都市のはじまり 

明るい暑い日であった。
定例会打ち合わせのため6月末、初めて丘陵地の連なる「関西文化学術研究都市」を訪れた。その時に受けた地形と景観から受けた印象を咀嚼しきれずおよそ1か月ぶりの訪問である。

創造的な学術・研究の振興を行うための新産業・新文化などの発信の拠点となることを目的として国土交通省が主体となって開発を推進してきた。
枚方丘陵、生駒山、八幡丘陵、田辺丘陵、大野山、平城丘陵にまたがって建設されている広域都市は愛称「けいはんな学研都市」と呼ばれている。
その中で今回訪問する精華・西木津地区は都市景観100選に選定されている。
総面積はおよそ15000haそのうち文化学術研究地区はおよそ3600haである。建設の契機は京都大学名誉教授奥田東が中心となった関西学術都市調査懇談会によるものが大きかった。
奥田は提案の理由をローマクラブ研究報告「成長の限界−ローマクラブ・人類の危機レポート」を読んだ深い衝撃にあった。
奥田の懇談会に参加していた、国立民族学博物館館長の梅棹忠夫はその学術研究都市構想が理工学系の研究に偏ることを危惧し、文化開発の重要性を指摘し「新京都国民文化都市構想」を提案した。その議論の流れの中で「学術研究都市」に「文化」が加わり、「文化学術研究都市」と呼ばれるようになった。

学研都市は1994年に「都市びらき」が行われた。
バブル景気時代に建設が始まったにもかかわらず、バブル崩壊後も建設が中止にならず進められてきたが、2002年には住友金属工業が、2004年にはバイエル薬品とキヤノン学研都市から撤退した。
企業が基礎研究から研究開発に重点をうつしているなど、企業の研究に対する姿勢の変化もその原因の一つであった。
2013年頃からは景気回復と災害リスクの低さが評価されて再び企業進出が進んでいる。
研究施設ではないが三菱東京UFJ銀行や日本郵政が事務センターの設置を決めている。
最初は職住一体の街を計画していたが実際は大阪市や京都市のベッドタウンの傾向がつよくなっている都市は2015年4月現在総人口24万6807人、文化学術研究地区の人口は9万1223人である。

精華・西木津地区へ 

学研都市には、12の文化学術研究地区が設定されているが、2地区は未着手である。


2015年4月現在立地施設は124施設、就業者数は7774人(内外国人は222人)である。


MCEI20160805.jpeg


その中の精華・西木津地区に今回訪問する国立国会図書館関西館とサントリーワールドリサーチセンターが隣接して建っている。


国立国会図書館は、年々増加する蔵書のため新たに大規模な収蔵施設を確保する必要が生じたことといった課題に対応するため学研都市の中核施設として、文化創造の中枢、学術研究推進の情報拠点として建設された。


かつて雑木林に覆われていた原風景である丘陵地をイメージさせる屋根の緑化や中庭の雑木林は私が初めて学研都市を訪れたときに記憶の奥底にある襞をくすぐられたソレである。

MCEI20160801.jpeg

来館者は模様入りガラスのダブルスキン・カーテンウォールとルーブル美術館の床と同じ大理石の床で構成されたエントランスから地下一階の閲覧室へ誘導される。
閲覧室はサッカーグランドとほぼ同じ大きさを持つ大空間である。
中庭、トップライトを介して風や光の変化を感じさせる空間はあたかも外部空間のようなオープンスペースを創りだし創造的研究活動を促す空間を提供している。

MCEI20160802.jpeg

書庫は機能性、フレキシビリティを考慮し、単純な方形の書庫とし周辺環境への影響とその保全を考慮して地下に配置され理想的図書保存の環境を実現している。

MCEI20160803.jpeg

地下2階から地下4階まで2400㎡の書庫に役600万冊の収蔵が可能である。
また将来の書庫拡張にも対応した配置計画となっている。

MCEI20160804.jpeg

2002年7月に開館した関西館の設計者はヴェネツィア建築大学修復過程終了の大阪出身陶器二三雄である。
施設のご案内は文献提供課の依田紀久氏にお願いした。
テーマは「マーケッターへの図書館活用へのお誘い」まずは自分だけの図書館ポートフォリオを作る。
ネット時代だからこそネットには無い情報による差別化を、SNS時代だからこそ「フィルターバブルを打ち破る」今を理解するために過去を知る。などお話をいただき、立法府に属する珍しい図書館の利用カードを全員が作成しました。

MCEI20160806.jpeg

次に訪問した施設サントリーワールドリサーチセンターは地上4階建の地層のような印象的な外観を持つ。


「水」、「緑」、「土壌」を表す外観はサントリーの企業理念である「人と自然と響きあう」を表現している。


サントリーグループの3箇所に分散していた研究開発拠点を集約化した施設である。


「健康科学」、「微生物科学」、「植物学」、「水科学」、「環境緑化」といった領域で世界最先端の研究を行い、国内外に活動を広げるサントリーグループの研究開発を牽引しています。


内部設計は開放的でオープンなスペースを実現。


研究者同士の知の交流をうながすために各社、各部門の壁を取り払い分野の異なる研究者同士がコミュニケーションをとりながら研究できる「共同実験室」の設置。


全従業員の固定席を廃止し100%フリーアドレスのオフィスを実現している。


また最新のICT(インフォメーション アンド コミュニケーション テクノロジー)を活用することで場所と時間にとらわれない「働き方の革新」にも取り組んでいる。


さらに外部との「知の交流」を促すために前面道路と敷地の間に壁や柵を設けないオープンスペースとし、1階のエントランスから4階まで開放的な吹き抜けで繋いでいる。


1階には展示空間を設け、これまでの研究成果や研究者のプロフィール、研究内容を紹介し外部機関との交流を促し、2階にはコラボスペースを設置して、執務エリアのセキュリティを確保しながら、外部訪問者との交流を実現している。



施設見学の終わりにはサントリーグローバルイノベーション(株)渡邊礼治氏の水科学研究所の活動についてお話を頂きました。


MCEI20160807.jpeg


わたしたちのふるさとは森にありました。あらゆるいきものの命は、水によって支えられています。


「サントリー天然水の森」は森を守り、次の世代へと繋ぐ活動です。


2003年にスタートした活動は2015年現在、森の総面積約8000haで倍増計画の目標を達成し、新たな目標はサントリーの工場で汲み上げる水の2倍の地下水を2020年までに育むというものです。


森づくりを広めることで、より豊かな地下水を育むのはもちろんのこと、地域の文化や産業にも潤いをもたらしていきたいと考えている。

天の水が地の水となり、命の水は森と大地の力を借りて、長い歳月をかけて天然水へと育まれる。
大切なのは降った雨をしっかりと受け止めるスポンジ状のふかふかの土。
そしてその土を守る様々な木々が織りなす混交林。
そこに育まれる健やかな森は、多様な生物が形作るピラミッドができあがります。
この水や自然があり続ける限り終わりの無い「天然水の森」活動は未来に向けて続いていきます。
このようにサントリーグループは、創業以来グループの持続的な成長・発展のためには研究開発部門の強化が不可欠“という思いから新たな価値の創造として継続的に取り組んできた。
それは1919年創業者鳥井信治郎が社長直属の研究組織である(製品)試験所を設立し2代目社長佐治敬三が1946年(財)食品化学研究所を設立して以来続いている。
日々新たな探究、日々新たな創造。「やってみなはれ」のサントリーです。

MCEI20160808.jpeg

都市の未来は 

学研都市は3府県8市町村にまたがっており、12の文化学術研究地区や周辺地区をブドウの房のように分散配置(クラスター型)しているため、全体を統括することが難しくなっている。
各地区をつなぐ道路網は未完成で全体をつなぐ公共交通機関は無い。
立地する研究機関は理工系のものが多く、文科系機関はまだ少ない。
梅棹忠夫の「新京都国民文化都市構想」での提案を受けた「国立総合芸術センター」は現在のところ実現の目途は立っていない。
今後に期待していきたいところである。

結びとして 

消費文明都市から成熟文化都市へのターニングポイントなのか・・・

古代ローマのヴィトルヴィウスは、建築における最も重要な価値を<Utilits><Firmitas><Venustas>と定義した。私が学生の頃、それは「用・強・美」と訳されて教えられていました。
近年この最後の<Venustas>を「美」とすることにヨーロッパのある学者は異議を唱え、ヴィトルヴィウスが本来意味したのは、「美」ではなく「歓び」ではないかと主張したそうです。
この歓びは、建築家と人々を結びつける一つの接点となる概念だと思います。
美の基準は時代や地域の文化によって、あるいは個人の趣味においてすら移り変わるけれども、歓びは、より根源的な指標となりますね。
私は<Venustas>には歓びと美の両方がふくまれていると思います。
歓びが昇華されると美になるし、美はときに人々に歓びを与える。
その中で大事なのは、どちらかというと建築の姿は、美の評価へとつながっていく。
一方の歓びは、空間が与える場合が多い。

ジークフリート・ギーディオンの空間・時間・建築に対する私のエッセンスは次の宣言に集約される。

空間と建築:1.空間には外部と内部の差は存在しない。
      2.空間は機能を包括し、かつ刺激する。
      3.空間が人間に歓びを与える。 

時間と建築:1.時とは記憶と経験の宝庫である。
      2.時は都市と建築の調停者である。
      3.時が建築の最終審判者である。

もう一度都市と建築を同じ眼差しを持って同一空間として見直そうということである。

家は小さな都市、都市は大きな家なのである。 2015年 槇 文彦

Marketing of  The Future  from  Keihanna!