「水口先生のカバンを持ってアメリカ行っておいで、上司命令や」

1990年のある日、当時の上司だった大井さんこう言われました。


私は、1988年に京都の小さな印刷会社大平印刷に新卒で入社。その年すぐに東京に転勤となりました。

転勤してしばらくしてから、当時営業担当の役員だった大井さんに「君が担当するんやで」とMCEI東京支部の定例会に連れていかれました。

水口先生と大井さんは大学の同級生(らしいとのこと)で、当時「健(けん)ちゃん」「弘(こう)ちゃん」と呼び合う仲でした。マーケティングどころか東京の右も左もわからない新卒の私にMCEI東京支部の定例会は荷が重く、刺激を超えて、ただひたすら口を開けて見ているだけだったと記憶しております。

ところがその後すぐ、社内事情でマーケティング担当から営業担当に異動することになりました。水口先生に「すいません。営業担当になりましたので、もう定例会には参加できません。」と申し上げたところ、


「バッカモーン!お前は今までなにを聞いていたのか!営業こそがマーケティングの実践の場だ!これからも来い!」


と叱咤激励をいただき、それからも定例会に参加し続けておりました。


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 <ニューヨークへの移動前、アトランタの空港にて>


その翌年。前述の言葉を大井さんからかけられました。「第15回 MCEIアメリカ研修ツアー」。1990年9月29日に成田を出発し、4都市を回って10月10日帰ってくる、参加総勢36名の視察ツアー。確か、私は参加最年少だったと記憶しております。現在、大阪支部でお世話になっているK-Wodの舘岡さん(当時JMRサイエンス社取締役)もご一緒でした。(あとで、参加費用を聞いて卒倒しそうになりましたが、入社3年目の若造を送り出してくれた大平印刷には今も感謝しております。)実際に水口先生のカバンを持たせていただいたことはありませんでしたが、当時26歳だった私にとってアメリカの最先端の企業のプレゼンテーションの数々はとてつもなく強い刺激となりました。また、ただ、行くだけではなく(研修ツアーですから当たり前ですが)ミィーティングをし、レポートを書き、それがBulletinとして形に残せたのは、大きな経験となりました。ただ、その経験をその後の会社人生活でうまく活かせたかどうかは、自分ではよくわかりません。


その大井さんも今年2月に鬼籍に入られたとお聞きしました。今頃は天国の酒場で、二人で盃を交わしているかもしれません。


2022年8月4日(木)
株式会社ISSO
代表取締役 齋藤 秀雄
(MCEI大阪支部 事務局長)

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<ダラス フォート・ワース国際空港にて 水口先生>

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<サンフランシスコ某所にて 写真右舘岡氏>

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<ダラス ステーキハウス・ブッチャー前(と思われる)写真左から2人目が私>

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<帰国前 ニューヨークの空港にて>