理事長の橋詰です。8月定例会(2018/08/09)のレポートです。

はじめに 

記録的な猛暑が続く8月の「テーマは、これから起こる出来事を捉える」だ。7月は西日本で岡山県、広島県、愛媛県の広範囲にわたる大規模な水害が起きた。冒頭にいくつかの文章をあげておきたい。

「山は川の流れによって作られる。山は川の流れによって壊される。」

「水は山をかいて谷をみたし、できれば地球を完全な球形に復原しようと欲しているのかもしれぬ」

「海底の浅いところは永久であるが、山々の峰は反対だ。さいごに大地は丸くなり、すっかり水に覆われて棲息不可能になるだろう。」<レオナルド・ダ・ヴィンチ「手記」岩波文庫 杉浦明平訳>

この最後の句でレオナルドは陸が海面すれすれまで浸食され、その浸食作用で陸が海面すれすれまで低下することを考えていたらしい。驚くべき洞察力である。

19世紀後半から20世紀初頭に日本紹介書として知られたB.H.チェンバレンの「日本事物誌」によると。「国土狭小なために、たいていの日本の河川は川(リヴァー)というよりも急流(トレンツ)である。」<高梨健吉訳 東洋文庫>。また河川技術者としてオランダから招かれていたJ.デレーケは、明治24年7月の成願寺川(富山県)の大洪水をみて、「これは川ではない、滝だ」といった。

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前置きが長くなってしまった。今月のテーマにもどりたい。今月はMCEI大阪の会員でもある、日本気象協会 関西支社 副支社長 藏田 英之氏の登壇である。
日本気象協会は、1950年財団法人として設立されて以来気象・防災・環境に関する情報コンサルタント企業として60年以上の歴史を刻んできた。近年極端気象による気象災害の激甚化や地球温暖化、人工・食料・エネルギー問題など私達を取り巻く世界に状況が急速に変化してきている中で、気象・地象・水象に関する科学・技術の進歩とその普及を使命とする協会の果たすべき役割は年々大きくなってきている。協会は企業・団体への「プロフェッショナルパートナー」として、個人の顧客へは「お天気コンシェルジュ」として最適な解決策やサービスの提供を提供することにより、持続可能で活力があり、安心で安全な「自然界と調和した社会の創生」(Hamonability)を目指している。

ここで「気象」についての意味を確認しておきたい。「気象」は、気温・気圧などの大気の状態のことで、日本語の「気象」が一般的に大気現象の意味で用いられるようになったのは、明治初期である。1873年(明治6年)Meteorogyを気象学と訳したのが初期の用例で、1875年(明治8年)6月に東京気象台(現在の気象庁)が設立され、行政機関の名称として初めて用いられた。「気象」にもどると、大気の状態でその結果現れる雨などの現象のことである。小さなつむじ風から地球規模のジェット気流まで大小様々な大きさや出現時間の現象のことである。ただし同じ大気中の物理現象であっても、地理的な観点から、「ある土地固有の気象現象」としてとらえた場合は「天候」「気候」と呼び別の意味を持つ。気候はおおよそ一年周期で毎年繰り返す、大気の総合的な状態である。

 

気候を変化させる要因

地球規模の気候を決める要因には、気候システムに内在するものと、システム外からの影響による外部強制力がある。気候システム内では、大気や海洋が物理法則にしたがって相互作用している。例えば大気と海洋の相互作用によって起こるエルニーニョ・南方振動は、気候システムに内在した変動である。一方、地球の軌道要素の変化により、氷期と間氷期の10万年周期の変化、および亜氷期と亜間氷期の4~2万年周期の変化などは外部強制力である。また小氷期は、火山噴火によるエアロゾル(火山灰)の増加、海塩粒子、土壌性エアロゾル(ダスト)の発生などが要因と考えられ、自然要因による外部強制力といえる。また温室効果ガスや大気汚染物質の排出、森林の伐採や土地利用の変化など、人間活動に由来する外部強制力もある。さらに気候を変化させる要因を考えるにあったて、フィードバック機構がある。これはある要因が気候を変化させ、その変化が要因の影響を増幅する場合、気候には正のフィードバックを起こす機構が備わっていると考える。逆に減衰する場合は負のフィードバックが備わっていることになる。仮に地球温暖化が進んでも、正のフィードバックが暴走する可能性は低いものと考えられている。正のフィードバックとしては氷や雪が融解するとアルベド(日光の反射率)が低い地面や海面が露出し温度が上昇する、アルベド・フィードバックがある。近年の北極海の海氷の融解などがあげられる。また気温上昇により永久凍土が解けるとメタン(二酸化炭素の20倍の温室効果)が放出されることも正のフィードバックであるがこの論はまだまだ不確実性が大きい。負のフィードバック効果の一つとしては、大気からの二酸化炭素を吸収する地表や海洋や生物圏などの自然の貯蔵庫<二酸化炭素シンク>の存在があげられる。

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氷期と間氷期と日本列島への影響

氷河期(ice age)は地球の気温が寒冷化し、地表と大気の温度が長期にわたって低下する期間で、極地の大陸氷床や高山域の氷河群が存在し拡大する時代である。この長期におよぶ時代の中で、律動する個々の寒冷な気候の期間を氷期と呼び、氷期と氷期の間の断続的な温暖期を間氷期と呼んでいる。現在の完新世−間氷期は約1万2千年前に更新世最後の氷期が終わりを迎えるとともに始まった。まさに我々は氷河時代の間氷期―完新世の只中にいることになる。最終氷期はヴェルム氷期と呼ばれ、およそ7万年前から1万2千年前までの時期で、250万年間続く更新世に属する。およそ1万2千年前から現代までは、地質年代でいう完新世(沖積世)になる。最終氷期といっても実際は短い周期で気候は激しく変動していたことが、最近の氷床コアの研究で明らかになってきた。

再寒冷期が続いたのは2000年ほどの短い期間であった。この時期ヨーロッパ北部と北米大陸北部が氷床に覆われていた。氷期末の亜間氷期(ベーリング/アレード期)には「寒の戻り」と言われ、氷床は前進し、動植物の活動は後退した。この後亜氷期(ヤンガードリアス期)の終わりが最終氷期の終わりであり、「更新世」の終わりで、いよいよ現在まで続く「完新世」の始まりとなる。先の時代との違いは、変動が比較的安定していることである。現在は氷床が南極とグリーンランドまで後退している「間氷期」である。日本への影響は、氷期が海面低下期で間氷期が海面上昇期なので、氷期の日本は今より海面が100mほど低く、間氷期には逆に100mほど高かった。日本のように島国で海岸線の地形では、海面変化の影響は甚大であった。面積でみると現在37万平方キロメートルの日本の面積は20万平方キロメートルも面積が拡大し、大陸と地続きとなっていた。海水表面温度もって低下し中緯度で摂氏5度低く、南西諸島のサンゴ礁は無かったと考えられる。このように第四期の氷期と間氷期の気候変化は、降雨と降雪の変化とともに日本の地形の細部を作り上げたといえる。

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第四期地殻変動による日本列島の形成

日本は地震国・火山国として知られている。またここには地殻変動によって形成された複雑な地質構造や凹凸の激しい地形が在る。日本は新生代のある時期から現在に至るまで一つの「変動体」といえる。日本の現在の島弧<千島島弧、日本弧、琉球弧>の形成の始まりは、第三期の中頃で、約2600万年前というのが通説である。

第四期というのは、第三期に続く地質時代で、約二百万年前から現在までの期間である。この時代は、気候の変化とそれに伴う氷河の消長、さらに氷河の消長に由来する海面変化によって特徴づけられ、また「人類の時代」、としても知られている。この200万年ぐらいがまた、現在見られる日本の山脈と盆地が地殻変動によって形成され、山脈は成長とともに浸食を受け、盆地は沈降とともに、周辺山地からもたらされた土砂の堆積によって平野を形成してきた、という時代でもある。さらに火山や土壌もこの時代の産物である。この期間に、日本の陸地でもっとも隆起量が大きかったところは飛騨山脈で、1500mを超え、最も沈降量が大きかった所は関東平野で、1000m以上に及んでいる。この隆起と沈降の量は驚くことに、アルプスやロッキーの第四期隆起量よりも大きかった。これはアルプスやロッキーの第四期隆起量を知っている、欧米の研究者を驚かすほど大きい変動量である。日本の第四期の隆起量は現在の山地高度が大きいほど大きく、小さいほど小さく、この変動はそのまま現在の山地の輪郭となって表れている。つまり日本の山地や盆地のおおよその形(フォルム)は、主に第四期の地殻変動によって作られたということだ。そしてこの変動は似たような傾向として現在でも続いていることが、水準測量でも知られている。

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人類活動に起因する気候変動要因と「人新世」とは

われわれは地質年代でいうと「新人世」に入ろうとしている、いやすでに入っていると言える。

1990年IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)報告によると、過去1000年の間に広範囲にわたる二つの出来事があった。気温が比較的温暖であった中世温暖期と寒冷だった小氷期と呼ばれる出来事である。中世(10世紀〜14世紀)グリーンランドが緑化してバイキングが移住するくらい強い温暖化の時期があり、その後(15世紀〜19世紀)ロンドンのテムズ川が氷結するほどの小氷期が訪れたことをさす。人為的な要因が小さい時代であるので自然的な要因で起こったと考えられるが小氷期はこの要因で考えられるが1860年以降見られる温暖化は小氷期からの回復という自然要因だけではないと考える研究者もいる。

人為的な要因とは、環境と気候を変化させる可能性が大きい人類<ホモ・サピエンス>活動によるものを指す。最終氷期が終わり氷床と動植物の前進が逆転すると、比較的安定している気候変動の中人類は農業を始め、人口爆発を引き起こし、これが文明の誕生につながっていった。この地球温暖化だけが農業の始まりの原因ではないが、不可欠な要素であり、その後人類は気候変動に適応しながら、文化・文明を発達させていったのだ。そして要因の最も大きなものは、ヨーロッパで起こった産業革命である。以来化石燃料を燃焼させる過程で大量に放出された二酸化炭素であり、そのほとんどが1945年以降の放出である。他の要因としては森林の減少、地表のアルベドを変化させる農業などの土地利用の変化、炭素サイクルやメタンの生成への影響、人為物質エアロゾルの放出が考えられる。この中でも大きな要因としては二酸化炭素を中心とした大量の温室効果ガスによる温室効果である。IPCCは、1750年以来、二酸化炭素濃度は31%、メタンガスは151%、窒素ガス17%、対流圏のオゾンが31%増加し、メタンガスは家畜や燃料、米の生産でも増加し、湿地から自然に放出される量の60%におよぶという。以上述べてきたが、「人新世」(Anthropocene)十八世紀の産業革命から始まったと言うが第二次世界大戦後(1945年)から始まったという説もあるが、先に述べたように他の地質学者は、それはすでに8000年前にわれわれが動植物を家畜化して狩猟文化から農耕文化にシフトして定住化し出した頃から始まったと言う。つまり人類が地質学的変化をもたらす最も大きな力になっているような時代である。

ダーウインの進化論では、環境へ適応することで生物は進化してきたということだが、それだけが要因ではなく、「自然選択」は確かに進化の要素には違いないが他にも要因はいろいろある。チョムスキーがいう、人間の言語もおそらくごくわずかの神経網(ニューロン)の接続が、突然変異によって変化したことが始まりであった。また8000年前に人類が道具を開発し建築を始め、都市を造り始めたことで逆に環境を人類の方へ適応させることが可能となったのであるとも言える。地質学者は、今日の人類は地球環境全体を変化させるような力を持っているという。各国の核武装の問題も含めてまさに、人類は神の領域に踏み込もうとしているのではと思う。

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結びとして

今月は地質学者による地球の年代である地質時代区分や、地形学による大きな日本列島の成り立ちを交えて気象変動への影響を考えてきたが、気象、気候の変動はささやかな人間の営みによっても、わずかな地形の変化によっても変動し律動するものである。わずかな気候の変化にも感応できる感性と眼差しを維持することは、今後さらに重要となってきている。我々は地質年代でいう「新人世」に入っている。地質学者はそれぞれの時代の最も重要な地質学的変化を採ってその時代の名称をつけているが、このように人知を超えた時間尺度で考えることは大きな意味を持つと考える。蔵田氏の話を受けて考えさせられたことは、すべてのビジネスと人間の営みは地形とそれを包むように影響を与える気象・気候によって起こされ現象を認識することなく成り立たないということ。NHK番組「ブラタモリ」や中沢新一氏の著書「アースダイバー」東京・大阪など地形が人々や街に与える深層的影響にも注目が集まっている。私の専門分野である「空間の設計・デザイン」においても、微地形・微気候を考慮することは避けられない。

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大きな気候の変動と大きな地形の変化は人間的な時間的尺度と空間的尺度を越えた存在であるといえる。大きな気候と大きな地形の起源を尋ねるには数千年、数万年の歴史的時間を遡らなければならない。いずれにしても人間的時間と空間の尺度を越えている。

「過去の時代と大地の状態を認識することは人間精神の花であり実である。」レオナルド・ダ・ヴィンチ

古代ギリシャ時代のデルポイにあるアポロ神殿に刻まれていた言葉がある。

ミーデン・アガン(meden agan)「過剰にならぬよう」という意味である。

「中庸」(moderation)バランス、仏教と同じである。平衡を得るために理性と感情の均衡をたもたねばならない。

長くなりました、2018年8月16日、お盆の送り火の日に。