はじめに

暖冬が続く中、2月定例会は4月初旬並みの暖かさで迎えた。2月MCEI大阪定例会はgraf服部滋樹氏の講演である。2010年12月以来実に9年振りの登壇である。その時のテーマは「grafの考える“暮らし”のデザイン」であった。今回のテーマは「リサーチライティングーデザインの可能性と使い方」である。デザインをどのように日々の暮らしの中で活用していくのかという方法論である。服部氏がgrafを立ち上げてから22年にお歳月が経った。20世紀が終わろうとする時にgrafは誕生したのだ。服部さんはデザイン教育にも携わってきた。


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最初は京都精華大学の建築領域でデザインフィロソフィを教えていた。建築形態を描く前に建築を立ち上げるしくみやコンセプトが環境にどう関わっていくのかと言うことである。現在は京都造形芸術大学で教鞭をとっていて、今年で11年目を向かえている。情報デザインを基本として、21世紀となり時代が大きく変化する中で、インフォメーションからコミュニケーションへと情報デザインの中心テーマを移して「誰のために何をどの様にコミュニケーションするのか」がデザイン教育の中心テーマとなっている様だ。本日の講演の冒頭に、服部さんは身振りに言葉を添えて「林檎」を表現して見せた。そして子供の頃風邪にかかったとき、母親が林檎をすりつぶして食べさせてくれた時に話を添えて見せた。会場のオーディエンスの多くがその記憶を共有し心開かれたのではないかと感じた。服部さんの「物語」が始まった。

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graf の起源から

ここでgrafのことに触れる。服部さんが大学を卒業したのは1993年、ちょうど2年前にバブルは崩壊し「就職氷河期」と呼ばれる時代を迎えていた。このバブル崩壊をきっかけとして、これまでの社会構造に疑問を持ったことがgrafの起源となった。20世紀特に第二次世界大戦後の日本のデザインは焼け野原から始まり、デザイン=機能性のもとに生活に便利なモノを大量に生産することに突き進む。一例を上げれば本田のスーパーカブなどは戦後わずか10年で量産にこぎつけている。1960年より高度経済成長期を向かえデザイン=嗜好性のもとに様々な流行を生み出し、デザインは様々な変化を見せた。機能は同じでも表層のデザインを変えることで消費も細分化されていった。1970年代から80年代は、デザイン=豊かさでありデザイン=経済であったのだ。結果大量生産・大量消費の下にモノつくりが進められバブルが崩壊したのだ。戦後からバブル崩壊まで日本の社会は縦型であったと服部さんは感じたのだ。「縦型って、まずトップにメーカーがいて、その下に生産者がいてユーザーがいて、その中で強いのはいつもメーカー側。泣かされるのは結局、生産者なんですよね。そういう構造的な問題を考えたときに、デザインや企画をする人達も生産者もユーザーも、みんな上下のない横型のものづくりができひんかなって思ったんですよ。」grafをつくろうと思った最初のきっかけを服部さんは語る。1970年以降、ライフスタイルがとなえられ人々を様々なライフスタイルに嵌める広告が溢れ、社会はモノとコトに覆われる。生産の効率上の問題で、あらゆる分野が細分化していき、縦型の生産構造になっていったのが20世紀であった。しかし改めて考えてみれば、もともとは経済も文化も食も、全て同列に生活の中に格納されているもので、この意識をもとに考えると、自分たちがすべきは全ての基盤である「生活」と向き合い、横の繋がりを大切にすることではないかという考え方に辿りついたのだ。バブルをきっかけにして、社会ではなく生活に注目できたことは大きかったと語る。生活を基本にした上で、自分たちでものづくりをして生きていく仕組みとは何か。最初に集まった6人のメンバーは議論を重ねて、グラフの基本理念である「暮らしのための構造」という考え方が生まれた。カテゴリーにとらわれず、様々な視点を持って「生活」を考える。このグラフ独自のものづくりの発想は、立ち上げ当初に集まった、全く個性の違う異業種のメンバーが集まったから生まれたのだgrafは大阪を拠点に「暮らし」にまつわるあらゆるものをデザインしているクリエイティブ集団である。このグラフのスターティングメンバーはバラエティ豊かである。グラフィックとプロダクトのデザイナー、映像作家の他に、家具職人や大工、シェフまでいる。服部さん自身大学では彫刻を学んだ。その活動はデザイン制作から家具作り、カフェの運営、国際的アーティストとのコラボレーション、企業のブランディング、マーケット形式のコミュニティプロジェクトなど多岐に渡っている。異業種が集まりジャンルにとらわれず、独自の視点で活動している。様々なジャンルを飛び越え縦横無尽に活躍する現在のgraf。学生時代に出会った仲間に服部さんは最初に「オレ、”少年探偵団“みたいなチームを作りたいねん。」と語りかけた。

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21世紀デザインの方法論

ここで服部さんが上げるデザインの方法論について述べてみる。

Research Writing

マーケティングはニーズに応えて利益を上げること。企業が売りたいモノを売る(プロダクトアウト)から消費者が欲しいモノを売る(マーケットイン)の発想があり、このように目的を持ったリサーチが従来の方法であったが、服部さんは生産者との出合いからモノを組み立てるためにリサーチを位置付ける。このフィールドワークでの出合いからモノを組み立てていく。服部さんは事例として農業を上げる、日本の農業も代替わりして親の代では農協へ納めていた生産物を直接ユーザーへ届けるためのマーケットでの接点を求めている。2010年ある雑誌社の企画で畑づくりを始めたグラフ、不慣れな農作業で悪戦苦闘する中、周囲の農家が手助けしてくれた。彼らと親しくなる中で農家が抱える生産者としての悩みを知ることになる。「卸し先に出荷するだけの生産工場として野菜をつくるのではなく、顔の見える人達のためにものづくりをしたい。」この農家の人達の悩みを受けて始まったのが、マルシェ形式のコミュニティプロジェクト「ファンタスティックマーケット」だ。「出会い、繋がる、広がる」をテーマにしたマーケットである。デザイン事業も農業も広い意味ではものづくりで繋がっているのだ。

モノ本来の価値はネットの波及で大きく変わった。モノを目利きする能力が減衰していく中で、直接知覚できるリサーチが重要となっている。物語を服部さんは物(モノ)と語(カタリ)に分解する。かつて物が語る時代があったように楽しく語ることが大事であるという。使い方より作られ方を語ることがブランディングの要点であるという。レタスの包装もサラダの写真ではなくて生産者の顔を載せるようになっている。

Wisdom Report

暮らしの中の知恵をリサーチして、そこから得られた知恵でデザインを発送すること。服部さんが教育の現場から話された台湾の学生が暮らしの中から取り上げ発想した幾つかのデザイン事例は刺激的で暮らしを豊かにするヒントが豊富にある。蟻がテーブルに上がってこないように脚部の床との接地面に取り付けられた水を張った陶器のソーサ、皿とワイングラスとカップを組み合わせたケーキの展示台は幾つかのモノを用途にこだわらず斬新に組み合わせたデザイン、充電時に床に置かれた携帯電話を床から浮かせて位置付けるための笊、幾つかの用途やモノが組み合わされ、利害関係を超えた3者以上の関係性の提案だともいえる。21世紀のデザインは二つ以上のモノや価値を掛け合わせるクロスイノベーションを試みて、これが新カテゴリーを生むための方法論となる。

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Verb Report

動詞の連鎖で暮らしが成り立っている。経験を重ねて無意識の中に暮らしの動作が成り立っている。服部さんはアフォーダンス、アフォードを操作して暮らしに役立てていくシグニファィアとい概念をあげる。

アフォーダンスとは、動物(有機体)に対する「刺激」という従来の知覚心理学の概念とは異なり、環境に実在する動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる意味・価値であると定義される。この概念の起源はゲシュタルト心理学の要求特性と誘発性の概念にあると、この言葉を造語したアメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンは述べている。「与える、提供する」という意味の英語affordから造られた。デザインにおけるアフォーダンスは、1988年ドナルド・ノーマンがデザインの認知心理学的研究の中で、モノに備わったヒトが知覚できる「行為の可能性」という意味でアフォーダンスを用いている。この文脈での語義が、ユーザーインターフェースやデザインの領域で使われるようになった。アフォーダンスはモノをどう取り扱ったらよいかについての強い手掛かりを示してくれる。たとえばドアノブが無く平らな金属片が付いたドアは、その金属片を押せばよいことを示し、逆に引手の付いたタンスは引けばよいことを示している。これらは体験に基づいて説明無しで取り扱うことができる。しかし本来の意味でのアフォーダンスとは「動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの」の事である。近年デザインの領域で「人と物との関係性をユーザーに伝達すること」「人をある行為に誘導するためのヒントを示す事」といった意味に誤って使われていた。これを修正するためにシグニファイア(sigunifier)という言葉がある。これは対象物と人間との間のインタラクションの可能性を示唆する手掛かりのことで、デザイン用語としてノーマンによって提唱されたものである。

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結びとして

21世紀は価値観が大きく変化している。モノが成り立つ本質や作り方に興味を持つ人が増えてきた。コミュニティでモノや仕組みを作り上げる人々も増えている。しっかりと丁寧に淀みなく作り続づけられる長続きするPROGRAMが必要である。実験的行為であるPROJECT>PROGPAM>MOVEMENT>CULRTUREのサイクルである。ユーザーとかコミュニティにアクセスしプロジェクトよりプログラムを生みムーブメントに高めカルチャーとして定着させる。これが服部さんの方法論である。

ソーシャルデザインからシンバイオテックリレーションへ、腸内環境のアナロジーともいえる共生関係をどの様に生み出すかが重要となる。「僕ね、どうしてデザイナーやってはるんですかって聞かれたら、いっつもこう答えるんですよ。おじいちゃんになった時に、世界中にたくさん仲間がいたら良いと思うから。」服部さんのこの言葉こそが、幅広い分野を横断するgrafの活動を象徴的に表した言葉である。

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80年代頃まで日本のデザインは、個的な問題や表層的な形態(かたち)などの限定された範囲でとらえられ、社会や歴史との深い関わりや有用行為としての見方は希薄であった。しかし90年代以降から現在に至って、デザインは社会や生活に重要な役割と関わりを持つようになっている。また「時代を表徴するデザイン」をめぐっては様々な認識闘争が展開されてきた。この変革の時代を経て現在の状況にあるわけだ。この変化の根底にあるのは、社会・経済・政治・地球環境の構造的危機などの20世紀を支配してきた自然科学や近代主義への警鐘や、人芸性や精神性に基づくコミュニケーションと物質との関係、共同体システムや生活の変化が実は芸術や表現活動と本質の部分で密接に関連していたコトへの“気づき”として表出してきているのだ。今後さらに進展し続ける情報技術が生み出す大海原の中で、デザインの実用体系が大きく組み替えられ、それが生成される時に多くの矛盾を露呈している。それらはまさに個としての恣意性を超えたシステムの問題であり、デザイン行為という専門的技術体系を超えた情報性・認識性の問題であったりする。結論的に述べれば、いまデザインに必要とされるのは「方法」と「認識」である。現在はどこまでがデザインの領域と呼べるのか規定することは難しいが、少なくともデジタルに細分化された思考体系を、デザイナーが持つべき「認識」によって、またデザイン技術の総合性を活かすことによって、文化的手法を結び合わせてその応用によって「関係の時代」を築いていくことが重要となっている。それは人間や民族が本来持っている精神的営み、物語性などの理解への回路と応用に関与する「意匠」という意味で。