理事長の橋詰です。6月定例会(2017/6/8)のレポートです。

ビール新時代 クラフトビールによるキリンの取り組み

キリンビール株式会社 企画部 部長 山田精二氏は島根県出身で1989年早稲田大学政治経済学部を卒業後2008年に一時キリンHD人事部に配属以外は一貫して同社マーケティング企画を歩んできた人である。キリンが目指すビールの姿はお客様のことを一番に考えている会社、もっと身近なビール屋へ、みんなで創る“ワクワクするビールの未来”をモットーとしている。「飲み物」を進化させることで、「みんなの日常」を新しくしていく。そのキリンがクラフトビールに取り組んでいる。

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クラフトビールとは

地ビール?味が濃い?職人が作る?など日本においては明確な定義は無い。個性豊かな作り手の感性と創造性が楽しめるビールである。かつては「地ビール」と同義に捉えられることもあったが、伝統的で高品質な「ビール職人による本格ビール」をクラフトビールと称し、差別化を図るようになってきている。1994年の酒税法改正により、ビールの最低製造数量基準が2,000キロリットルから60キロリットルに緩和された。これにより全国各地に地域密着型で小規模の醸造会社が誕生し地ビールブームが起こり、一時全国に300社以上の地ビール会社が乱立したが品質が伴わず地ビール冬の時代を経てそのブームは収束した。2012年頃から英語圏で使われる「クラフトビール」という呼称が認知され人気が高まり現在に至っている。国内にある240社だけでなく世界中のクラフトビールが注目を集め、価格は大量生産品より高いが無濾過、非加熱処理で出荷され、100種類以上の製法の多彩さなど既存のビールには無い魅力で人気を集めている。2011年10月の雑誌ブルータスの記事が日本のマーケットにクラフトビールを認知させた起点である。
ここでアメリカ合衆国におけるクラフトビールはどうか、マイクロブルワリー(小規模な醸造所)の団体であるブルワーズ・アソシエーション(BA)によると、クラフトブルワリーは600万バレル(約70万キロリットル)以下、自身がクラフトブルワリーではない他の酒造製造業者の支配する資本が25%未満、伝統的手法に革新を盛り込んだ原料と発酵法を用いることがクラフトブルワリーの条件としているが、クラフトビールの定義は定めていない。何がクラフトビールかは飲み手次第だと考えるからである。

 

日本のビール市場の今は

キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー、沖縄のオリオンなど国内大手5社の出荷量は2005年以降連続で減少している。1986年アサヒがスーパードライを発売し、1989年キリンビールはキリンラガービールに名称変更し、1990年には一番搾り麦汁を使用したキリン一番搾り生ビールを発売した後1994年が出荷量のピークであった。このピーク時の出荷量と比較すると現在は4分の3(約540万キロリットル)まで縮小している。昨年2016年の出荷量は4億1476万ケース(前年比:2.4%)12年連続で過去最低を記録している。その原因の一つとして考えられるのはライフスタイルの変化である。高度経済成長以降、仕事中心であった社会はワークライフバランスの浸透により「一服」や「お疲れ様」といった休憩するシーンが激減していった。オンとオフが曖昧なライフシーンにおいては、かつてビール業界の成長とともにあった「とりあえずビール」というシーンは徐々に減っていった。なぜなのか、ゆっくりと自分のペースで、幸せに自分の好きな事をたしなみながらお酒を飲む。お酒は重要な脇役として個人個人の好みで選択されていく。2005年以降のビール出荷量低迷は、他のカテゴリーに流出し続けた歴史であった。ワイン、酎ハイ、ハイボールなどライフシーンのTPOに合わせてそれぞれの場面で選択されていくものとなる。喫煙率の減少なども一服お疲れ様型の休息シーンの減少に拍車をかけていった。曖昧で多様なライフスタイルが主流となっていったのだ。多様化に乗り遅れたビールはこの変化に適応するために新製品の開発を増やしていった。プレミアムビール、低糖質ビール、ノンアルコールビールそしてクラフトビールである。

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クラフトビール成長の見立ては

大手ビールメーカーが主に製造するのは「ラガービール」だが、これよりもホップの香りやモルトがしっかりしているペールエール、柑橘系の香りと独特の苦みがあるインディア・ペールエール(IPA)、小麦からつくったヴァイツェン、果汁を加えたフルーツビール、黒くて泡が滑らかなスタウト、アルコール濃度が高いバーレーワインなどクラフトビールは多様で多彩な特徴のもとに製造されている。

山本氏は国内のビール市場におけるキーワードを嗜好性、多様性、革新性とし、特に多様性を最重要キーワードと位置付ける。新しくても伝統に基づいた技術と製造者のアントレプレナー的精神で製造されるのがクラフトビールである。最近20代、30代の若年男女の飲用志向は高く将来有望である。クラフトビールの伸長の可能性は高く、アメリカ合衆国ではすでにシェアで12%、金額で20%を占めている。現在日本のブルワリーは250箇所でアメリカは5,000箇所である、ここにおいても国内の潜在力は高いと考える。日本のビールの常識<価格単一、ライトビールは主流にならない、クラフトビールは定着しない>は崩れ、アメリカ型に移行すると予測している。

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歴史に学び、多様性を受け入れること

1870年ノルウェー系アメリカ人ウィリアム・コープランドが横浜山手123番に「スプリング・バレー・ブルワリー」を開設。大衆向けビールとしては日本で初めて継続的に醸造・販売を開始した。当時としては最新鋭のパストリゼーション(低温殺菌法)を取り入れ大量醸造・販売を開始した。1875年コープランドは工場隣接の自宅を改装して日本発のビヤガーデンであるパブブルワリー「スプリング・バレー・ビヤガーデン」を開設した。現在のSVBの起源である。1885年T.グラバーや三菱財閥の岩崎弥之助が発起人として加わり、外国資本による「ジャパン・ブルワリー」を設立し「スプリング・ブルワリー」の醸造所を買収。醸造所の技師や従業員の多くが新会社に引き継がれた。1888年ジャパン・ブルワリーが明治屋と売買契約を結び「麒麟ビール」大瓶を一本18銭で発売した。1907年三菱財閥と明治屋の出資による日本資本の新会社「麒麟麦酒株式会社」が設立されジャパン・ブルワリー社から組織と事業を引き継ぎ現在にいたる。

時を経て、2015年「ビールにワクワクする未来を」をテーマに、キリンビールのグループ会社「スプリング・バレー・ブルワリー」によって代官山ログロード内にSVB TOKYOがオープンした。開業後2年間で50万人が来場した。現在ウィリアム・コープランに縁のある横浜でも開業している。朝8時から営業しているビアタバーン(タバーンは酒場)で年間40種類のビールを造っている2017年秋には京都での開業も目指している。SVBのブランドデザインは「旅するブルワリー」である、そのデザイン展開は“カルチャーコラージュ”をテーマとし店舗空間では醸造しているところをシースルータンクで視覚体験できたり、ビールをカスタマイズできる高機能サーバーを備えていたりしてそれらをビア・アンバサダーが解説してくれる。それぞれのビールに合わせた料理も用意されていてビールとフードのペアリングが体験できる。CLUB SVBではコアアイテムの限定販売など仲間たちと一緒にビール文化を創っていく姿勢をつらぬき、歴史に根差して未来を志向している。キリンビールの歴史と伝統と技術は極めて多くの種類の原料や酵母の蓄積があること。ここでも真の多様性は自社ブランドだけでは創れないと山本氏は考える。クラフトビールの個性と味わいは勝ち負けではなく醸造家とその共感者である仲間が集う場で形成されていくと山本氏は語る。毎年10月にはFRESH HOP FESTが開催され国内の主要なブルワリーが集い、それらの多様性を互いに認めて醸成させていく場を持続させている。このように継続して日常化されていくことが大切だという。儲けだけではなく、楽しくないとだめでまず需要創造が先で効率の悪いことも無理してやってみるということだ。

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Less is more from Yes is more!

今回のお話に関係付けたいこととして「イエス・イズ・モア」がある。これは建築家ビャルケ・インゲルス率いる建築家集団BIG(コペンハーゲンとニューヨークで400人が働く)のスローガンである。このスローガンは建築に対するインクルーシブなアプローチの仕方を表現したものである。建築とは「適応のアート」であるべきである。アバンギャルド的な革命的な態度というのは「反体制」「反既存スタイル」が典型的な常套句であるが、これに対して「過激にインクルーシブ」にすることで、革新や発見の確立を上げようというのがBIGの態度である。だから、単に一つの条件や要求に対して「イエス」と答えるだけでなく、複数の、しかも対立するような要求に対しても何とかしてすべて「イエス」と答えようということ。「イエスと言うことで可能性が広がる」(Yes is more.)ということだ。そうすると、スタンダードな既存の解決方法というものは全く役に立たなくなる。全ての条件や要求には答えられないからで、そこから全く新しいデザインというものが半ば強制的に生まれてくることになる。全てに対して「イエス」と言うことで、結果的にもっとたくさんのことをしなければならなくなるからだ。「制約」こそクリエイティビティの基ということだ。山本氏がクラフトビールの醸造家から学んだことの一つにも「やらない領域を決める。」ということがある。

 

結びとして「共感する力」

 

人間の存在は浜の真砂の一粒のように、限りなく小さく限りなく軽い、たいして意味のないものだというのはかくしようの無い事実なのだ。人は誰しも、日々薄氷を踏むようにして生きており、それがいかに危うい生であるかを知らずにいる。複雑で多様で、ある意味非常なこの世の中で生き延びていくためには、多少のエゴとか愚かさも必要である。情報が加速度的に増加し、人々に時間が無くなり、何事も効率が良くなってくると、ますます個人の存在が軽くなる。無駄な時間を使うことが圧倒的に減るので、「無駄な時間を使った分だけ、その対象が自分にとってとても重要になるんだ」(サン・テグジュベリ)というようなアタッチメント(愛着)の感覚がはぐくまれにくいからだ。それでもわれわれには「共感する力」というものが備わっていて、それによって個人ではなしえなかったことを、次々と達成してきた。波長の合う人や、様々な記憶を共有する人たちにとっては、ある砂の一粒が他の砂粒より輝いて見えるというのも事実であって、人間である限り人と人とのつながりが誰にとっても重要であるなら、一粒の輝きは限りなく小さいが、それが見える周りの人たちにとって、かけがえなき輝きで在るに違いない。

最後にもう一つ、

「目の前にある現実を鵜呑みにせず、ごくありきたりになってしまった物のあり方をもう一度批判的に見直し、そうでない物事のあり方を探す。」<アッキレ・カスティリオーニ>
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