はじめに、松坂健さんとその周辺 

マイナス30度の寒気が流れ込み、大阪はまさに寒の戻りである。寒暖の差に戸惑いながら、本年度も最後の定例会となった。今月は跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授の松坂健氏に登壇いただいた。日本のミステリー研究者でもある松坂氏は、1949年生まれで今年70歳となる。今年3月で大学を退任される松坂氏から、幸運にも最終講義をいただくことになり、MCEI 大阪支部として感謝を申し上げたい次第である。

浅草生まれの松坂氏は多彩な経歴と経験を持つ。1971年慶応義塾大学法学部を卒業、1974年同大学文学部英文学科を卒業している。足かけ7年かけて大学を卒業し、フリージャーナリストとして7年のキャリアを経て、1974年に出版社柴田書店に入社し「月刊食堂」編集部に配属される。1984年には「月刊ホテル旅館」編集長に就任。世界の繁盛している食堂を取材するなどサービス産業の取材を20年間務めることになる。1992に独立し、2000年から大学で教鞭をとり始めている。2001年長崎国際大学人間社会学部国際観光学科教授となり宿泊業論、外食産業論を講じる。その後跡見学園では観光コミュニティ学部の教授を定年まで勤めることになった。

関西ではあまりなじみのない跡見学園は、開学150周年を迎える学校である。1875年、跡見花溪が京都、大阪での私塾運営の後、東京神田猿楽町に「私立跡見学校」として開校し、その後跡見女学校と名称を改めたのが始めで、東京で最初の私立女学校であり、日本人が設立した私立女学校としても設立が最も早い。生徒は4歳から18歳までの皇族、家族、軍人の良家の子女が通う学校であった。「ごきげんよう」の挨拶の発祥とされ、大和和紀の漫画「はいからさんが通る」のモデルともなった。1908年頃に流行した「ハイカラ節」では目白の女学校や上野の音楽学校と並ぶハイカラな女学生として、

歩みゆかしく行き交うは その名も君を恋し川 跡見女学校の女学生 背なに垂れたる黒髪に 挿したるリボンがヒラヒラ 紫袴がサラサラ 春の胡蝶の戯れか  と歌われている。「恋し川」は「小石川」にかけたもの。戦後の学制改革後の1950年に短期大学を開学し、1965年に女子大学となった。松坂氏が退官を迎えた大学の新座キャンパスは桜の名所としても知られている。

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次に70年代初め松坂氏が入社し、20年間務めることになった出版社柴田書店のことについてふれておきたい。柴田書店は1950年に九州・小倉で書店の次男として生まれた柴田良太によって創業された。「食を通じて食とサービスのプロに貢献する。」が創業者の理念である。当時としては先進的な料理書や経営書の数々を出版してきた。1953年に「調理のための食品成分表」を出版し生活科学、食品関係の専門出版社としてスタートした。1955年には出版まで3年を要した日本で最初の西洋料理の大著「西洋料理」を刊行して喝采をあびた。1959年欧米を視察し、外食産業の成長性を確信し、この分野での専門図書出版の道を歩むことを決意する。1961年に外食産業の経営、設備、調理の指針となる雑誌「月刊食堂」を創刊、1963年には宿泊産業の近代化に貢献するべく「月刊ホテル旅館」を創刊、「喫茶店経営」もこの年に創刊している。1966年に「月刊専門料理」が創刊されて、柴田書店は外食産業、ホテル業、喫茶行、そして調理技術すべてを網羅する出版社となった。しかしこの年、柴田良太は飛行機事故によって志半ばで41歳の生涯を閉じることになる。創業者である柴田良太の死後、社員が彼の遺志を受け継ぎ、多彩な出版活動を通じて、食の業界と共に発展してきた。松坂氏も20年間世界を歩いて集めたサービス業の取材で貢献してきたわけだ。

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観光とは、ツーリズムとは 

日本においてはインバウンドが増加する中、近年はツーリズムという言葉が主流である。英語では観光する(sightseeing)と、観光させる(tourism)で言葉としての概念が分かれている。これには宗教行為の対象者としての観光客(大衆)と仕掛け人としての観光業者の立場が現れている。日本では古代から神社仏閣への参詣が行われていて、近世においては社会が安定した江戸時代中期以降、伊勢神宮へのおかげ参りなど、名所巡りや飲食を楽しむ旅が庶民である大衆に拡がって行った。この行為を「旅」「行旅」「遊山」と呼び、寺社や景勝地を紹介した各地の「名所図会」や「東海道中膝栗毛」などの旅行文学も出版された。「観光」の語源をたどると、古代中国の「易経」に求められる。「観光之光利用賓干王」とは<国の光を観る、用いて王に賓たるに利し>の一節による。この句を略した「観光」の日本での早い時代での用例としては、幕末にオランダから江戸幕府に贈られた軍艦「観光丸」があり、さらに時代が進み明治の初めに米欧使節団を率いた岩倉具視が、報告書である「米欧回覧実記」冒頭に「観」、「光」と揮毫した。「外国をよく観察して、日本に役立てる」という意味である。当時岩倉は東京遷都で衰退した京都経済を再生させるために外国人による京都観光を政府に献策している。また明治時代は鉄道敷設による近代化を進めたので、日本人の国内旅行も盛んとなり、明治時代の後半には遊覧旅行の意味で「観光」という言葉が使われるようになったが、大正時代以降、「観光」は「tourism」の訳語としての意味が定着した。「観光」は明治時代からの言葉であるが、きわめて限定的な用例しかなく、外国人誘致(インバウンド)といった意味合いが強くなっていった。今日でいう国内旅行に「観光」という言葉が定着したのは1960年代以降とされ、1964年に東海道新幹線を完成させ、1968年10月1日のダイヤ改正で在来線の輸送力強化を完成させた国鉄は個人旅行拡大を狙って「ディスカバージャパン」キャンペーンを開始した。それは70年代のアンノン族へと繋がっていく。

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近年再び國の光を観るという「易経」の解釈が引用されることが多くなり、「光」という比喩的表現で旅の対象が幅広くなり、「旅」自体が多様な解釈が可能となってきている。易経は儒教の基本書籍で、五経の筆頭に挙げられる経典であり、「周易」または単に「易」とも呼ぶ。「易経」は宋以降の名称で、儒教の経書に選ばれたためこう呼ばれる。なぜ「易」という名称なのか、古来より様々な説が唱えられてきたが、「易」という言葉がもっぱら「変化」を意味し、また占いというもの自体が過去・現在・未来へと変化流転していくものを捉えようとするものであることから、ある時点、空間での「変化」と関連するものと考える人が多い。古代より占いの知恵を体系化・組織化し、深遠な宇宙観にまで昇華させている。古代における占いは現代と違って、共同体の存亡に関わる極めて重要かつ真剣な課題解決法であり、占師は政治の舞台で命がけの責任を負わされることもあった。

大衆に「観光」という概念が流行しだした当初は、観光に行くこと自体に価値があったが、次第に観光に行くこと自体は当たり前となり、何処に行くのかという「場所」がステータスとなっていった。広告表現でも観光地を大きく見出しにしたポスターやパンフレットが流行した。しかしその時代は長く続かなかった。「観光」は次第にステータスではなく個人の純粋な楽しみとしての「観光」として捉えられていった。「場所」ではなく「目的」が求められることになる。いわゆる「体験型観光」である。現在はまさにこの時代だといえる。ここに松坂氏が唱える「ホスピタリティ」の概念が求められることになる。具体的には楽しい気分になりたい。癒されたい。ゆったりとした時間を過ごしたい。など個人の「感情」が「観光」を引っ張る時代となっている。近年は「観光」という用語に物見遊山的、ビジネス的なニュアンスが生じる場合はあえて「観光」を用いず「ツーリズム」という用語を充てるケースが増えている。「ツーリズム」という言葉は観光業者の間では特別なものとして認識されているのだ。ツーリズムはまさに体験型観光と位置づけられていて、ツーリズム自体もその特性に様々な言葉が付加されている。例を上げれば環境に配慮したエコツーリズム、自然、特に山や森への旅をグリーンツーリズム、自然の特に海を扱う旅をブルーツーリズムなどと呼んでいる。

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ホスピタリティと一期一会について

ホスピタリティは資源ではなく資産である。資源は減るが資産は大切にすれば増やすことができる。瞬間を大切にする時間概念でもある。松坂氏が語るこの部分が「一期一会」の概念と繋がる部分である。資産として時間、瞬間をとらえることとしての「一期一会」とは、茶道に由来する。語源をたどると、千利休が残した言葉といわれるが、利休は自著を残していない。弟子の山上宗二の著書「山上宗二記」の中にある「茶湯者覚悟十躰」に利休の言葉として「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」という一文が在る。「一期」は仏教語で、人が生まれてから死ぬまでの間、すなわち一生を指す。

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茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず日常の中で人と出会っているこの瞬間は二度と巡っては来ないたった一度きりのものであるという時間概念である。この一瞬を大切に思い、「今できる最高のおもてなしをしましょう。」という含意が在り、この人とはこれからも何度も会うことはあるだろうが、もしかしたら二度と会えないかもしれない。人と接することは一瞬ごとに覚悟がいるということだ。さらに仏教では「諸行無常」という教えがある。「諸行」とはすべてのもの、「無常」とは常がないことで、森羅万象すべてのものは変わり続けるという意味である。人間はこの世界で、いつどこで何が起きるか分からない、まさに偶有性の世界、空間に生きているといえる。これを「火宅無常の世界」と表現する。「火宅」は火のついた家で、不安を表徴している。いつ何が起きるか分からない不安定な世界のことである。仏教では「無常感」といって、無常の現実をありのままに観つめることを勧める。いたずらに不安にならずに、今の出会い、今日の一日を大切にしましょうという言葉である。「一期一会」は一生に一度だけ、この諸行無常の世界は今日という日も一期一会、今の出会いも一期一会なのだ。

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むすび

一座一會ノ心、只コノ火相・湯相ノミナリ

利休のわび茶において、茶事の進行に火の強さと湯の煮え具合が相応し、自然な茶事の流れにより亭主と客の息遣いの調和が重要視された。「南方録」

抑(そもそも)茶湯の交會は一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會にふたたびかへらざる事を思えば、実に我一世一度の會なり。さるにより、主人は萬事に心を配り、聊かも麁末なきやう、深切實意をつくし、客にも此會に又逢いがたき事を弁え、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交わるべきなり。是を一期一會といふ。

大老・伊井直助「茶湯一會集」