理事長の橋詰です。11月度定例会(2019/11/14)のレポートです。

はじめに

未来の消失?現在の矛盾。

今年もあと少し、11月の定例会は恒例となった日経BP総研 品田英雄氏の講演である。
ヒット商品ベスト30を見ると、年々商品の差異が曖昧となり溶け合っている様に見えるがその背景は深淵とも思える。モノもサービスもコンテンツもあり余り、新しいサービスが次々と登場し、企業は商品開発において困難な状況にある。何をどのように提供するかが難しくなっているのだ。日本人の消費スタイルは1970年代に過渡期を経て現在に至っている。70年代は商品が品質訴求から、イメージ訴求へと変わっていった時である。品質訴求の時代は「モノ」そのものの「良し悪し」をつたえ、新しき良きモノを売れば良かった。そこには新しい情報があるから、消費者もその情報を待っていてくれた。
次にくる1980年代から企業が生み出す製品の品質が上限に近くなっていく。言い換えると、メーカーが生み出す製品の基本品質の差が無くなり横並びとなる。品質が微差となると「モノの良し悪し」が届かなくなり、訴求ポイントは、「モノ」から「コト」へと移行した。消費者は「好き」か「嫌い」かで、商品を選択するようになった。商品はイメージ化に向かい、工業製品であってもファッション化せざる得なくなった。
MCEI20191101.jpeg
ここで時代を60年代に戻してみる。1958年から50年位の間に日本人の「心のあり方」に表には表れにくいが大きな転換があったのではないかという仮説がある。1950年代、60年代、70年代位までは青年たちにとって現在よりもずっと素晴らしい未来が必ず来るといった、「当然の基底感覚」が確かにあった。それがどの様な未来であるかについて、イデオロギーやヴィジョンが対立し、世代間で闘われてもしていた。しかし21世紀の現在このような「未来」を信じている青年はほとんどいない。
1973年以降5年ごとに行われてきたNHK放送文化研究所による「日本人の意識」調査のデータによると、現在日本を構成する世代を15年ごとに「戦争世代」「第一次戦後世代」「団塊世代」「新人類世代」「団塊ジュニア世代」「新人類ジュニア世代」と分類し、各世代の各時点の意識の変化を示す表があり、この表で「星座」のように見える一つ一つの塊は調査時点の「意識」の在りかを点で表示し結んだものである。この「世代の星座」が最近になるほど接近しているという事実が浮かび上がる。「戦争世代」と「第一次戦後世代」と「団塊世代」の意識は大きく離れているが、「新人類世代」と「団塊ジュニア世代」は一部が重なり、「団塊ジュニア世代」以後はほとんど混じりあっているのだ。現在における世代間の精神の「距離」は「新人類」以降差異をなくしているのだ。1970年代にあった大きな「世代の距離」が80年代末に著しく減少し、今世紀に入ってほとんど「消失」しているのだ。「70年代以降に生まれた世代の間で感覚の差異が無くなってきている。」この事実はファッション界でも、教育の現場でも商品開発の現場でもすでに語られてきたことである。

品田氏が上げる社会変革のためのキーワード

今回、品田氏は商品開発において、三つの社会的課題を挙げている。高齢化、非婚化、多文化共生である。
MCEI20191102.jpeg
まず高齢化についてである。世界的な高齢化傾向によって、世界の人口動態は未知の領域にさしかかり、世界の人口と社会が変化している。この強烈な実態による社会経済的負担は専門家や政策立案者に警鐘を鳴らしている。元米国国務長官のピーター・ピーターソンは人口高齢化を「化学兵器、核拡散、人種間紛争による脅威よりさらに重大で確実な脅威」と称している。(Peterson1999)

日本は世界でも最も高齢化の進んだ国として突出した地位につけてから35年目を迎えていて、現在、高齢化社会がもたらす大きな社会経済的負担に対応している。2018年(平成30年)時点の内閣府データによると、日本の総人口は1億2632万人でこのうち65歳以上の高齢者は3562万人で、総人口の28%を占めている。高齢化社会の推進要因は人口統計的な要因が強く結合して高齢化の波を突き動かしている。
日本のベビーブーマー世代(1947〜1949年生まれの団塊の世代)が高齢化し、2012年には65歳の通常退職年齢に達することが、日本の人口動態の変化を誘発する要因として大きく働いた。この世代が高齢者になるにつれ、その集団の人口に占める大きさが、日本の人口ピラミッドの形を大きく変えた。また出生率も、この世代の誕生の後は徐々に低下していった。1949年(昭和24年)の第一次ベビーブームには約260万人を超えたが1989年(平成元年)150万人を切り、2065年には56万人まで減少すると見込まれる。人口減少も進み2030年には1億2000万人を割り込み、2055年には一億人を切ると予測される。

この急速な高齢化は日本における主要な公共政策の課題となっている。大きな問題は労働年齢の減少である。1950年では高齢者1人を約12人で支える計算であったが、2015年には高齢者一人を2.3人で、2065年には高齢者一人を1.3人で支えることになると予測されている。経済活動の担い手である労働人口の減少が常態化すると経済にマイナスの負荷がかかり続ける、「人口オーナス」である。逆に高度成長期は生産性の上昇と労働人口増加で成長率が高まる。この状態を「人口ボーナス」と呼ぶ。「人口オーナス」は国内市場の縮小と人々の集積やイノベーションを起こしにくくし、それによって成長力が低下し、労働力不足がワークライフバランを崩し、少子化が更に進行するという縮小スパイラルを引き起こす可能性がある。
MCEI20191103.jpeg
二つ目は非婚化についてである。男女ともに高学歴化が進み、大学卒業後一定期間社会経験を積むまでは結婚を控えた方が将来の所得増につながるという説は経済学的定説となっている。女性の社会進出が進む現在では、夫の収入のみに依存するのは女性にとってリスクが高すぎる。また健康状態が良くなって寿命が延びたことも晩婚化の原因と言われている。「健康で体力のあるうちに子供を産み育てなければ」というプレッシャーは極めて少なくなっている。1950年の日本では全体の97%が自宅で出産、出産に伴う生命の危険も高かったという事実を見ても理解できる。社会全体の意識の変化も大きい。30年も遡ると就職する女性の多くは「結婚までの腰掛け」という社会的通念のようなものがあった。この一方的な価値観の押し付けが薄らいだことも晩婚化の原因の一つである。都市部と地方を比較すると、一般に都市部のほうが晩婚化・非婚化が進んでいる。都会だと同程度の学歴や収入のある異性が周りに多勢いるので慌てて結婚する必要性を感じないのだ。「いくらでも相手がいる。」と絶対数が多いことによって誤解するのだ。都心部への人口流入はいまだ止まらないので、「非婚化・晩婚化」は将来的にも進んでいくと思われる。

この次の世代をどのように形成していくかに大きく関わる問題を、性別差の観点から考えてみる。結婚に関する個人主義は「結婚は個人の自由であるから、人は結婚をしなくてもどちらでもよい。」という意識で表現される。他方、結婚に関する伝統主義・保守主義として全ての人は当然結婚するものだという皆婚主義がある。男性については「結婚して一人前」などと表現され、女性については「女性の幸せは結婚にある。」といった意識である。結婚至上主義ともいえるこの意識はどちらも性別役割意識、ジェンダー規範を含んでいる。これらの意識は1990年代後半より、個人主義が強くなり各人の結婚感を非婚へと向かわせる基盤条件となっている。晩婚化、非婚化はどのような階層においても進行した、より一般的な意味を持つ社会変化と言える。これは多くの曲折はあるとしても、基本的には結婚含む社会関係が全体として自立した個人の人間関係へ変化する過程と言える。また女性の社会的地位向上の過程ともいえる。現在の日本では晩婚化、非婚化として表れている。米の第二の人口転換と言われる過程は、同様の本質を持つものであるが、比較的多くの国で同棲が増加し、出生率低下を緩和している点は日本と異なっている。今後日本の社会変化がいっそう進行し、この変化が持続して個人の平等が醸成されていくことによって、晩婚化・非婚化の問題も緩和されていく可能性も現段階では考えられる。
MCEI20191104.jpeg
三つ目は「多文化共生」について。日本に暮らす在住外国人は、近年増加の一途をたどっている。外国人登録人口は平成30年末に273万人にも達している。前年末に比べ16万9245人(6.6%)増加となり過去最高である。平成18年3月には、総務省が設置した「多文化共生の推進に関する研究会」が「多文化共生プログラム」を公表し、在住外国人の生活環境整備に向けて省庁横断的な検討が始まっている。経済のグローバル化や人口減少の進展の中、在住外国人の数は今後も増加が予想される。また、在住外国人が日本に定住する傾向が強まるとともに日本で育つ在住外国人の子供も多くなっている。在住外国人への対応については様々な考え方がある、在住外国人はあくまでも一時的な滞在者であり、滞在中の生活についてはそれぞれの母国が対応すべきであるという考え方から、日本社会への同化を求める考え方までである。日本の現状を考えれば多文化共生は、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め、対等な関係を築こうとしながら、共に生きて行くこと」と定義した方が望ましい。すなわち、在住外国人を日本社会の構成員として捉え、多様な国籍や民族などの背景を持つ人々が、それぞれの文化的アイデンティティを発揮できる豊かな社会を目指すことである。

この「共生」という概念に関連して近年注目されるのは、インクルーシブ教育がある。1990年前後からアメリカやカナダを中心に広がり始め、1994年の特別教育に関するサマランカ声明でインクルーシブな学校が提起され国際的な市民権を得た。この教育における考え方は人間の多様性の尊重を強化し、障碍者が精神的および身体的な能力等を可能な限り最大限まで発展させ、より自由な社会に適切に参加することを可能にすることを目的とするものである。障害のある者と傷害の無い者が共に学ぶ仕組みで、インクルージョン教育とも呼ばれる。この教育の実現を通して、共生社会の実現に貢献しようという考え方で、2006年12月の国連総会で採択された障碍者の権利に関する条約で示されたものである。日本でも同条約の批准に向けて2011年8月に障碍者基本法が改正され、「可能な限り障碍者である児童及び生徒が障碍者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮」(16条)を行うことが示された。
MCEI20191105.jpeg
結びとして、グローバルシステムの危機、あるいは球の幾何学

日本人の消費スタイルは、物質から非物質へ、所有から共有へ、ブランドと持続的な関係から刹那的な関係へ・・・・というように捉えどころのないものに変化しつつある。「液状化消費」と呼ぶ人もいる。建築家・槙文彦は建築デザインと様式の現状を「モダニズムの後、建築様式はまるで大海原を漂う粒子の様だ。」と表現する。1970年代までの人々の歴史意識、歴史感覚は歴史というものはある速度を持って進歩し発展するものだ。という感覚であった。この感覚には客観的な根拠がある。エネルギー消費量の加速度的な増大という事実である。<「世界エネルギー消費量の変化」環境庁長官官房総務課編>しかし冷静に考えてみると地球という閉じられた環境圏域で、このような加速度的なエネルギー消費の進展を永久に続けられるものではないことは明らかである。人類はいくつもの基本的な環境資源を今世紀前半の内に使い果たそうとしている。われわれのミレニアムは、2001年9月11日に世界貿易センタービルに激突する数分前の航空機に例えられるのでは。生物学者がロジスティック曲線と呼ぶS字型曲線がある。成功したある種の生物種は繁栄の頂点の後、滅亡に至る。地球という有限な環境下の人間という生物種もまたこのロジスティック曲線を逃れることはできない。現実構造である。

1960年代までは地球の「人口爆発」が問題であったが、20世紀末には反転してヨーロッパや日本などの先進産業国では「少子化」が深刻な問題となっている。世界全体の人口増加率の数字は1970年を尖鋭な折り返し点として、以後は急速にかつ一貫して増加率を低下させている。現在は「近代」という巨大な人類の爆発期を経て未来の安定平衡期に至る変曲ゾーンにあると見ることができる。「現代社会」の様々な矛盾に満ちた現象は中国やアメリカのように「高度成長」をなお追及し続ける慣性の力線と、安定平衡期に軟着陸しようとする力線が拮抗するダイナミズムの種々相と読み取れるのでは。
MCEI20191106.jpeg
余話として

コトという幻想、もしくは虚構の時代へ、そしてミレニアルへ・・・

高度経済成長期から脱高度成長期に至る時代の青年たちの精神の変化について、現場からの報告として三浦展によるアクチュアルな現場からの報告がある。三浦氏は高度経済成長期の頂点ともいえる1980年代のリッチで華麗なる消費文化を主導してきたPARCOの「アクロス」誌編集長としてこの時代の若者達の動向を定点観測して発信してきた。1990年にPARCOを退社、バブル崩壊後も定点観測を「続け、持ち前の鋭敏な現場感覚で得た情報を発信し続けている。三浦氏の主要な関心は若者たちのライフスタイル、ファッション、消費行動である。高度経済成長期終結後の三浦氏の観測は、2009年「シンプル族にお反乱」(KKベストセラーズ)と2016年「毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代」(光文社新書)でまとめられている。キーコンセプトはシンプル化、ナチュラル化、素朴化、ボーダレス化、シェア化、脱商品化、脱市場経済化である。以下この二著からキーワード、項目を挙げてみる。お金があっても質素に暮らすことがカッコイイと思われる。物をあまり消費しない。使わないものをため込むのはもったいないと考える。好きなものだけ部屋に置き、あとは物を買わない。共有で済む物は共有する。手仕事を重んじる。手作りを好み、既製品を自分で手を加えたい、改造したい。暮らしの基本である衣食住を大切にする。便利な物に依存せず、昔ながらの方法で暮らし、大事なものに手を入れる。

自動車離れが進んでいる。自転車の人気が上昇。この消費者達に集まってもらい、どんな商品が欲しいかとインタビューすると「余計なデザインをするな、余計な色を付けるな、余計な機能を付けるな、ゴテゴテさせるな、何もしなくてもいい、普通がいい。」という声ばかり聞こえる。カルチュラル・クリエイティブズ=シンプル族は「進歩(モダン)の終わり」の人間像。大衆消費社会が終わり、シンプルライフ志向が拡大しているのだ。シンプル族の生活志向は1エコ志向2ナチュラル志向3レトロ志向・和志向4オムニボア志向(様々な文化を自由にお生活に取り込んで楽しむ。)5ソーシャル・キャピタル志向である。
MCEI20191107.jpeg
1970年は日本万国博覧会が大阪で開催された。この年を基点に高度経済成長期が大きく転換していき、消費経済は成熟化し現在に至るわけである。1980年から2000年まではある意味、時代が尖っていて、この時代の商品も個々に際立ち、尖鋭化して見えたと思う。今、消費社会を主導する世代は1980年から2000年の間に生まれたミレニアル世代である。あらためて今思うことは、実務者は現実の現場に出て定点観測を怠らず、その時々の時代の年縞を明らかにして次の時代に備えることが大事であるということ・・・。