカーキャンペーンを手掛けている。アメリカのウエストコーストの様なRadio Stationを目指した。

アメリカは当時一つのエリアに100局以上凌ぎをけずるRadio激戦区であった。大阪はもともと何かが当たるというとすぐに反応するエリア、ステッカーが当たると必ず車に貼る、当時5台に1台はFM802のステッカーを貼ってそのステッカーを貼った車が広範囲に出かけて行った、いわば勝手に全国区の営業を展開したことになる。

そのステッカーのデザインを若いクリエイターに任せてみるといい作品を創る人が多いことに気付く、長友敬介さん後押しもあり若いクリエイター志望の人達にポスターのデザインも任せていくキャンペーンへと開かれていった。

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Musick Art: 

もともとラジオ局が扱う音楽とアートとは親和性が高い。そのような流れの中でdigmeoutという若いアーティストを見つけ出す本を出版していく。

1〜6号各々5000部を完売し、ポートランド、香港、そして世界へと広げ流通させていく。

これをきっかけに様々なジャンルからオファーが来るようになる。ジャケット、DVD、Tシャツ、スニーカー、企業とのコラボレーションは京阪電車京橋駅外壁ファサードのイラスト、銀座SONYビルの高さ40メートルアート、ナイキのスニーカー、そして公共的環境として大阪環状線車両にTrain×Art、Osaka Power Roop、そして上海万博パビリオンの外壁にもアート。谷口氏は大量のプレゼンテーションで多くの成果を実現していった。

RESONA ART :

りそな銀行とFM802はそのコラボでコンサバな銀行業界にイノベーションをもたらした。キャッシュカードにアートを貼り付けた。

3種類各々5000枚が2週間で完売、累計 794495の新規口座はそのほとんどが高校生と20歳前後の女子であった。海外の銀行格付け調査でも好評価を獲得した。

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CAFE ART

10年前からdigmeout cafeを大阪ミナミで運営し様々なイベントを展開。

DMO ARTS

2011年から大阪伊勢丹百貨店でアートギャラリーを運営。コムデギャルソンの隣でファッションショップの谷間で5年間継続している。

eimi,神田ゆみこ、大御所 HIROSHI NAGAIは8月2日から、DMOは運営主体者が自分の身の丈で買えるアートをこれまでARTを買ったことの無い人たちに@9000円で販売し、My First Art Clubは自分の買った絵を飾っているところもホームページにアップし公開できる。台北でもMy First Artは2780元で半年間のキャンペーンを行い、実績を上げ、さらにシンガポールでも反響を呼ぶ。

ASIA ART

ASIAで何か仕掛けていきたい思いが・・・Vison Track Artists<堀江>との出会いやバンコックでのアートブック交換、ASIAN CREATIVE AWARDSに3000の応募者が、アジアは面白い、日本のクリエイターとアジアの交流会を2年前から立ち上げる。東京ではなく大阪でやるアジアのアートフェアの意味を求めていく。

UNKNOWN/ASIA 

digmeoutとアジア各国でクリエィテイブ業に携わる団体「ASIAN CREATIVE NETWORK(ACN)」が共同で企画する。「大阪からアジアへ、アジアから大阪へ」がテーマで「新感覚のアートフェア」を目指している。

2015年10月は6488人の来場者、中之島公会堂で開催され大きな反響を呼んだ。グランプリは台湾の新鋭若手写真家 Fang Yen Wen 氏(21歳)で台湾の古くからある店舗空間の写真であった。時と空間を超越した不思議な表現であった。現在アートシーンにおけるアジアのポジションを示唆させるレベルの作品である。

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ART SCENE NOW

現代アートシーンは1990年代以降停滞している。20世紀初頭ヨーロッパは急速に近代文明化に染め上げられていくなか、美術表現は様々な還元的情熱を展開させていった。還元的な情熱とは反省的な情熱である。「自分はいったい何をしているのか」と問い直す、振り返る意識である。表現行為の最も根深いもとへ戻ろうとするエネルギーが彼らの内にあふれ、フォーヴィズム、キュービズム、シュール・レアリズム、ダダイズムなどが展開した。

マルセル・デュシャンのような存在が、いわばその時代奇跡であった。ピカソ、デュシャン、モンドリアン・・・彼らは表現行為の動乱期を作った。表現方法や内容が激変した時代であり、それらは観念世界へと表現をひろげ、他方何が描かれているか解らない抽象表現の誕生をもたらした。しかしその爆発は同時にもうそれ以上先には人間的世界が広がっていない表現行為の限界を示すものであった。それは第二次世界大戦が示した核戦争が象徴するように、文明の急速な加速が地球=世界の限界を示していることと対応する。

このまま20世紀アートシーンの延長に呑み込まれるのかそうではなくASIAに還元させて未来を切り開くのか、どうやら我々は今 TURNING PINTに立っている。より根本的な形而上学の変革と人間の生きるスタイル全体の!ターニングポイントの中心は<人間の身体としての存在>であろう。

芸術表現は文明の一形態として、それを各種イズムとの対立と並立的存在によって示すべきである。

「私のしたことは一にも還元、二にも還元だった」 マルセル・デュシャン

Marketeing of The Future from Osaka 

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「今、東京に養われている日本の農村。30年後は東京を養っている。」今回のテーマであるがこれは都市論である!

ポテトチップス事業で契約栽培を推進し市場価格の30%オフを実現したイノベーター、カルビー元社長、NPO法人「日本で最も美しい村」連合副会長の松尾雅彦氏はカルビー創業者の松尾孝氏(1912年〜2003年)の三男として広島に生まれた。

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1945年8月広島に投下された原子爆弾を爆心地から1.5キロ離れた楠木町で被爆したが奇跡的に家族全員助かった。被爆者である松尾氏の原点はグラウンド0となった都市広島かもしれない。創業者の話に戻ると戦中、戦後の食糧難の中「健康にいい栄養のあるお菓子を作ることを志したい。」これが今日のカルビーの社名やかっぱえびせん、ポテトチップス誕生へとつながっていく。

息子たちが経営のバトンタッチを受け始めたのは1976年頃でポテトチップスが売れ始めたころである。1987年会長に就任した孝氏は晩年まで製品開発に取り組んだ。2代目聡氏、三代目雅彦氏はそのような創業者の遺伝子を受け継いでいる。

日本の食と農業の現実をデータで読み込み観察する事が大事であると松尾氏は説く。
日本の農業が衰退する原因は「少子高齢化」ではなく「向都離村」であり「自給率降下」である、主要因は農業基本法と1960年代の加工貿易立国推進による食糧の輸入依存、そして70年代の消費者のライフスタイルの変化により加工食品が倍増、家庭での調理が半減したこと。
そして1985年のプラザ合意により激しい円高の進行が追い打ちをかけた。穀物と飼料の2つの作物自給率を見てみると1965年73%であったが2007年には39%に減少している。

食糧自給力に大切なのは、水田より畑作地!今日本人がカロリーを摂取しているのは米よりも畑作地で栽培する作物のほうが多い。
畑作地は飼料を生み畜肉になる。稲作と畑作は真反対の栽培システムで「瑞穂の国伝説」による「田畑輪換」が畑作物の不興を招いている。
さらに農業・農村問題の真の原因は畜肉生産であった。

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田中角栄氏が日本列島改造論で示していたアメリカなどに依存していた飼料は2008年相場高騰で初めて農水省は「耕畜連携」を政策にした。
欧米では休耕地の草地化で飼料コストは0が多い。日本の畜産は輸入飼料に依存しすぎている、それが日本社会の崩壊の源の一つであり「食糧安保の実像」である。

ここから松尾氏のスマート・テロワールによる30年計画が提示される。

①国土において過剰になっている水田100万ha+放棄地50万ha以上を畑地と草地へ転換する。
②農村部の食文化の「美食革命」を日本人は欧風文化を広く取り入れて、食のコスモポリタンとなり最長寿国を実現している。自給圏内にある5つの食資源を活用:水産、水田、畑地、草地、森林(ジビエ)稲作だけでは生まれない耕畜連携の畑作文化圏の成長が美食革命を推進する。美食革命は女性がリードする、スローフードの創始者はイタリアもアメリカも女性である。それを地元愛が支援して多様な食循環型食ビジネスモデルを作っていく。
③自給圏のゾーニング、未来像の描出+農村計画書+「実証展示園」開設
土壌微生物を活かした「反収増ライン」向上の実証(飼料原価0)に10年、真善美に向かう10年、都市席巻に10年。
限界集落、市町村消滅が叫ばれる農村が覚醒すれば、都市が変わる。窮地の農村がスマート・テロワールで覚醒していく。四つの交換システム<市場経済、再分配、互酬、家政>で考えるならば現状は市場経済+再分配で都市の経済は「重商主義」である。カルビーの成功は契約栽培で「互酬」を実現した。農村経済を成功に導くのは「重農主義」に限る、先進欧州では普通のことである。農村部は自給圏(家政を構築し「互酬」経済で利他主義に立つこと、穀物の契約栽培によって長年続く「反収増ライン」の実証と地元愛が物語る。スマートとは地元愛で都市部の消費者と農村の生産者(サプライヤーの関係である。「利他」の循環によりインプロビゼーションを興し、美食革命に貢献していく。耕畜連携+農耕連携+美食革命松尾氏がいうスマート・テロワールである。

さらに松尾氏は語った。
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世紀これからの社会をどう変えるのか?(マーケティングの原点にたった仮説の設定)日本の将来像を描き国の存続を考えるために。

・グローバリゼーション(重商主義)ではなくサステーナビリティ(重農主義)
   環境の破壊者は誰か?

・効率追求は途上国の戦略先進国は真善美を求めて地域主義に向かう。
   先進国の重商主義が争いの元。地域の資源とお金を強奪、奪ったお金はどこ へ行ったのか。

・マーケティングは何をしたのか?食品大企業は農村経済を破壊し、国民の富を海外へ流出させた。
   さらに農村の食品工場の職場を破壊し地域内流通を壊した。

食糧輸入量増加が農村の衰退を招く、輸入を地域の生産に「置換」できれば「発展する地域」への道が開ける。ジェイン・ジェイコブズの仮説につながっていく。

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1961年刊行ちょうど日本が農業基本法のもとに加工貿易立国を打ち出し食糧の輸入依存を増していった時代である。ジェイコブスは同書でハワードやコルビュジエの流れを組む近代の正統派の都市計画および都市再開発の基本原理と理念を批判した。

しかし50年以上たった現在も都市計画はこの批判を乗り越えることができていない。

ジェイコブスは大都市における人々の社会的な行為や経済活動を詳細に観察して、都市が安全で暮らしやすく、かつ経済的な活力を生じるためには、複雑に入り組んだ極め細やかな多様性が必要であり、そうした都市の多様性が生まれる4つの条件を提示した。

①異なるいくつかの目的で、異なる時間帯に、様々な人が利用すること。(例えば昼はショッピング、夜は観劇や飲食、夜中はそこに居住)

②短いブロックで区切られ、横道がたくさんあって、目的地にいろいろな行き方ができ、通りに多様性があること。

③異なる古さ、タイプ、サイズ、管理状況のビルが混在していること。

④人口密度が(昼も夜も)高いことの4つである。

彼女はこの4条件が都市の多様性を確保しイノベーションの苗床機能につながると指摘している。同時にこれらの条件が安全で人間らしい暮らしを保証すると主張している。

またこの著書で、ジェイコブスは中小企業の集積は「都市的現象」に他ならないとしている。中小企業は内部資源に乏しく、都市の他の企業が供給する多様な製品やサービスが、中小企業の経済活動にも従業員の生活、余暇のためにも不可欠であるため、「都市がなければ単に存在することができないと述べている。そして「都市に存在する他の企業がもたらす大きな多様性に依存しながら、中小企業はさらに多様性を付け加えることができる。
都市の多様性はそれ自身更なる多様性の余地を作り多様性を促進する。」
以上の文脈で松尾氏の提示することとジェイコブスは繋がる。

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われわれマーケティングに関わる者は、経済発展の関係を分析し概念化(conceptualization)しなければならない。
初めに都市ありき・・・そして農村が発展する。

農作業を含む農村経済は直接、都市の経済と都市の仕事をもとに成り立っている。農村経済を基盤にして都市が成り立っているという農業優位のドグマはまちがいである。<ジェイン・ジェイコブズ 都市の原理 1971年刊行>

松尾雅彦氏の今回の提示は都市論である。

株式会社ベネッセコーポレーション(本社岡山)発行の月刊誌サンキュ!は現在発行部数35万部で20〜40代の主婦が一番読んでいる雑誌である。

今回お話をいただく山本沙織氏はコミュニティ開発部マガジンメディア課サンキュ!編集部に籍を置く。山本氏はサンキュ!を「複合メディア」と定義する。

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現在3500人の主婦ブロガーを組織しカリスマ主婦ブロガーがリアルな憧れの対象として影響力を発揮していく。月刊100万人の主婦にリーチし相互利用率は50%、ある種コミュニティの様に主婦が往来する90年代からの交通空間である。

1996年主婦向け生活情報誌としては最後発の創刊。2016年4月に創刊20周年を迎えたサンキュ!が創刊した1990年代はバブル崩壊のあと「失われた10年」と呼ばれ、インターネットが普及し出版市場が縮小していき、競合誌の休刊も相次ぐなか部数を伸ばし続けている。サンキュ!の読者とは、20年の歴史の中でその行動様式を大きく変えた主婦である。
主婦を変えた大きな環境要素は経済である。不景気とデフレ、雇用の不安定化が定着していく。過去7年専業主婦は6〜7割減り9割が働きたいと考えている。そんな中オシャレな節約を提案するカリスマ主婦が人気を博した。ここ数年は、不況しか知らない世代が読者の中心となり、共働き世帯も増加し「自分らしく豊かに暮らしたい」「目先より一生豊かに暮らす知識を身に着けたい」など生活に対する態度の成熟化が進んでいる。中心読者として37歳で未就学児を持つ年収664万円の地方に住む高齢のママという像が浮かび上がる。

サンキュ!が売れる理由として、山本氏が編集者に求めるものはセンスではなくテクニックであり企画は数字であると位置づける。

具体的には
1.ファン、シンパを増やす仕組みを作る。
2.数字をあなどらない。
3.驚きの提案の3つを上げる。
SNSの普及により自らをメディア化し発信する主婦が増えているそんな主婦を組織化しカリスマ主婦を育成し自分を認めてくれる達成感を得られる場、サンキュ!村というコミュニティを作っていく。さらに作り手の編集者のスキルを上げる。
取材に時間とお金を惜しまない!モニターブロガーよりアンケート取材を重視、インスタントカメラで自宅を冷蔵庫を撮ってもらいそのまま返してもらう。敢えてアナログな取材ツールで嗅覚を磨く。本人がスゴク無いと思っていることの裏にある顕在化していないリアルを見抜く眼力と嗅覚が必要だと言う。自覚の無いニーズを掘り起こすことがミソ、ブログだけでは真実は分からない。

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クライアントとのタイアップ企画においても商品の背景にあるモノを売り方として提案できること、コンサルティング出来ることが大事、例えばパナソニックのシニア向け掃除機を母子目線で提案しさすがサンキュ!と言わしめるなど、編集者は求められることが多様で総合的なプロデュース力が必要である。そこで効力を発揮するのは現場を重視した取材である。
15年前に編集部はPDCA重視のデータマーケティングを導入した、企画毎に何人の読者を獲得できるのか、精緻で正確なデータに基づいた企画作りを3号分同時の編集作業である。「サンキュ!獲得人数システムである。システムの利点としては企画の組み合わせ毎に部数が読めること、落とし穴は企画のマンネリ化である。

半歩先のニーズを作るために驚きの提案も生み出していく。
今どき雑誌を買う人ってどんな人?誰が買うのか、どう読むのか、スマホの様に持ち歩けるミニサイズを発売して大当たり。
雑誌そのものの価値を見直し定義し直していく、それは製本の綴じ方にも及んでいく。冷蔵庫から生まれた「おうち外食」

ミスタードーナッツなんちやってドーナッツレシピ、家族にうけたいおうち外食再現レシピ、などサンキュ!が面白い企画をやっているとメディアも注目し、面白いことやっている主婦へのオファーも増加する。
「子連れで祝うアニ婚」はJTBと企画を進めている、「1000万円貯める!」シリーズは最近の大ヒット、周辺の雑誌でマネされた。生きる力を育む「生活育」提案は子供の生活力を付けるために特に男の子に家事を教える。編集部全員が食育コミュニケーテーの資格を持っている。などの企画はキャッチコピー一つで、ヒットする。
ものは言いようでハンデを付ける、説明しない、トレンディに見せる、取材相手の言葉を使う、「その気」にさせられたらヒットする。できた気になる。
読者が「え〜w」と言ったらヒットする。ファン化する。など驚きの企画の極意を駆使していくが、失敗もある、アンケートを鵜呑みにせず本音を探ることが大事である。
ニーズを新しく作ると言より、既存のものを魅力的に見せたほうがいい、例えばお店公認おうち外食、記念日にアニバーサリー婚、酢・素レシピで作り置き など売れ続けるためには「変えていいこと・変えていけないこと」があるコアはブレさせないでプロセス、ニーズを変え、どのようなゴールにするかも変える。サンキュ!が売れる理由はこんなところにあるのでは。
立て板に水!山本氏の弁舌は留まることを知らない。

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サンキュ!が歩んだ20年は読者である主婦が大きく変化した、これから主婦はどの様に変化していくのか。上質な暮らしを求める、自分軸を持つ人が増えている。お金は賢く使う働きたい主婦が増えている。主婦は多様化していくなか属性ではなく嗜好性でつかむ事が大事だという。どの様な人がどのような気持ちで何が欲しいか。
今どきの主婦の気持ちとは1.自己実現2・「ぜいたく」=物があるのではなく、自分が満足する物を自分軸で相対評価は気にしないで選ぶ、さらに自分が社会と繋がるような消費を好む人。絶対軸、影響力のある価値観を持つ人<インフルエンサー>をサンキュ!は集めていく。3・輝き方は自分で決める。社会と繋がる女性の生き方は様々である。20周年のサンキュ!は明日の自分の可能性を感じながら進んでいこう!を掲げている。
サンキュあしたの私フェスなの開催、ママを救う男の家庭進出を応援企画鈴木おさむさん連載スタートなど女性の社会参加を応援するためにテーマを設定していく。目指すは女性も男性も子供も「一億総生活力向上!」である。最後に山本さんが売れる出版、編集のために一番大切にしていることを語ってくれた。

作り手の気持ちや情熱、チームの風通しをよくする、仲間外れを作らない、目標に向かって協力する。

シンプルな言葉ですが今回のお話の文脈の中では強度があります。

結びとして・・・・世の中が一夜にして変わってしまうような経験をそれまで持たなかった。80年代に就職したから 社会人の暮らし=快楽主義だと思っていたら、バブル経済が崩壊した。<東証株価が2万円を割る、89・12・29の最高値から約50%、時価、総額590兆円から319兆円に減少>モノが売れなくなった。宣伝・広告担当者は「広告会社」と組んだ方がその責任が曖昧になると考えた。広告は見直され、「個人」に頼るべき技術さえ「会社」に委託された。80年代に広告の中心がテレビに移り「会社」によって仕掛けられたテレビ中心の大型キャンペーンが“90年代の広告”であった。そしてインターネットによるSNS広告が加わり現在に至っている。特別な能力を持つ者だけに許された広告表現は、普通の言葉で表現されるようになり、広告表現はある意味民主化された。同時に希少価値を失った。しかし広告表現の本質が「個人」から「会社」へとリレーされたわけではないと思っている。
それを出版やマーケティングに置き換えても同じだと思う。個人に頼るべき技術<テクニック>で出版業界を疾走する男前 山本さん!マーケティング、宣伝広告表現の未来に向けていい海図を示していただきました。 Marketing of  the future!

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桜の満開が過ぎた大阪天満橋は造幣局の桜の通り抜けで多くの人が行き交っていた。
天満橋八軒家は古くから熊野街道の起点である。平安時代から多くの貴族、庶民が熊野詣へと旅立ちそして帰ってきた交通の要所であった。
そこに佇むOMMビルに今回は法政大学大学院創造研究科の増渕敏之教授をお招きしてコンテンツツーリズムのお話をしていただきました。


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増渕氏は明治大学文学部地理学科を修了され、その後東芝EMIやソニーミュージックエンタティメントなどメディアコンテンツビジネスを30年経験されその後法政大学地域研究センターリサーチアソシエィトを修了、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻修了され2007年より現職に在ります。

8年間の教員生活で5冊の本を執筆されています。2010年欲望の音楽、2010年〜物語を旅する人々Ⅰ〜Ⅲ、2012年路地裏が文化を生む、その他共同執筆は17冊に及びます。
経歴を伺うだけでも一筋縄では理解できない多彩で多面的な才能を持たれたエキサイティングな人ですが決して肩に力の入っていない飄々とした印象を受けました。
桜の吹雪ととても相性のいい方です。

今、アニメ・マンガ・映画を活用した観光創出の事例が全国で増えている。
クロスメディアにより映像化されたものはその訴求力を強める!
2006年以降のデジタル技術のイノベーションの後は映像の背景に使われる風景は物語のイメージをその場所に定着しイメージの強度を強めている。
現在社会に影響を与える聖地巡礼を中心としたコンテンツツーリズムは観光文脈だけではなく、地域の再生や活性化と結びついて重要度を増している。

コンテンツツーリズムとは、その根幹は?
国土交通省、経済産業省、文化庁から出された「映像コンテンツ制作・活用による地域振興のあり方に関する調査によると、地域に「コンテンツを通して醸成された地域固有の雰囲気・イメージ」としての「物語性」「テーマ性」を付加し、その物語性を観光資源として活用することである」としている。
コンテンツツーリズムは文化観光の一種になると思われるが、これは近年の文化と経済の関係性についての議論が活発化してきたことが背景にある。


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残念ながら日本はひたすら経済偏重の路線を歩んできて文化と経済は別物と扱われてきた。東京一極集中の社会システムが全国的な文化の均等化を生む要因となって都市を均質化させていった。
1962年以降の「全国総合開発計画」による「国土の均衡ある発展」はある意味地方都市の「東京化」であって消費市場においては有効であるが、同時に地方都市内部のアイデンティティ喪失の可能性もはらんでいた。アイデンティティの形成が若年層中心に進まずに、彼らの域外流出を促進させていった。

コンテンツツーリズムという新しい言葉は日本の歴史をたどってみると古くからある。平安時代の歌枕を巡る旅や神社仏閣を巡る巡礼などは観光として捉えられる。日本人ほど旅を愛した人々はいない。日本の文芸から旅を除いたら何も残らないといってもいいほどである。
巡礼は日本だけに行われたのではなく、世界のあらゆる宗教につきものだが、長年の間に完全な組織をつくり上げ、一般民衆の中に浸透し、ある時期には「巡礼の人、道路に織るが如し」という盛況を呈したのはおそらく他の国では見られない現象であろう。自然それは純粋な信仰から離れ、熊野詣や伊勢詣と同じく半ば遊興化した。日本はある種コンテンツツーリズム先進国であり濃密な交通空間の歴史を持っている。



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1970年大阪万博では6400万人の人員輸送量の確保が当時の国鉄の命題であった。それまでは団体旅行、社員旅行が中心であった旅は「ディスカバージャパン」のキャンペーン以降一人旅を促進していった。「アンノン族」など個人が行きたいところを選択していける旅が主流となっていった。
旅行という形態が多様化し始めたのだ。しかし同時に東京と地方の格差が広がる一方で、地方都市の中心街の空洞化が進み1991年「大規模小売店舗法改正」で大型SCの郊外出店が相次ぎ、地方都市は衰退していった。
例えば、評論家の三浦展(2004年)は『のどかな地方は幻想でしかない、地方はいまや固有の地域性が消滅し大型SC、コンビニ、ファミレス、カラオケ、パチンコ店が建ち並び全国一律の「ファスト国土的大衆消費社会」となった』と一種の郊外論を提唱した。

このような状況の中コンテンツツーリズムは場所のイメージを創る、再生する。
ここで求められたのは、新たな形での観光創出であり、その中で若者に支持されるマンガ、アニメへの注目が進んできているのは自明のこと、地域でのコンテンツ産業創出と産業の地域分化を進めなければならない。東京が全てを独占する時代は終わった。

コンテンツツーリズムは移動人口を増大させ地域分散とその経済を活性化させる。
アニメの聖地巡礼は現実の「いま(正史)」に対して何らかの架空の起源(偽史)を与える想像力の一つであるが地方都市が重ねてきた現実の歴史と重ね合わせることによりリアルに長く定着できる可能性がある。「虚構」の作用としての物語が現実世界を読み替えて再生させる。増渕氏のお話、いや講義は大変深い興味をいだきました。



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最後に地方都市を「源都市」として「交通空間」として外部と内部の境界として再生する活動のために、一文を掲載します。
ミシェル・セール 「ヘルメスⅠ」序文
<・・・・コミュニケーションを行うことは、旅をし、翻訳を行い、交換を行うことである。つまり、<他者>の場所へ移行することであり、秩序破壊的というより横断的である異説<異本>として<他者>の言葉を引き受けることであり、担保によって保証された品物をお互いに取引することである。ここにはヘルメス、すなわち道路と四辻の神、メッセージと商人の神がいる>  (豊田 彰・青木 研二 訳)

春一番!気温が激しく乱高下する中、近畿大学広報部長の世耕石弘さんをお招きしました。圧倒的に正直な人です。他人に対してはもちろんのこと、自分に対しても容赦なく正直である。その問いかけは世間の常識というものにとらわれているわれわれの神経を逆なでし常識の再考、再再考を喚起する。

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1969年生まれ、49歳。近鉄に入社しHPを担当、運行状況をHPに掲載しようとするが鉄道会社の運行状況は出さぬが常識、運行の遅れを出すことは恥であるという常識を跳ね返し掲載。今はどの会社でもHPに載せることは常識となっている。15年間の鉄道会社を経てホテル、海外派遣、広報を担当。2007年より近畿大学入学試験センター入試広報課長。2013年より広報部長代理となり現在に至る。ご自身はエスカレーター式で大学まで進学し、入試という概念・常識を知らずに現職に在る。入試広報というストイックなコミュニケーションをになうチームと法人広報チームという対外的な宣伝、コミュニケーションをになうチームの16人のメンバーと共に一体的に動かしている。

民間企業と私立大学はどう違うの? 

主な民間企業はあえてお金儲けを丸出しにしない、それぞれの企業理念の中で社会に貢献していくことを掲げている。教育だけが社会の基盤を支えているわけではなく、全ての企業が大なり小なり社会を支えている。日本に大学は780校しかなく、その成功事例などはどうでもいい・・・公平でフラットな姿勢で民間の事例も含めて様々な成功事例を取り入れとていく必要がある。近大は学部生31000人で、マンモスと言われる日本大学50000人、早稲田大学40000人と引けをとらず、学部卒業者は累計で48万人いる。

建学の精神は「実学教育」と「人格の陶治」であり初めからアカデミックな官立の大学とは一線を引いてきた。これまでに無い独創的な研究を活かすことで収益に結びつける。独創→産業貢献→収益拡大→研究再投資→さらなる独創!90年前の近大の研究サイクルは今各大学の常識となっているし、企業が取り組むべきサイクルともそう差異は無い。

昭和23年(1948年)和歌山県白浜で水産研究をスタートさせた。「海を耕せ」ただし金は無い、研究費は自ら稼げ。ハマチから真鯛そして平目へ、クロマグロは2002年に完全養殖に成功した。養殖研究スタートから32年かかったが今や世界の養殖業のパイオニアとなっている。

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近大の痛い現実!

18歳人口の推移をみると1993年には205万人いた大学進学者は2031年には99万人となりマイナス106万人(−52%)という予測がある。今日本の大学の進学率は50%であり、大学に行く意味が無い、大学という資格の常識を疑う世の中の風潮がある。関西のA大学では1992年に23922人いた入学者が2013年には1028人となった。B大学では8299人いた入学者が129人に減ってしまった。それでも大学は潰れない。

常識を疑う目を養う。

教育関係者の構築した強固な常識として大学の格付けがある。関西における一部リーグ京大・阪大・神大 二部リーグ関大・関学・同志社・立命館 三部リーグ京産大・近大・甲南大・龍谷大 関東における東大 早・慶・上智 GMARCH 旧七帝大、70年前に設置された大学のプライドなどがあげられるが進学生はその教育内容で選択していない。

しかし大学が本来伝えなければならないことはその教育内容なのだが・・・例えば近大においては48学部、6キャンパスの総合大学なので広報宣伝で何をつたえているのか分からないというジレンマにおちいる。実は近大は関西大学志願者数1位、The世界大学ランキング関西私立大学1位、民間企業からの受託契約研究1位である。

常識や現状を打ち破るため現状と問題を正しく知る。

「問題は正しく提起されたときにそれ自体が解決である。」アンリ・ベルグソン

大学は研究と教育内容で見るべきだのに現実はそうではない。そんな中で近大流のコミュニケーション戦略が始動した。世耕氏は2年間で150回以上講演している、それもコミュニケーションに基づく強力なコミュニケーション戦略である。

コミュニケーションの基本は「伝えた」ではなく「伝わったか」である。

実学教育の近大、たかだか90年の伝統に縛られない大学のカラーを世間に共感させる、現状の大学の序列を打破しフェアな競争環境を創り、日本の大学のレベルアップを目指す!近大は常識を打ち破り、実践して世の中を変える。

広報ファースト?実学への意志を鮮明に。

願書は手書きでという教育関係者の常識を打ち破る近大エコキャンペーンを展開、「カミ頼みの受験はもう止めたい」、「受験生よインターネットを駆使するのだ」、「近大へは願書請求しないでください」、大学願書全国ネット化を全国で初めて実践した。

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平成26年にはネット出願も当たり前となる。まさに行動実践が世の中を変えていく事例だ。その他にもAmazonとの連携による教科書販売、保護者ポータルサイトの開設、卒業証明書をコンビニで受け取れる、日本一ド派手な入学式、「こんなところに来はずではなかった」という失意の入学生を盛り上げる、卒業式でのホリエモンのスピーチなど教育関係者の常識を次々と覆していく。

居酒屋「近畿大学水産研究所」を大阪グランフロントに続き平成25年12月に銀座にオープン、マーケティングではなく、ブランディングではなく、コミュニケーション戦略で90年間提唱してきた実学の近大を世間に認知させた。

日本のドメスティックな感覚はおかしい、もっともっと競争しなくてはならない。昨年4月に国際学部をつくるときの広報、「いきなり世界戦や」、「近大×Berlitz」、さらに「近大をぶっ潰す」、「マグロ大学って言うてるヤツ、誰や」、「近大発のバチもんでんねん。」など近大の大学への常識を打ち破る宣戦布告は続く。

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最後に、「二十年後に人は、やったことよりやらなかったことを悔いるのだ。だから綱を放ち、港を出、帆を揚げ、風をとらえて、探検せよ、夢見よ、発見せよ。」(マーク・トウェイン)

三寒四温、立春の大阪に北九州市門司区から株式会社サンキュードラッグの平野健二社長に来阪いただいた。昨年6月MCEI東京支部の総会でお会いして以来久しぶりの再会。

1956年平野薬局創業から60年、1970年に二代目として株式会社サンキュードラッグを設立され、年商は180億円、北九州市近郊と下関市に特化したドミナント戦略に基づく調剤・ドラッグストアの店舗展開にこだわっている。地元の北九州スペースワールドのスポンサーや健康関連フェアやスポーツイベントのスポンサーになることも多いそうだ。

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「ID−POS活用による新たなマーケティングモデル」が今回のテーマ。

商品流通と小売の役割、小売って何をするの?メーカー依存のマーケティング、規模拡大を狙った高圧的な商談の横行、供給サイドのメーカーが仕組んだ販売促進策による顕在需要の奪い合い、ブランドの使い捨てなどの市場における消耗戦はとても顧客のコトを考えた市場を創造していくような環境を形成していないと語る。

小売の「売り場理論」に隠された前提条件に基づく仮説にも鋭く切り込んでいく。「客動線を長くすることで、多くの商品と出会い、客単価が向上する。」顧客の潜在需要を無視して増え続ける存在意味不明のアイテム群、売上=客数×客単価の旧来の認識への異疑、「強い店とは、遠くからでも集客できる店のことである」欲しいもの買うために遠くまで行くというモビリティに基づいた仮説への疑問や遠くまで来てもらうための価格競争は全体として市場を縮小させるという。人口減少社会・高齢化社会に直面する国内においては限られた商圏人口だけで維持できる店舗を目指すべき。「近くて便利である」ということは単純に距離だけではなく時間的な近さも含まれる。北九州の高齢化率は20%を超えており、高齢の方や療養中の方が徒歩で行ける店舗は半径400メートル、徒歩10分の狭小商圏の戦略を進めてゆく。

「一人一人のために」より身近に関わることができるパーソナルケアにこだわる平野氏がPOSからID-POSへのシフトが加速する中、モノに対する欲求の強い時代である高度経済成長期の終わり(1970年)にサンキュードラッグを設立させ、考えた必然の結果なのだろうか。

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「モノの動きからお客様の動きへ」POSデータは「いつ(When)」「どこで(Where)」「何が(What)」「いくつ(How)」「いくらで(How much)」売れたのかをモノに準拠して把握するが、ID−POSでは更に「誰に(Who)」というデータまで取得できるのでまさにお客様に準拠する。ID−POSの登場によりPOSデータは消費者行動を分析する為のツールとして活用機会を拡大していく。ID-POSマーケティングは第一世代の購買行動の把握によるデシル(10分類)の適用から第二世代の潜在需要発掘へと向かう、顕在需要を販促で奪い合う状況から顧客の潜在需要発掘と育成(欲しいものへの気づき)を喚起し、限られた商圏での市場深堀を進めてゆく。欲しいモノがあるから来店する、ブランド育成と顧客育成が合致する、メーカーと小売のコラボレーションモデルが実現してゆく。

「お客様を知る」、デモグラフィ、データの質的定義、購買行動、未購買者の発掘などによりBIGデータを深堀しお客様一人一人の生活圏を全てデータ化しDEEPなデータとしていく。

「商品の価値を定義する」、商品固有の潜在価値、顧客にとっての複数の価値、価値の属性など顧客の今その時の価値、顧客が誰でどの様な状況かが商品の価値を決める。

「価値の伝達」、メーカーが言うブランド価値による商品の属性ではなくその人にとって何が嬉しいモノなのかを伝えることが本質である。

「リピート」、何故リピートしないのか?リピートを喚起するには、買う理由と買い続ける理由をモノではなくヒトで共通項を見出していく。

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マーケティングツールとしての店舗の概念拡張は店舗の限界を越境して、さらにDEEP&BIGへの拡張であるID−POSマーケティングである第三世代への挑戦:SOO(Segment of One & Only)オムニチャネル「ドラポン!」のサイト構築へと向かっている。顧客の論理に従って、最高の顧客体験を与える様な、いつでも、どこでも、顧客が好きな時に、注文ができて好きなときに好きなところで好きなものを受け取れる、絶対「個客」主義へ。

サンキュードラッグは2007年から自社と取引のある大手メーカー・卸問屋のスタッフと一緒に、顧客の購買に関する潜在需要の掘り起こしに関する研究を行う「潜在需要発掘研究会」を月一回開催している。メーカーマーケティングとリテールマーケティングのせめぎあい。メーカーの思い込み仮説が覆され、リテールの売り場実現力の不足が指摘される。しかも数値検証が伴うので仮説が仮説のままで終わらない。平野氏の鋭い切り込みが続く。

はっきりしてきたコトは、POSデータによって様々な情報を得ることができても、そこから分かることは事実のみであるということだ。顧客の購買行動の理由や「買いたい」と思った理由までを示してくれるものではない。事実としてのデータから「顧客」ではなく「個客」の購買心理や購買行動に意味を持たせるのはマーケティングに関わる者のセンス次第である。

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マーケティングの50%はサイエンスで後の50%はアートである。平野氏が一橋大学時代に恩師から受け継いだ言葉が印象的であった。

新春のMCEI大阪定例会は梅田グランフロントにある岡村製作所様の会場をお借りし、ドン・キホーテグループ インバウンドプロジェクト責任者 中村 好明氏をお迎えしました。テーマは「観光立国」と「地方創生」についてです。

外務省によるビザ発給条件の緩和に伴い当該国からの観光客が増え、円安も加速し、アジアやヨーロッパをはじめ諸外国からの人々が今日本に押し寄せる。

2013年からの新免税制度も大きな追い風となっている。

2015年は日本にとってエポックメイキングな年であった。

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インバウンドが2000万人を超え、インバウンドとアウトバウンドが逆転したのだ。

モノの流れで見るとインバウンドは輸出であり、アウトバウンドは輸入である。

この潮目において中村氏はインバウンドで到来する他者に文化を伝え、文化を分かち合い、友達としてのネットワークを創ることが大事であり日本のブランディングはそこから成り立つという。

訪れる他者のライフスタイルを考え、自らの文化の深層にあるライフスタイル(たとえば太陰暦による生活の時間感覚など。)を忘れずにインバウンドの深化をはかるコトが大事だという。

今後日本は貿易だけに頼るのではなく3兆4000億円ものインバウンド消費においてモノだけではなくコト消費も輸出できる状況という未体験のゾーンに突入していく、時代は変わった、観光立国革命の時代で日本人はアイデンティティを取り戻すため持続可能な全産業、全省庁、全国民のおもてなしと全国各地のサスティナブルな社会の創造を説く。

これが中村氏の提唱するプレミアムな日本を創るためのインバウンド3.0戦略である。

2020年を過ぎると日本の人口は年間50〜70万人ずつ減少していく、加速度的に人口が減少していく日本において全産業・全省庁・首長・全国1718市町村が関わり観光コンテンツを磨き、世界があこがれる都市、街となることが必要である。

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そのためには、公共哲学を学んだ中村氏は2400年前にギリシャのソクラテスが大成した哲学を導入することの必要性を説く、哲学は、欧米でも一般市民にとっては縁遠いものであり、分かりにくいもの。

日本ではよりいっそう、難しいものだとされている。

まず哲学の基本となる超自然的原理<「イデア」(プラトン)・「純粋形相」(アリストテレス)・「神」(キリスト教神学)・「理性」(デカルト、カント)「精神」(ヘーゲル)>のようなものが、われわれの思考の内に見いだされない。

「わが日本、古より今に至るまで哲学なし」中江兆民は言う、西洋哲学と日本におけるその哲学との関係は整理する必要はあるが、観光立国とは哲学立国であると氏は説く。

わが町を知る、再度見直す、CITY IDENTITIY なくしてインバウンドは無い、1718の市町村のそれぞれの強みの再確認をし、全世界の他者の眼差しから「いま住む街と我がふるさとは?」「私はなにものか?」問いかけることが必要である。

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なぜインバウンドに取り組むのか。

人類の半分以上である35億人近くが都市に住んでいるという。

この数字が今世紀半ばで全人口の四分の三に膨れ上がる。都市は豊かさだけではなく貧困も引き寄せ、増加させる。

「欠乏マインドと豊かさマインド」という考え方がある。

足らないものを他から奪うのではなく、閉じられた世界のリソースは有限であるからこそ無限であるという考えに基づき、豊かさマインドで考えること、「私」と「あなた」から「私達」にシフトできる。

周りはライバルから皆、同志・仲間へとインバウンドはその街の魅力を皆で高めていく、皆が幸せになる。

中村氏はさらに言葉を紡いでいく。

インバウンドリーダーの条件としては

1・考える力:耳を澄ます力、哲学、他者の視点に立つ、離見の見、時空を超えて思考する、形而下と形而上学、他者への感謝と尊敬、想像力

2・示す力:ビジョン、全体像、未来像を示す

3・巻き込む力:お節介、思い出を発信する、動機善なりしか私心なかりしか、巻き込む力=巻き込まれる力、フラットなリーダーシップ、素直な心

4・醸す力:花仕事と米仕事両方一生けん命やる「米仕事」とは経済活動で「花仕事」とは社会への奉仕活動である。ほとんどのビジネスマンは米仕事しかやらないがインバウンドは両方必要である。米+花で麹こうじという意味となる。

5・貫く力:一貫性、成し遂げる力、コンテンツではなくコンテコストを見抜く、コンテクストを語る

6・売る力(売り込む力)価値ある思いを売る、ビジョンを売る、豊かさマインドと欠乏マインド

7・育てる力(次の自分を創る)Find Your Successors!後継者を見つける、ビジョンの後継者

ho philosophos「知識を愛する人」中村氏は年間200回を超える講演でインバウンド、観光立国日本を説いて全国を巡る。

まるで中世の遊行僧のようですねとお伝えすると素敵な微笑みが返ってきた。

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おおよそ一年振りに東京からフロンティアマネジメント(株)代表取締役 松岡氏をお招きしてお話をいただきました。前回テーマに続き、今回は<時間資本主義と時間消費>です。


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人類は歴史の流れの局面の中で、様々な制約要因を克服してきた。
自然による制約の克服、農業革命・身分、職業選択、移動などの封建主義的制約からの脱却、市民革命や啓蒙思想の勃興そして産業革命である。
そして第二次世界大戦までの近代を超えて現代の情報革命である。
ここにおいて松岡氏は残った制約要因は時間であると説く。
今回のテーマである時間資本主義の到来である。

「ここに議論される時間とは、近代以降様々な分野で一つのことに精神が集中的に向かった点では中世の宗教熱と変わるところがなっかたが、この近代にて完璧の観念が生まれた。
近代では完璧を目指すがために、時間も単に仕事の継続のために在り、そうして達せられた完璧は時間を絶して独立するものと見られた。
併し完璧が実現しても時間は経って行き、その観念が仕事に従属するものとして無視された。」この近代以降の時間である。

時間制約意識を向上させる3要因として、
①高齢化による国民全体の平均余命の減少
②都市部への人口流入による第三次産業従事者の集中による労働生産性の向上
③ITの発達による時間のロングテールがあげられる。
時間のロングテールが価値を持ち始めた、空間制約からの解放はPCからスマホに移行するとき大きなものがあった。
時間のロングテールが無価値だった時代からすれば「すき間時間」の時間価値が大きく高まった。
「すき間時間」の収益化により「節約時間価値」の追求が行われたが単純な「節約時間価値」の追求は、無色透明な時間と空間を生み出すだけでありそれ自体で私たちは幸せを感じることができない。

私たちは「創造時間価値」の追求を行っていく必要がある。
例えば伊勢丹バーニーズのように「創造的時間価値」がより高次に行えるような空間提供が必要である。
商品やサービスの値付け(プライシング)の仕方も変わってくる。
商品の売買のよって交換されるものは、「商品」と「商品の代金と消費者の時間価値」の総和である。
時間資本主義が進む中で起こる諸相として、二極化する時間価値がある。


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モールが取り組むワンストッピング価値から脱却し「創造時間価値」の提供への取り組み、個々の時間価値格差、また人生ステージにおける価値格差の変遷により自分の時間を売る人々、移動に伴う時間資本主義ビジネスの台頭(アメリカのアムトラックはビジネスクラスがある、新幹線にもグリーン車ではなくビジネスクラスを)、選ぶ時間の二極化(ユニクロ化VS伊勢丹化)時間資本主義の光と影もある。

公私混同の世界が生まれる。
時間はパブリックとプライベートが混在するまるで印象は絵画の点描のような様相となる)、失敗を嫌う消費行動が顕著となる(サンクコスト・テッパン型時間消費産業の成長・信頼できる情報問屋エージェントビジネス)、排他性のクリア、労働生産性が低下する人たち。

以上の諸相を踏まえるとこれからは「創造時間価値」を生み出すクリエイティブ・クラスが経済を牽引する。
クリエイティブ・クラスを作るには多様性の尊重と心の在り様が必要。
唐の時代は日本人も含めた多くの外国人が政府高官の地位にあった。
ハプスプルク帝国は、主要民族だけでも10を超える多民族国家であった。
アメリカの強みは多民族国家にある。
歴史的にみて開放的であったときほど国は栄、オープンな態度を維持することが重要だと考えられる。

都市間における人口動態を見てみると、東京圏と名古屋圏・大阪圏の人口流出入の相似形が崩れ東京圏だけが増えて2都市圏が横ばいの状態である。
各国の労働人口に占める製造業の比率も低下が促進している。
人口減少に伴う地域創生おいても地産地消型産業・サービス業だけでは生み出される雇用はあまりにも少なく、労働市場全体に大きな影響を及ぼすことができない。
地域経済を牽引するには他地域との貿易部門にこそ地域経済の牽引役になりうる。

シアトルの事例においても1979年マイクロソフトがシアトルへ本社移転、以降シアトルの大卒者の人口比率は1990年14%から2010年45%、マイクロソフト社のシアトルの地区雇用者は4万人から200万人をこえている。第三次産業は人口集中していればいるほど生産性が向上し、さらなる産業集中をもたらす循環が生まれやすい。


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時間資本主義時代における三つの変化がある。
一つ目は細分化される購買プロセスである、購買プロセスがばらばらに分解されそれぞれに圧倒的勝ち組がいる。
<探す→選ぶ→持ち帰る・受け取る→体験・消費する>が脱構築される、このような流れの中一連の行為を一つのかたまりとしてとらえ、競合との比較で優位に立とうとしたGMSは失敗した。現在市場にあるのは購買プロセス細分化に伴う業態間抗争である!ITの発達が、貨幣が登場して以来の人間の「買う」行為を分解し、モジュールの組み合わせという積木の建築のようなものに変態してしまったことである。

二つ目は「モノとコト」という二項対立的消費観からの脱却である。
1980年以降からバブル崩壊のあと日本におけるモノの消費はピークアウトした。
モノとしての物質を超えたストーリーを手に入れることができる「コトを内包するモノ」を提供すること、モノとコトの融合による「創造的時間価値」の追求という視点で、消費マーケットを見ていく必要がある。

三つ目の変化は消費者が購買プロセスにおいて、従来よりも動き回るようになったことである。
自宅で宅配便を待つ時間さえも節約したい、消費者が居住地を中心に徒歩や自転車などで受け取りの場所を選ぶ、Moving target化する消費者となる。
今後は動的消費者を前提としなくてはならない、消費者は都市化と高齢化という長期的なトレンドを背景として、自宅を自転車のハブとして、その周辺の店舗や駅などでモノやサービスを購買したり通販で購買した商品を受け取ったりしている。

以上重厚な松岡氏の講演をサマリーしてみました。
氏はさらに「同時性」という時間概念に分け入っていきます、同時生解消と同時生追求の中でどの様な「創造的時間」が語られるのか次回期待したいと思います。

最後に近代以降の時間概念ではない、時計の時間とは異質な時間も在るということを、一文をもって記載して終わります。

「冬の朝晴れていれば起きて木の枯葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのでなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。」(吉田健一)


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「現代人は少しずつ常に昂奮している」柳田国男

個性化の競合の帰結する没個性化は、近代社会の基本的な逆説の一環である。
この社会の打ち消し合う「おどろき」の相殺、これが招来する夢の漂白、感動の微分というべきもの。現在社会が理想から夢そして90年代から虚構の世界に移行して久しい。


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今年も一年が経過しようとしている、久しぶりに大阪天満橋OMMビルに日経BPヒット総合研究所 上席研究員 品田秀雄氏をお招きしてヒット商品2015年をテーマに講演頂きました。
日経BPは“新しい市場”としての新奇性、“売れる”そのジャンルの売上高が著しく伸長すること、“生活の変化”消費者のライフスタイルを変えるきっかけとなるもの、“追随商品”が登場してその業界にもたらす影響の大きいもの、以上の選考基準でヒット商品のランキングと次年度のヒット予測を立てていく。


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選考における基本姿勢として“バランス感覚”バランスを取りつつ業界、マーケットの淵をギリギリ限界まで大胆に覗いてみること、“観察力”違いを読み取り豊な発想に繋げて表現する、“想像力”相手がどう思っているのか、市場がどう思っているのか、不自然なことを受け入れどこまで取り入れられるのか、他者への想像力か、五感で学び、見えないものを観る・・・感じることか!いまだ見えぬ共同の潜在願望に迫っていく。

品田氏は2015年を象徴する3つの現象として“インバウンド消費”“ハロウィン現象”“新富裕層向け商品”現在の日本社会の骨格が形成されたのは60年代から70年代の高度成長時代、次にくる70年代からのポスト高度成長期は高度成長期ほど社会の在り方の根本から変革してしまうものではなかった、その虚構的なるものが現代まで続いているのではとも思う。


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最終的には運、計画されたモノとコトの偶然性、好奇心、持続性、楽観的、柔軟さ、リスクティク、とにかくやってみよう、時には変えてみよう、一歩進めてみよう、ひょっとしたら無駄かもしれないが新しいことをはじめてみよう。
品田氏はサルサの軽快なリズムに乗って情報化、記号化されたモノとコトの現象の海を軽やかなスッテプで渡っていく。

「楽観主義を危険に変える」レム・コールハース
情報化・記号化が人間の文化に危機を与えるというのは決して新しい問題ではない。
マーケティングは危険な職業だ。
歴史的変化という危機的な現実から市場資本主義を守り続けている心地よい虚栄心や自己愛から抜けださなければならない。
危険をかえりみず社会と自分の立ち位置をはっきりさせ、現状の中に隠れた「新しい」可能性を見つけ出すこと!近代化の不可避の変化と力に適した表現を整理し見つけ出すことが必要なのでは。
最後に「現実」という言葉の三つの反対語「理想と現実」「夢と現実」「虚構と現実」を記しておきたい。


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少し暑さの残る大阪、内田洋行様のプレゼンテーションルームにてインタッチ・コミュニケーションの岩原雅子氏から「グローバル企業のコミュニケーション」についてお話をいただきました。岩原氏が30年勤められた企業は175年以上続くグローバル企業P&Gです。正直なところお話をいただくまでは世界70か国に展開し、全世界の売上が830億ドル、社員10万人を擁する巨大グローバル企業に対して、大変失礼ではあるが、冷徹、非人間的、ドラスティク、なイメージを持っていました。しかし、簡単にその先入観は覆されました。

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P&Gの全ての活動の原点は「企業理念」である。
企業目的、共有する価値観、行動原則が70か国10万人の社員を方向づける。ルールではなく理念でなくては同じ方向に全社員を動かすことはできない、そのために企業理念の浸透が必要である。
Purpose/Values/Principles PVPである。

複雑ではなくシンプルな社内コミュニケーションは90年頃から社内公用語として英語が使われていて、全ての報告書はワンページメモで収まるように書き方のスキルを個人個人トレーニングする。
研ぎ澄まされたパラグラフは誰が何をどのように、その背景、提案の内容とその良さ、最後にNext Step,それぞれが7行で納められる。

会議でも何を目的とするかを明確にし、終わりには必ずNext Stepを確認する。
誰が発言しても敬意をもって受け入れるフラットな空気感は個人に在る潜在的な多様性を引き出し企業戦略につなげていく。

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トップのメッセージはビデオメッセージで全世界全ての部門のセッションにて浸透させていく。社員一人ひとりが誠実であること、全ての個人を尊重すること、そして常に正しいことを行うというP&Gの伝統を土台として、キャリアディスカッションがなされ、自分で作ったドラフトをもとにワークプランが作られていく。
評価基準とフィードバックは世界共通であり透明度の高い評価基準に欠点とかウイークネスという言葉はなくインプルーブメントとオパチュニティが重視されネガティブではなくポジティブである。
さらに世界共通の人事制度を確立し誰もが世界のどのポストへも即座に移動できる。最後に内部昇進制である、P&Gは180年の歴史のなかでヘッドハンティングは行わず全員生え抜きで構成されているが、全員生え抜きでも多様性は在る。

多様性を尊重し重視することはイノベーションも達成しやすく、消費者の多様性にも柔軟に適応、対応していける。
だからP&Gは企業理念の浸透をベースとして誰にでも分るコミュニケーションで組織の透明性を実現し世界中のお客様の信頼に答える。
日本における3工場のうちパンパースを製造する明石工場長はポーランド出身の女性で、SKⅡを製造する滋賀工場長は日本人の女性だそうです。素晴らしい!

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Less is More 20世紀の多様なモダン建築を生み出した巨匠ミース・ファンデル・ローエの言葉を思い浮かべました。
岩原さん有難うございました。

(2015年10月9日 橋詰 仁)