はじめに
2019年7月は梅雨が明けていない。西日本や対馬、五島列島では台風の影響で線状降水帯が断続的にかかり、かなりな雨量となっている。今月のテーマは「スポーツ来し方行く末」である。

講師は神野元宏氏、ミズノ株式会社ライフ&ヘルス事業部所属である。神野氏は1975年神戸市生まれで1998年にミズノ株式会社に入社している。2002年より国内営業、2016年商品企画、2018年経営企画を経て2019年前半までスポーツ庁に出向していた。現在は事業企画でマーケティングに関わっている。
スポーツ業界には20年間在籍していて、その間神戸大学社会人大学院でMBAを取得している。<余談であるが神野氏は卒業論文でワコールのCWXをテーマとして取り上げていただいた。>神野氏はこのスポーツ業界にいながら、トップアスリートをシンボリックにイメージした、(例えば野球のイチロー選手や、サッカーの本田選手だが)スポーツビジネスはこれから、あまり拡大しないという個人的見解を持っている。

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これが今回のテーマに繋がっている。神野氏の国内営業のキャリアの大半は“シューズ”を手掛けてきた。ランニングやウォーキングが社会の健康志向の拡大とともに普通の日常に浸透していく中で、多くの市民ランナーやウォーキング愛好者と接するなかで、スポーツは特別なアスリートを中心とするものではなく、「日常生活をより快適にするもの」という見解を持つにいたった。「上手な人でないとそのスポーツに取り組む価値はない。」ではなく普通の人でもそのスポーツに取り組む価値を感じられる様に、そして競技から離れた日常や家庭でも楽しむものへとスポーツの価値観を転換していく必要性があるという。スポーツへの一般消費者の意識も変化していく中で、一流のアスリートの在り方も変わってきた。一般の人々に近いところでより自分事としてみてもらい、そのなかですごいと思ってもらう、いわゆるアスリートの人となりのほうが注目されるようになってきた。アスリートの在り方も明らかに変化し、イチロー選手は多くの人々にとって生き方のお手本となっている。

スポーツ庁
スポーツ庁(JSA)は、文部科学省の外局として2015年10月1日に設置された行政機関で、複数の省庁にまたがっていたスポーツ行政を一本化し、文部科学省のスポーツ・青少年局を母体に設置された。初代長官は鈴木大地氏で、長官の下に次長及び審議官が配され、競技力向上化、スポーツ国際課など5つの課が配置されている。スポーツの振興その他のスポーツに関する施策の総合的な推進を図ることを任務としている。同時に障碍者スポーツの管轄が厚生労働省の管轄から移管され、福祉ではなく競技としてとらえ、パラリンピックに向けて2019年度は20億円が選手強化に充てられる。

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スポーツ庁創設の大きな動機になったのは、いうまでもなく2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催決定であるが、もう一つ大きな動機として上げられるのは「健康増進に向けたスポーツ機械の確保」が上げられる。加速度的に進行する高齢化で社会保障負担の増加が現実となり、この問題の深刻化が予測される中、スポーツには「健康寿命増進」の役割が期待されている。

また関連して「健康経営」は生産性向上とコンプライアンスの機運が高まるなか、この概念が生まれてきた。経済産業省が定める顕彰制度により、企業の構成員の健康増進・維持に積極的な企業を可視化することにより株価にも影響すると言われる。健康経営優良企業は積極的にスポーツと関わっていく分けだ。

<2040年度の社会保障費は対GDP比で24%に上昇する、2015年度は15%である。>

スポーツ庁は「スポーツSDCs宣言」もだしている。これは国連の「持続可能な開発」のための2030アジェンダ」においてスポーツは社会の持続的な発展に寄与するという認識を示し、これにスポーツ庁が呼応したものである。

スポーツ庁とその取り組みについて述べたい。スポーツ庁は「未来投資戦略2018」での答申で2015年に5.5兆円のスポーツ市場規模を2020年までに10兆円、2025年までに15兆円に拡大することを目指している。施策として「ゴールデンスポーツッヤーズ」を契機とした成長戦略が上げられる。2019年ラグピーワールドカップ日本大会、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会、2021年ワールドマスターズゲーム関西と大きな催しが続く。

国は「コストセンターからプロフィットセンターへ」を掲げてスポーツ産業を経済活性化施策の一翼に位置付けている。日本においてスポーツは「体育」として翻訳されて以来、体育=コストセンターとしての位置づけが文化的側面において定着してきた。「体育」は教育において青少年の健全な精神と肉体を育むものとして神聖視されてきた。スポーツ庁が2018年3月に出した「新たなスポーツビジネス等の創出に向けた市場動向でも学校教育とその対極にある公営事業は除外されているが、2025年度に目指す規模、その内訳をみてみるとスタジアム・パラリンピックアリーナ改革は3.8兆円(2015年度は2.1兆円)、コンテンツ&新規ビジネス1.4兆円(2015年度0.3兆円)、スポーツ用品産業改革3.9兆円(2015年度1.7兆円)、IOT改革&スポーツ周辺産業改革6.0兆円(2015年度4.2兆円)となっている。

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マクロ環境変化におけるスポーツ
スポーツを社会のマクロ環境変化において眺めてみると、いくつかの事象に気づく。

一つは「体験」できる環境、いわゆるモノからコトへという傾向である。例えば野球の競技者が減少し、競技者も減少する中で、テレビの視聴率も低下しているにもかかわらず、プロ野球の球場への観客動員数は増加している。カープ女子などに見られる様に、野球のルールを知らない人でも、球場に出かけてスタジアムでの一体感ある応援を楽しんでいる。甲子園でもしかり、都市対抗野球では競技者にも増して練習を積んだ応援団が互いにエールを交わし、球場での一体感を味わい、それぞれの街の活性化にも繋がっている。この流れの中で運営側、提供する側もイベント性のある試合、イニングの間のイベント、スタジアムの仕掛けや応援スタイルに競技を観戦するだけではない、ただ見るだけ以上の「体験価値」が得られる、顧客参加型のサービスを考えて提供している。このように野球場は観客動員を増加させているが、J1のサッカー場の観客動員数は現時点で横ばいである。各地では多目的アリーナが計画され整備されている。

沖縄市多目的アリーナ:沖縄市が計画する1万人規模を収容する、米国型多目的アリーナ。政府がスポーツ産業成長の目玉として推進する「スタジアム・アリーナ改革」のモデルケースで、2020年開業を目指す。

ザビオアリーナ:「あすと長町1街区13画地プロジェクト」のアリーナ棟として2012年に開業。収容人員スポーツ時4000人、イベント時6000人、長町副都心に位置する。

北海道ボールパーク:建築面積5万平方メートル、収容人員3万5千人、地下一階の掘り込み式フィールドを基点に地上4階まで観客エリアが広がる。屋根は二枚構造で一枚は可動する。周辺環境との調和を第一に考えた地域に溶け込んだデザインである。2023年開業のライブエンターテイメント空間である。

マクロ環境変化の二つ目は体験拡張と身体格差縮小である。すでにVR(バーチャルリアリティ)とAR(オーギュメントリアリティ)の進化と普及である。バーチャルリアリティーはコンピューターによって作り出された世界である。人口環境を現実として知覚させる技術で時空を超える環境技術であり、人の認知を拡張する。コンピュータグラフィックスで提示するものと、現実の世界を取得し、ユーザーに提示するものとに大別される。

後者のユーザーが直接知覚できる現実世界の対象物に対して、コンピューターがさらに情報を付加する場合を拡張現実(AR)や複合現実(MR)と呼ぶ。現在のバーチャルリアリティーは3次元の空間性、実時間の相互作用性、自己投射性の三要素を伴う。

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エンターティメントだけでなく、トレーニング用とでVRを活用する仕組みも提案されており、この技術的な進化に伴い、スポーツ業界にとって強力なコンテンツのシーズとなっている。義肢・装具の発達も進んでいる。義足の走り幅跳びの選手マルクス・レーム(ドイツ)が持つ障碍者(T44クラス)世界記録の8m47はロンドン五輪・北京五輪優勝記録を上回り、義肢・装具の性能向上とパラスポーツのトレーニング技術の向上を示した。再生医療技術も急速に進歩しており、2019年にも実用化されると言われている。

「悪いところは取り替える」という時代が見え始めている。マクロ環境変化の三つ目はエレクトロニック・スポーツ(e-SPORTS)の台頭である。コンピュータゲーム(ビデオゲーム)をスポーツ競技として捉える際の名称で、e-SPORTSはLANパーティーの中から生まれたとされ、欧米では1990年代後半から高額な賞金がかけられた世界規模の大会も開催され、参加者はアマチュアから年収1億円を超えるプロゲーマーまでいる。

2018年頃より、複数のプレーヤーが競う通信対戦型コンピュータゲームをスポーツと捉える考え方が急速に広まり認知度を上げている。e-SPORTSが「スポーツ」であるという理由については、議論のただ中であり、定義は定まっていない。共通のルールの元、人間同士が競い合う緊張感とスピード感を競技スポーツの魅力の源泉とするなら、e-SPORTSはスポーツと言える。

スポーツが遊びを起源に発展したように、新しいエンターティメントとして根付く可能性も大きい。先に述べた、VR・AR技術の進化によりスポーツとゲームの境界がますます曖昧となり、融合が進めば身体活動を伴う次世代のe-SPORTSが登場する可能性も大きい。世界市場規模は700億円、視聴者数は2017年に3億8500万人と言われており、興業としての可能性に注目が集まっている。2018年ジャカルタでのアジア大会、2018年茨城県の国体では、正式種目ではないがe-SPORTSの競技が開催された。

スポーツの起源と語源
人間が動物と分化した後、狩猟採取の手段として槍や石などの道具を使い始め、次第に生きるために必要な活動から解放されていく過程で舞踏などの身体文化やスポーツが生まれたという説がある。文字での記録がなされる以前の未開社会でスポーツが行われた直接的な証拠は乏しいが、フランスにあるラスコー洞窟やアフリカ、オーストラリアなどにある3万年以上前の先史時代の洞口壁画に描かれている内容からスポーツに類似した何らかの活動が推定される。

当時採集活動に費やす時間は一日平均3時間で、残りの時間を余暇の時間に当てていた、彼らは人類の歴史の中で最も余暇に恵まれた人たちである。経済生態学者サーリンズは「最初の豊かな社会」と呼んだ。

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Sports(スポーツ)の語源はラテン語のdeportare(デポルターレ)この語は、日々の生活から離れること、すなわち気晴らしをする、休養する、楽しむ、遊ぶ、などを意味した。もともとは「ある物を別の場所に運び去る」が転じて「憂いを持ち去る」という意味、あるいはportare「荷を担う」の否定形「荷を担わない、働かない」という語感の語である。これが中世フランス語のdesporter「(仕事や義務でない)気晴らしをする、楽しむ」となり英語のsportsになったと考えられる。

この語源としての意味は今でも保持されているが、意味するものは時代とともに多様化してきた。17世紀から18世紀の西欧におけるSPORTSは伝統的貴族や新興階級のジェントリーの特権的な遊びである狐狩りや競馬、そしてディベート(弁論)歌劇や合奏の競演、カードゲームや盤ゲームなど多岐にわたっている。しかし19世紀に入ると権威主義に対抗した筋肉的キリスト教(Mascular Christianity)運動や、運動競技による人格形成論が台頭し、貴族階級から解放された労働階級によるスポーツの大衆化が進んだ。近代になると統括組織(競技連盟など)によって整備されたルールに則って運営され、試合結果を記録として比較し、娯楽性よりも記録の更新をよしとする競技第一を意味するようになった。日本でも国民の身体的健康を目的として運動競技=体育=スポーツを推奨し、現在にいたっている。

結びとして
神野氏によれば、近代以降社会に定位されてきた近代スポーツ(競技スポーツ)のスポーツパフォーマンス重視という価値が相対的に低下していると言う。「上手になりたいとか上手い人に憧れる。」ではなくスポーツがもたらす価値を享受したいという願望に変わってきた。自身の健康長寿であるとか身の回りの身近なコミュニティを形成ということであるとかに。そして「高い技術を見たいとか感動のシーンが見たい」からスポーツのその場の雰囲気を楽しみたいとか一体感を味わいたいという衝動が強くなってきている。また「勝負に勝てるように応援したい」から甲子園や都市対抗野球のように地域の一員として応援したい、ビジネスとして支えたい、など動機が明らかに変化してきている。

この様に社会の成熟と技術の進歩は、スポーツの今までのネガティブな動機「やらないと〇〇になってしまう」からポジティブな動機「やれば〇〇になれる」という創出することに変わってきたのだ。
最後に人類学の観点から、加藤周一「私にとっての20世紀」から引用したい。

現在人類学が知っている社会というのは、大体、新石器時代の水準の社会です。オーストラリアにもアフリカにもある。人類学者はそういう所を観察して分析して、研究している。そこで、古典的な人類学者の一人、マリノウスキーは、そういう新石器時代の社会では、いろいろな社会組織があったり、いろいろな神話が作り出されている。そういう人間の活動をどういう力が動かしているのか、何のためにそういう行動に出るのかということを考えた。

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どういう言葉を使うにしても、その根本的衝動は、食べることである。個体維持のために絶対必要である。もう一つは、種族維持のため。個体は死んでも、その種族が伸びていくためには子供をつくらなければならないから、性的な欲望というのは、食べ物の欲望と同時に、二つの基本的な動機だと考えた。マリノウスキーの考えは、ずいぶん長く受け入れられていた。

ところが「それだけではない」という考え方を出したのが、レヴィストロースです。レヴィストロースは、食欲とも性欲とも全然関係なくて、やはりそれと並ぶような、つまり個体維持本能や種族維持本能と並ぶぐらい強いもう一つの欲求があって、人間はそのために行動するといった。その欲求というのは、環境を理解したいという要求です。環境というのは、縮小、伸縮する。ある人にとっては、世界の全体が環境だし、ある人にとっては、自分の家族だけがその環境だということもある。人間の文化活動には、自分の身の周りの小さな環境だけではなくて、それを超えてもっと大きく理解しようとする要求がある。それが文化的衝動です。

スポーツも人間の環境における「文化的衝動」なのだ。