まだまだ暑さの続く9月定例会は兵庫県芦屋生まれの東洋大学理工学部建築学科都市計画専攻の教授野澤千絵氏に登壇いただいた。氏は1996年大阪大学大学院を修了後ゼネコンで開発企画業務に従事するがその後2002年に東京大学大学院で都市工学専攻博士号を取得し同大学非常勤講師を経て東洋大学に移られ、2015年より現職に就かれている。今回は都市計画とマーケティングの関係を探ってみたいと思う。

私達は、「人口減少社会」なのに「住宅過剰社会」という不思議な国に住んでいる。

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高度経済成長という亡霊が残した時限爆弾 <1955年から2060年> 

世帯数を大幅に超えた住宅がすでにあり、空き家が右肩上がりに増えているにもかかわらず、将来世代への深刻な影響を見過ごし、居住地を焼畑的にひろげながら、住宅を大量に作り続ける社会を「住宅過剰社会」と野田氏は定義する。

2060、日本の人口は約8700万人となり、人口減少が始まった2010年の人口1億2806万人の約7割にまで減少すると予測される。

日本の世帯総数は約5245万世帯で、すでに国内に建っている住宅は約6063万世帯(2013年度)。つまり世帯総数にたいして、住宅のストック数は16%も多い。日本では戦後から高度経済成長期にかけて住宅の量は極めて不足していたため、国は新築・持ち家重視の住宅政策を積極的に推進してきた。その結果1973年以降全国で住宅のストック数は一貫して世帯総数を上回り、年々積み上がり続けている。

欧米に比べても人口1000人当たりの新築住宅着工戸数は日本においてはここ20年間、イギリス・アメリカ・フランスの中で常にトップレベルである。欧米に比べて新築住宅を大量に作り続けている国なのだ。なぜ人口が減少しているのに新築住宅が作り続けられているのか?それは供給側である住宅・建設業界土地取得費や建設費といった初期投資を短期間で回収でき事業性の確保が容易で、引き渡した後の維持管理の責任も購入者に移るため事業リスクが低いからである。つまり売りっぱなしで済むからだ。住宅・建設業界というのは、「常に泳いでないと、死んでしまうマグロと同じ」と言われ、基本的にはつくり続けないと、収益が確保しにくいビジネスモデルである。その住宅を購入する側も「住宅は資産」と考える人が多く賃貸住宅や中古住宅よりも新築住宅中心の市場となる。「売れるから建てる」この流れはなかなか止まらない。住宅のストックが積みあがっていく一方で、空き家率も増え続けている。2013年の調査では全国の空き家は820万戸でまさに空き家増加国家、日本である。

2025、人口の5%を占める団塊世代が75歳以上となり、後期高齢者の割合が20%にまで膨れ上がる。「2025年問題」である。2035年前後から団塊世代の死亡数が一気に増えることが予測される。そのため、住宅地の行く末は相続する団塊ジュニア世代がどう振る舞うかにかかっている。野村総合研究所によると、このまま空き家の除去や有効活用が進まなければ2023年には1400万戸、空家率は21%に、2033年には約2150万戸、空家率30.25%になると予測される。3戸に1戸が空家という「時限爆弾」を日本は抱えているのだ。

2035、全国の世帯数は2019年の5307万世帯をピークに減少に転じ、4956万世帯まで減少すると予測されている。(国立社会保障・人口問題研究所)東京都・神奈川県・愛知県などの大都市部でも2025年頃から世帯数が減少に転じると予測される。にもかかわらず、国は経済対策や住宅政策の一環として、これまでと変わらず新築住宅への金融・税制等への優遇を行い、住宅建設の後押しを続けている。問題はこの新築住宅が居住地の基盤(道路・小学校・公園)が整っていない区域でも、野放図に作り続けられ、居住地の拡大が止まらないことであり、この拡大に多額の税金が投入されることである。自治体も開発業者もまるで焼畑農業(伝統的焼畑農業ではない!)のように、既存の街の空洞化を食い止める努力をせず、少しでも開発しやすい土地や規制の緩い土地を追い求めている。継続してその敷地で住宅を着工する再建築数が新築着工数に占める割合はここ数年10%を切り、既存の街並みが維持されずに新しい住宅地が広がり続けている。人口減少社会で住宅過剰社会が深刻化すると、将来売りたくても買い手がつかないで税金や管理費を払うだけといういわば「負動産」の増加を促すことになる。資産としての住宅の有用性が根本から揺らぎ始めている。

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1968年、高度経済成長期真只中「都市計画法」が制定された。都市計画法とは、個々の建築活動が都市全体に大きな影響をおよぼさないように、都市全体の土地活用を総合的・一体的観点から適正に配分・配置するためにあるものであるが、大都市部では都市全体の開発プロジェクトごとに国や自治体が容積率規制の緩和を行い、積みあがっていく住宅総量を調整する仕組みがないまま、超高層マンションの林立を後押しする結果となっている。1980年代後半から2013年まで東京都の超高層マンションは550棟近く建設された。2015年以降も109棟(約5万戸)建設される予定である。ちなみに東京都区部を除く首都圏では69棟(2.7万戸)近畿圏では39棟(約1.4万戸)、その他地域では46棟(約1万戸)である。つまり超高層マンションは東京都区部で集中的に増加する。東京湾岸エリアは超高層マンションが林立する光景に変貌した。しかし今後東京圏は急速に低下していくと予測される。

2010年以降東京では、30年で高齢者率が53.75も増える。さらに今後40年以上前に整備された大量の公共施設やインフラが総じて老朽化していく。1964年のオリンピックで整備されたインフラの更新の必要性である。2020年のオリンピックはインフラ再整備五輪とも言えるのだ。超高層マンション林立のからくりとは、国と自治体がその区域の都市計画規制を大幅に緩和しているからである。東京都中央区ではマンションを建てられる区域は「再開発等促進を定める地区計画」の区域であるが、1980年以降様々な形で緩和制度が肥大化していった。公開空地、総合設計制度はよく利用されている。「都心居住の推進」や「市街地の再開発」のために多額の補助金も投入されている。しかし住宅過剰社会に突入している日本はこのような過去の残像をひきずり、個々のプロジェクトごとの視点だけで、規制緩和や補助金をむやみに投入し住宅総量を拡大する時代は終焉しているのではないかと思う。

2000年、都市計画法が改正された。大都市で超高層マンションの林立が進んだ同時期に、大都市郊外に広がる市街地調整区域の開発許可基準についても大幅な緩和がなされた。バブル崩壊以降、日本経済の成長、景気刺激、不況対策などの経済政策と民間活力導入施策を背景にしたこの2000年の改正は、開発許可権限のある自治体が開発許可基準に関する規制緩和の条例を定めれば、市街地調整区域でも宅地開発が可能となったのである。その結果本来都市計画として、市街化を「促進・誘導すべき」市街化区域よりも、「市街化を抑制すべき」市街化調整区域での新築住宅の開発が活発に行われてしまった。日本の都市計画の枠組みは、日本の国土が3780万haでその中の都市計画区域は1076箇所ある。各都市計画区域は市街化区域と市街化調整区域に線引きするが、そのどちらにも入らない非線引き区域という不思議な区域が存在している。この非線引き区域は、都市計画法による開発規制が無いに等しい区域であり、農地関係の他法令の規制が許せば、住宅であればどこでも建てられるまさに新築住宅の立地が野放図に進んでいる地域で、全国に494万haある。これが居住地の広く薄い拡散が防げない原因である。他の市町村がどうなろうと、自分たちの町の人口をとにかく増やしたいという根強い人口至上主義も大きく影響しているのでは!

1950年代の高度成長時代の拡大主義による都市の膨張はビッグネスという亡霊にたとえてもいい。日本の都市はその亡霊が写しだす幻想から逃れなくてならないのでは。

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ビッグネス、または大きいことの問題

建築はあるスケールを超えると大きい(ビッグ)という資質を獲得する。大きいということ(ビッグネス)の話を持ち出す理由はエベレストに登る人の答えがいちばんいい。「そこにあるから」だ。ビッグネスは究極の建築である。

建築家の意志など関係なく、建物のサイズ自体が思想的な計画になるというのは、もの凄いことじゃないかと思う。

世の中のあらゆるカテゴリーのなかで、ビッグネスだけはマニフェストに値しなさそうに見える。知的な問題だとは思われておらず、まるで恐竜みたいに不格好で鈍重で融通が利かず厄介だから、絶滅してしまいそうにも見える。だが実際のところ、建築とその関連分野の全知全能を動員して「複合性の体系」をつくり出さるのは、このビッグネスだけなのだ。

100年前、革新的な発想とそれを支える技術が次々と生まれ、建築のビッグバンが起こった。エレベーター、電気設備、空調、スチール、そして最後に新しいインフラ基盤が人間のランダムな動線を可能にし、空間どうしの距離を縮め、室内を人工化し、量塊を減らし、寸法を伸ばし、建設のピッチを上げた結果、変異が群発してそれが新種の建築を誕生させた。こうした様々な発明の相乗効果により、構造物はかつてない高さと奥行―大きさ(ビッグネス)−を持つようになった。しかもそこには、社会が再編成される可能性も生まれた。以前よりもはるかに豊かなプログラミングが可能となったのだ。

定理 ビッグネスは最初、純粋に量的な世界の、思考ゼロのエネルギーで進行し、思想家というものがほとんど皆無の状態が一世紀近く続いた。無計画の革命だったわけだ。

<S,M,XL+ レム・コールハース>


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結びとして、高度経済成長という亡霊がしかけた時限爆弾 <1955~2060年>

私達は将来世代の町を作っている。このまま住宅過剰社会を助長すれば、将来世代の負の遺産となる住宅や町を押し付けてしまうことになる。住宅過剰社会からの脱却に向けては、空き家を減らす、中古住宅を流通を促進させる、市場に依存しすぎた新築住宅中心の住宅市場からの転換が必要不可欠である。すでにある住宅のリノベーションにより住宅の質を高めて住宅市場に流通させていくという住宅単体の話と、公共施設・インフラの再編と統廃合、地域コミュニティ・ライフスタイルの変化に合わせた生活環境など、多様な分野が複雑に絡み合う住環境の問題を多元的に解きながら、将来世代が住みやすい町や都市へと改善しなければならない。都市計画や住宅政策が高度経済成長期の都市化志向の枠組みのままフリーズした状態に陥っている現状を考えれば私達の抱える時限爆弾の時限まで私達に残された時間は長くない。住宅過剰社会という問題を自分たちの問題として考え、住宅過剰社会の流れを変えていかなければならない。