はじめに
6月のテーマは「編集」である。
毎年6月はMCEIの年次総会がある。今年の定例会を運営するために、テーマを提示した。昨年に引き続き「気づく」をテーマとしたが、「機械(AI)にはできない目に見えないものへの気づき」を付け加えた。おそらく今回の藤本氏の「編集」の話はこの年間テーマと強く繋がると思う。はたして「編集」とは何なのか、どこで私たちが提示した年間テーマとつながるのか、興味深々である。

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藤本氏のことから

藤本氏が主催する有限会社りすはRe:s(りす)からきている。この不思議な社名の由来はRe standard で「新しいふつう」を提案するという意味である。

藤本氏はバブル経済が崩壊した後に社会に出た世代で、ジェネレーションYもしくはミレニアル世代の少し手前である。大手企業やメディアが東京に一極集中する中で、12年も前から雑誌の編集にかかわることで「地方がいい」を特集し続けている。

地域の活動や人にかかわりながらの活動である。藤本氏の世代は右肩上がりの経済を知らないし、そのことを信用しない。人口減少に歯止めがきかず、日本全体が縮小していく中で、目先の利益を追い求めて成果という数字を上昇させる活動は不毛であると言い切る。

フリーペーパー「のんびり秋田」の編集長は4年務めている。少子高齢化世代のトップランナーとしてローカルに関わっているのだ。
なぜ東京のメディアが発信する情報が大量に全国に伝えられるのか、例えばオホーツク地方に東京のことばかりが伝えられても、いかがなものなのか素朴な疑問を発する。このような流れの中で関西に拠点を置く自分が「のんびり秋田」というフリーペーパーの編集を手掛けている。地方と地方が相互に行き来して、次の世代に必要なビジョンは時間をかけて発酵させておく。おりしも47都道府県の発酵文化の展覧会が渋谷のヒカリエで開催された。これも藤本氏が手掛けた仕事である。藤本氏の取材スタイルはアポを取らない。現場は常に自分が想定していたものと違うのだ。クライアントがいて、内容があらかじめある方向に決められている、そのような方法を藤本氏は取らない。自分が作る雑誌は100%自分の思いを繁栄させたいからだ。ダイワリ(台割:設計図)なし、行ってみなければ分からない、藤本氏の編集の流儀である。

「のんびり秋田」は年4回発行される、“行ってみないと分からない“取材に出かける中で秋田は食材を何でも寒天で固めることに気づく。

 

現在の寒天は粉寒天が主流だが秋田のお母さんは棒寒天にこだわる。昔ながらの棒寒天は長野県が生産量日本一だ、12月中旬から2月初旬まで諏訪湖の周りには棒寒天が並び、日差しを受けてガラス棒の様にキラキラ光り、美しい風景を現出させる。

しかし、寒天作りは重労働である、真冬の極寒の季節の手作業である。全国的に棒寒天の消費量が減る中で、消費量は仙台に次ぎ秋田が多い。生産地は疑問を抱いたが”のんびり秋田“の誌面を3分の1占めた長野県茅野市の棒寒天づくりの特集が藤本氏によって編集され、何でも寒天で固める食文化を持つ秋田と寒天の一大生産地の長野が結びつくことでその疑問は解消された。「うちもいいけどきみもいい」競争ではなく、互いの相対価値を認め合うことの大切さを「編集力」は示したといえる。”なぜ秋田のお母さんは寒天を作るのか“この疑問は雑誌の特集を作ることから始まり、生産者と消費者をつなぎ”秋田名物天使の寒天“グランプリというイベントに展開した。秋田のお母さん、りっちゃんは「おしん」がコメディと思えるぐらいつらい嫁であったという。姑の味を粛々と作る中で寒天だけは自分の自由に作れたのだ。秋田の嫁のクリエイティビティだ。究極のローカルメディアは自分自身、様々な影響を受けて自分がある。この「原点」を取材することによりマスメディアから距離をとることが必要だと藤本氏は語る。

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もう一つ藤本氏の話で“すいとう帖”がある。
30代のとき西天満に事務所を構えていたが、その事務所は路面に面していて、近くの西天満小学校の通学路にあたっていた。ある日、下校時に興味シンシン事務所に入ってきた女の子がいた。その女の子は水筒を持っていて、事務所の椅子に腰かけて飲み始めた。そのお茶を藤本氏に勧めたのだが、お茶はキンキンに冷えていて、藤本氏の直感を強く刺激し記憶に残った。この体験が“原点”となって“すいとう帖”ができたのだ。偶然にも西天満界隈は大阪ガラス発祥の地でガラス職人がたくさん住んでいた。魔法瓶はもともとガラス製の真空のガラス瓶でつくっていた。

全日本魔法瓶工業組合もその辺りの雑居ビルに存在していた。そこで知り合った理事が理事会に“すいとう帖”を紹介した。これが象印マホービンとのご縁となった。象印マホービンにしてみれば、創業の原点にかかわる編集内容を藤本氏が作っていたことに強く心を打った分けだ。藤本氏は“すいとう帖”がゴールなのではなく使い捨て文化に疑問を持ち、皆が自分の水筒を持てば良い、このビジョンの実現がゴールなのだ。

「マイボトル」は東急ハンズで販売され定着した。象印とは12年かけて商品化にこぎつけた。コップ付き水筒は売れないという社内near既成概念のためである。時代は資源も経済も限られ、閉じられる中で共有(シェア)の社会となった。西天満小学校の女の子の一言「お茶飲む」から始まった。観察するためには仮説⇔アブダクション≫が必要になる。だからあらゆる発見の前にもう考えている状態がある。「編集」が仮説的な何かをつくらなくてはならないとすると、編集者は仮説提示できる状態を手に入れておかなくてはならないのだ。

 

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編集と情報

ここで、編集と情報について、陳べておきたい。

一般的に「編集」という語を英訳すると、editとなる。この編集は、著作物の修正・注記・改変・削除などの権限を伴う。編集者が行う業務である。編集実務が職業として独立するのは日本においては、明治以降である。それ以前は著作家と編集実務を担当する「編集者」は未分化であった。現在では職務の幅も広がり、出版会の編集者は、単に原稿のやりとりや印刷、製本の支持だけではなく、企画立案から、著作者に資料提供や助言を行うプロデユーサー的な役割も担っていることが多い。だから、Editingな編集作業の本質は、純粋に編集者の脳内に存在する。他の分野の編集でもその側面は在り、「手元になにもなくてもできる」という強い傾向を示す。

編集は、あらゆる場面に潜んでいる。生活や仕事を駆動させているのは編集の力である。記憶と想起、選択と行動、認識と表現といった情報のIN/OUTの間に潜む営みを「編集」と捉えることもできる。編集は、情報に関わる創造的行為であり、コミュニケーションの奥で駆動するエンジンである。

次に情報である。情報という用語は、対応する英語がinformation,名詞形はinformで心においてform(形)を与える、といった意味があり、語源としてはラテン語のinformationem=心・精神に形を与えるである。ギリシア語のeidosという語もプラトンのidea論にも遡ることができる。このように歴史的に哲学的な意味を継承しているが、近代ではあるものごとの内容や事情についての知らせのこと、意味の事象、事物、過程、事実などの対象について知りえたこと、つまり「知らせ」の意味として広く使われてきた。

20世紀において、1940年代までの日常語としては、諜報と近い意味とみなされなんらかの価値あることを知ったとき「情報を得た」といったように用いられてきた。<価値>特に短期的なものと結びつけられて<情報>としていた。この概念は文字、数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受けての状況に対する知識をもたらし、適切な判断を助けるものとして周知のようにコンピューターの発明以降「情報社会」「情報時代」として膨らみ続けている。また、生体が働くために用いられている指令や信号のことも意味する。生体の神経系のそれや、内分泌系のホルモン情報などの生態シグナルの他にも、遺伝子に保持されているもの、あるいは生命が生きる過程で遺伝子や細胞内に新たに書き加えられたり、書き換えられたりするもの、他にも環境内での音や光、生命に与えうるあらゆるものを「情報」とみなすことができる。この「ゆらぎ」ともいえる生命体が発する情報も「編集」を考察するにあったてヒントとなる。

 

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身体知(ソマティック・センシング)と「見立て」
編集に関連付けて有効な方法を二つあげてみたい。身体知と「見立て」で、これは私の専門である空間デザイン、設計でも導入する方法でもある。

私たちが好むと好まざるとにかかわらず現在大量にインストールされている知識の中には、かなり片寄りがある。多矛盾性や二律背反するもの、「それではないもの」というような「余分」が入っていない。それが私たちのインストールを固定化している理由である。「何かでありながら、そうではない」という状態を嫌う傾向が強い。

一つの大きな防波堤として身体を使うしかない、身体知(ソマティック・センシング)の状態をいつも自分に横溢させておく。身体知は定位性をもたず、つねに「ゆらぎ」の中にある。無意識にいろいろな情報を漬け込んでおくことが大事になる。ありきたりな情報の摂取だけではなく、直感的に「これとこれはつながっているだろう」と選び取ったものを仕入れて、自分なりの表現としてミックスしてみる行為が重要となっていく。

既存のシステムへの闘い、「作ることは抗いである」ドウールズ

「楽園には花が咲いている」と一義的に思ってしまって、「廃墟にも花は咲く」ということに思い至らなくなってしまう。世界には分からないこと、到達不可能な事がある。この世界が働きかけ可能であって可塑的であることに気づくことに繋げていきたい。世界はどこまでも可塑的で相対的である。「世界というのはそれぞれの主観の中で立ち現れていて、であるがゆえに、コミュニケーションにおいては、相互理解というのは厳密に言えば錯覚にすぎない。しかしその中で奇跡的にお互いの解釈がオーバーラップする領域があるから、コミュニケーションは成立するのだ。

 

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次に「見立て」である。経過的な状態を何かの現象、対象に仮託して説明することを「見立て」と呼ぶ。Potential(潜在)、Virtual,(仮想)、Entity(実体)これらバーチャルもリアルも平行して動いていく。日本、日本人はスーパーフラットな状態、絵巻物のようにフラットに平行移動しながら全てを解釈する傾向が強い。この日本的な編集方法は緩やかに分断を埋めていくことにある。どこもかもフラットなので始まりも終わりも曖昧である。

「見立て」というのは、分析対象としての情報が推論の中で多少ずれていても、そこにある本来の印象をずっと保持していくことである。「見立て」は比喩から始まる。地方に在るヴァナキュラーであり、かつひょっとしたらグローバルなものに転換していくかもしれない対象への眼差し、そこに必要なのは「見立て」である。社会の「見立て」力が低下すると、印象を紋切り型でばかりやりとりする。日本は万葉、古今、新古今の時代にこの見立てる力を縁語や歌枕や本歌取りを総動員してかなり充実させた。見立てを成り立たせているのは「寄物沈思」という手法である。これは「物に寄せて思いを陳べる」という、万葉以来の日本人のリプレゼンタティブな方法である。「物」を前にしてしか、「思い」を陳べない。「おもふ」と「おもほゆ」は古今集でたくさん出てくる。日本人は本来「ものおもひ」なのだ。


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結びとして
大人になればなるほどそれは良くも悪くも、注意が一点に狭まっていく。一方で子供の場合は四方八方に注意が拡散していて、あたかも聖徳太子のようになっている。注意をあちらこちらに振り向けられる天才なのだ。

ある文化論では砂漠の民をハイスピードで圧縮すると、西洋的な遠近法に行き着く、一方でインドの森林と水源の風土の中で、四方八方に注意を張りめぐらす感覚が育まれたという話もある。人は誰でもが日常的にアブダクティブな編集状態になっているとも言える。通りを歩くときは人や車の流れを感知し、本を読むときは次の展開を予測する。だれもが昨日は雨だったけど今日は降らないかなと、ゆらぎ(フラクチュエイト)の間でアブダクティブな浮き沈みをしているのである。仮説的な状態を認識して、それをうまく取り出すことができれば「編集力」は高まっていく。

「編集」といういのは、このアブダクションを行う媒介的存在のことを意味するのではないか。一種の「酵素」みたいな、スーパーアクセレレーターなのではないか。カタリスト(触媒)ともいえる、それはいわゆる職能としての編集者だけではなく、メンターやコーチという言葉、あるいは「先達」と呼ばれる人も含めて編集的存在を藤本氏は実践しているのでは。

藤本氏は、風の人である。土の人と切り結ぶ風の人だ。よそ者が力を発揮する時代、マーケティングはその素地を耕しておかないと効かない時代。「革命はいつもたった一人から始まる」