品田英雄さんのこと

今年も恒例で日経BP総合研究所 上席研究員 品田英雄氏に登壇いただいた。4年連続の登壇であるが初めて品田氏のことをご紹介しておきたい。品田氏は1980年に学習院大学法学部を卒業、ラジオ関東(現RFK)に入社し洋楽番組のディレクターを努める。1987年、日経マグロビル(現日経BP)入社し週刊誌記者からマルチメディア開発室を経て、1997年から日経エンタティメント創刊時編集長に就任。2007年同編集委員に就任。2013年から日経BPヒット総合研究所上席研究員となり現在に至っている。「宣伝会議」のライター養成講座の講師も務めている。遡って豊島区立第一中学校(現明豊中)ではブラスバンドでチューバを担当し、当時全国大会の常連であった。このような幅広い分野の経歴と音楽や言葉に深く関わってきたことが、現在の品田氏を形成している基盤となっている。

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ヒット商品を振り返り、次年度のヒットを予測すること

私達はつかみようのない不安の中にいて、そのもやもやをヒット商品に変える、そして次に一世風靡するトレンドとはいったい何だろうか、を求め続けている。製品の技術や用途が製品名(ブランド)をはっきり指示し、使用機能が製品名(ブランド)を特徴づけ指示すべき対象が在る、このように指示する根拠があれば製品が大量に販売でき消費される時代ではなくなって久しい。現在は大きく変化し、私たちは膨大な情報の海とパラレルな時間の中を高速で泳ぎ渡っている。品田氏はいくつかの方法とキーワードを述べている。最新のヒット商品を知り(知識)、来年の傾向を考え(予想)、成長の方法を体感する(実践)これがトレンドを読み解くためのサイクルである。「この分野ならこの人」という特定の専門家を決めて常にウォッチする。それから徹底して自ら体験する。イベントでも旅行でも消費でも、自分で驚きや楽しさを感じて、それを元に「次のトレンド(流行)はこれだ!」と語る。品田氏の流儀である。

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流行を読み解くキーワード

品田氏の流儀を支えるキーワードがある、これがトレンドを読み解く手法に繋がっていく。

アクティブラーニング:参加者を中心とした学習をさし、ケースメソッドはその代表的な手法である。参加者中心型学修(Participant Centered Learning)と呼ばれ幅広い層を対象とした教育方法として確立している。「正解がない」議論を教師がハンドリングし個人としての結論を議論の中心から引き出し、参加者個人としての「一般化」を実現することを目指す。正解・解答がある課題から、答を導いたり、正しい「知識」を修得するのではないところが、流行のトレンドを読み解くヒントとなる。この手法に必要な要素として、予習して議論に備える姿勢・知識を主体的に学ぼうとする姿勢・考えの異なる人と議論しようとする姿勢があげられる。

編集力:文字・言語による情報はもちろん、五感や心で受け取るあらゆることを情報であると考え、それらの情報を収集し、分析し、関係づけ、表現することが編集である。現在私達の世界は膨大な量の情報に満ち満ちているが、それらの情報は様々な形で編集されている。それぞれのシーンで使われる編集の「方法」を抽出し、様々な局面で活用することが「編集術」である。放送局では「編成」であり、美術館・博物館では「キュレーション」となる。このように「編集術」は、発想力、整理力、記憶力と言い換えられたりして様々な場面で応用される。このような創発的なアプローチとして編集工学研究所の松岡正剛氏は物語の型から文脈的構想力を引き出す「ナラティブアプローチ」、ルーツや原型から回帰的連想力を呼び起こす「レトロペクティブアプローチ」、仮設と共に暗示的推察力を立ち上げる「アブダクティブ・アプローチ」として提唱している。今回のテーマに関連付けると示唆に富む。

CGM(Consumer Generated Media):直訳すれば「消費者生成メディア」である。Webサイトのユーザーが投稿したコンテンツによって形成されるメディアのことである。一般的なブログサービス、BBS、SNSなどがこれに該当する。従来のインターネットメディアは雑誌や書籍などと同様にプロのライターと編集者が内容を構成していく出版社型の事業モデルが主流だったが、CGMでは一般の消費者が直接情報を投稿し掲載される。メーカーやマスメディアが想定できない特殊な事例や自由な意見が情報として収集される。消費者にとっては重要なサポート環境であり、メーカーにとっては商品の良し悪しがそのまま人気に直結する場となっている。

現在は、製品やサービスの作り手と売り手、情報の発信者と受信者が一体となっていく時代であるCGMは本当の意味で離陸期に入っていると考える。だからネット経由で意見を求めながら、「次に何が来るのか」を追い続けていく必要がある。

2017年のヒット商品ベスト30は、全体的に小粒である。ヒットのキーワードは①いじれる、突っ込める②ママのサポート③説明が難しいである。一人一人の発信力が大きくなっていき、ママが勝ち組みとなり、ヒット商品ではないけれど政治や働き方など社会構造の変化がトレンドに影響を与えていく時代でもある。

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現実へと逃避する時代

昨年述べた「現実は、常に反現実を参照する。現実は、意味づけられたコトやモノの秩序として立ち現れている。意味の秩序としての現実は、その中心に現実ならざるもの、つまり反現実を持っている。反現実とは何か?「現実」という語は、三つの反対語を持つ。「{現実}理想」「{現実}夢」「(現実)虚構」である。集められたヒット商品を眺めていると以上のことが頭をよぎっていく。戦後という日本固有の時代意識からこの「反現実」というモードを規準に時代を逆照射したとき、現在は「虚構の時代1970年~90年代」を起点にして1995年阪神淡路大震災と2011年東日本大震災の2つの転換点の延長線上にあると思う。製品(ブランド)が現実の企業経営や市場競争の中で重要な役割を果たしていること、そしてブランドの理解の違いでそれぞれの企業の戦略が変わってくることも現実である。この「現実からの逃避」ではなく、「現実への逃避」へ眼差しを切り替えると奇妙な「現実」がたち現れる。ブランド(製品)の指示するものがない、奇妙な現実である。現在社会の富は「膨大な商品の集積」ではなく、「膨大なブランドの集積」として現れる。高級品から日用品まで、ブランドではない商品・製品は見つけにくい。このブランドの基本的な性格を考えると、ブランドの集積が奇妙な現実を作り出すという話がある。普通ブランドはそのネーミングに、指示すべき対象がある、あるいは根拠がある。名前というかぎり、何か実体を指示しているはずである。しかし「無印良品」や「ベンツ」のように説明すべき対象がみあたらない。そして「今あるそれらのブランドの現実は、そのブランドが存在することによってしか説明できない」というトートロジカル(同義反復的)な関係だけが見える商品群である。「無印良品」の作り出す宇宙は「意味での同一性」というよりもう少し深い「意味の同一性」によってつくりあげられている。“意味の同一性、意味の世界”、それはまさに詩や芸術の世界の話である。

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創造された意味の宇宙へ

「創造的意味」についての理解を促すために、山村暮鳥の詩を引用する。

青空に 魚ら泳げり

わがためいきを しみじみと 魚ら泳げり

魚の鱗 ひかり放ち

ここかしこ さだめなく

あまた泳げり

詩人が見た「青空に定めなく泳ぐあまたのもの」は、何かそれを指す的確な言葉が先にあって、「魚ら」というのは、その言葉の比喩にすぎないとは考えない。「青空に泳ぐあまたのもの」は、「魚ら」としてしか言葉にならず、そのため、そう認識することが正しいかどうか(妥当性)を問うこと自体、無意味なのだ、と。

創造的意味と言わざるえない理由とは、「魚ら」という言葉が、<青空に、さだめなく泳ぐあまたのもの>を指す言語的習慣がわれわれにはないからである。ここではひとりの詩人の「魚ら」と見たものしかその“意味”となることができず、ここに代替あるいは逸脱があると述べることは何も説明しないに等しい。しかもそれは、ここで指されているもの、つまり通常の言語に翻訳しうるものを見出すことが難しいという意味あいにおいてだけでなく、詩人にとって、「魚ら」という表現だけが根源的な記号でもあったという二重の意味においてである。ここではもう説明方式の妥当性いかんではなく、説明することの可否そのものが問われているかのようである。個の一線を境にして、おそらく人は詩人と言語学者に分かれる。(山中圭一「文化記号論への招待」1983年)

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詩人をマーケターに置き換えて考えたい。未来は誰もが知ることができる。そして知ることが可能なのである。現実を結びつける因果関係に興味を持ち、出来事の原因を探究し、分刻みで毎日未来への小さな歩みを理解し、不変の要素を見出し、新たなものを創造し、論理に従うこと。未来は何一つ決まっていな。世界はさらなる自由に向かっている。