世界の転換、パンデミックに寄せて

二〇世紀はテクノロジーの進歩により環境の変化が印象的だ。二一世紀も単線的に続くと思われた。近代以降の人々の考え方では、世界は大体理解できるものだというのが支配的だが、未知のもの・合理的理解の不能な世界がある。その外界としての世界への関心・理解はモノの価値を生み出す原則と深くかかわっていくことになる。

「見えないものに気付く」から「見えないものをカタチにする」「言葉にできないものをカタチにする」など新しい方法が必要だ。自分で見てきて、知ることが大切だ。その場に行って見るということは、やはり大きなことだと思う。仮想のイメージや複製されたもので何かを語ることは危険である。人の噂に左右されない方がいい。そうやたらに信じない、まず疑ってかかるという意識を持つこと、誰か人が何かを言ったらすぐに信じることなく、その現場に行って状況を自分の目でみようということ。この行動が実務の場での気付きにつながる。

何ごともない平和なときだったら、何が大事で何が大事ではないかというモノの価値の段階がある。資本主義社会ですら大抵のものには正札がついていて値段の高いものはいいとか、値段の低いものは良くないとか値段の段階がある。ところが戦争とまではいかないが今回の世界的パンデミックで、身近に死が迫ってくると、そういった段階が崩れる。どちらでもよくなるのである。要するに正札が取れてしまう。これは一種の価値の転換だ。見えない価値に気付くということなのだ。

2000年からMCEI大阪支部で理事をひきうけて、ほぼ20年がたった。その間の多くの気付きは私の方法論を成長させてくれた。

最後に、 「神々は異邦人のふりをして諸国を放浪する。」 ―ホメロスー

私もこのひと区切りで、旅をしてみることにする。

 

2020年5月19日

橋詰 仁