おおよそ一年振りに東京からフロンティアマネジメント(株)代表取締役 松岡氏をお招きしてお話をいただきました。前回テーマに続き、今回は<時間資本主義と時間消費>です。


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人類は歴史の流れの局面の中で、様々な制約要因を克服してきた。
自然による制約の克服、農業革命・身分、職業選択、移動などの封建主義的制約からの脱却、市民革命や啓蒙思想の勃興そして産業革命である。
そして第二次世界大戦までの近代を超えて現代の情報革命である。
ここにおいて松岡氏は残った制約要因は時間であると説く。
今回のテーマである時間資本主義の到来である。

「ここに議論される時間とは、近代以降様々な分野で一つのことに精神が集中的に向かった点では中世の宗教熱と変わるところがなっかたが、この近代にて完璧の観念が生まれた。
近代では完璧を目指すがために、時間も単に仕事の継続のために在り、そうして達せられた完璧は時間を絶して独立するものと見られた。
併し完璧が実現しても時間は経って行き、その観念が仕事に従属するものとして無視された。」この近代以降の時間である。

時間制約意識を向上させる3要因として、
①高齢化による国民全体の平均余命の減少
②都市部への人口流入による第三次産業従事者の集中による労働生産性の向上
③ITの発達による時間のロングテールがあげられる。
時間のロングテールが価値を持ち始めた、空間制約からの解放はPCからスマホに移行するとき大きなものがあった。
時間のロングテールが無価値だった時代からすれば「すき間時間」の時間価値が大きく高まった。
「すき間時間」の収益化により「節約時間価値」の追求が行われたが単純な「節約時間価値」の追求は、無色透明な時間と空間を生み出すだけでありそれ自体で私たちは幸せを感じることができない。

私たちは「創造時間価値」の追求を行っていく必要がある。
例えば伊勢丹バーニーズのように「創造的時間価値」がより高次に行えるような空間提供が必要である。
商品やサービスの値付け(プライシング)の仕方も変わってくる。
商品の売買のよって交換されるものは、「商品」と「商品の代金と消費者の時間価値」の総和である。
時間資本主義が進む中で起こる諸相として、二極化する時間価値がある。


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モールが取り組むワンストッピング価値から脱却し「創造時間価値」の提供への取り組み、個々の時間価値格差、また人生ステージにおける価値格差の変遷により自分の時間を売る人々、移動に伴う時間資本主義ビジネスの台頭(アメリカのアムトラックはビジネスクラスがある、新幹線にもグリーン車ではなくビジネスクラスを)、選ぶ時間の二極化(ユニクロ化VS伊勢丹化)時間資本主義の光と影もある。

公私混同の世界が生まれる。
時間はパブリックとプライベートが混在するまるで印象は絵画の点描のような様相となる)、失敗を嫌う消費行動が顕著となる(サンクコスト・テッパン型時間消費産業の成長・信頼できる情報問屋エージェントビジネス)、排他性のクリア、労働生産性が低下する人たち。

以上の諸相を踏まえるとこれからは「創造時間価値」を生み出すクリエイティブ・クラスが経済を牽引する。
クリエイティブ・クラスを作るには多様性の尊重と心の在り様が必要。
唐の時代は日本人も含めた多くの外国人が政府高官の地位にあった。
ハプスプルク帝国は、主要民族だけでも10を超える多民族国家であった。
アメリカの強みは多民族国家にある。
歴史的にみて開放的であったときほど国は栄、オープンな態度を維持することが重要だと考えられる。

都市間における人口動態を見てみると、東京圏と名古屋圏・大阪圏の人口流出入の相似形が崩れ東京圏だけが増えて2都市圏が横ばいの状態である。
各国の労働人口に占める製造業の比率も低下が促進している。
人口減少に伴う地域創生おいても地産地消型産業・サービス業だけでは生み出される雇用はあまりにも少なく、労働市場全体に大きな影響を及ぼすことができない。
地域経済を牽引するには他地域との貿易部門にこそ地域経済の牽引役になりうる。

シアトルの事例においても1979年マイクロソフトがシアトルへ本社移転、以降シアトルの大卒者の人口比率は1990年14%から2010年45%、マイクロソフト社のシアトルの地区雇用者は4万人から200万人をこえている。第三次産業は人口集中していればいるほど生産性が向上し、さらなる産業集中をもたらす循環が生まれやすい。


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時間資本主義時代における三つの変化がある。
一つ目は細分化される購買プロセスである、購買プロセスがばらばらに分解されそれぞれに圧倒的勝ち組がいる。
<探す→選ぶ→持ち帰る・受け取る→体験・消費する>が脱構築される、このような流れの中一連の行為を一つのかたまりとしてとらえ、競合との比較で優位に立とうとしたGMSは失敗した。現在市場にあるのは購買プロセス細分化に伴う業態間抗争である!ITの発達が、貨幣が登場して以来の人間の「買う」行為を分解し、モジュールの組み合わせという積木の建築のようなものに変態してしまったことである。

二つ目は「モノとコト」という二項対立的消費観からの脱却である。
1980年以降からバブル崩壊のあと日本におけるモノの消費はピークアウトした。
モノとしての物質を超えたストーリーを手に入れることができる「コトを内包するモノ」を提供すること、モノとコトの融合による「創造的時間価値」の追求という視点で、消費マーケットを見ていく必要がある。

三つ目の変化は消費者が購買プロセスにおいて、従来よりも動き回るようになったことである。
自宅で宅配便を待つ時間さえも節約したい、消費者が居住地を中心に徒歩や自転車などで受け取りの場所を選ぶ、Moving target化する消費者となる。
今後は動的消費者を前提としなくてはならない、消費者は都市化と高齢化という長期的なトレンドを背景として、自宅を自転車のハブとして、その周辺の店舗や駅などでモノやサービスを購買したり通販で購買した商品を受け取ったりしている。

以上重厚な松岡氏の講演をサマリーしてみました。
氏はさらに「同時性」という時間概念に分け入っていきます、同時生解消と同時生追求の中でどの様な「創造的時間」が語られるのか次回期待したいと思います。

最後に近代以降の時間概念ではない、時計の時間とは異質な時間も在るということを、一文をもって記載して終わります。

「冬の朝晴れていれば起きて木の枯葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのでなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。」(吉田健一)


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