5月の定例会でお話しいただいた塩崎氏は、ファッションメーカーのムーンバットから京都で100年以上続く老舗の履物店に転職され今日いたるわけですが、履物をすげる職人さんが常駐し平均年齢50代という職場風土の中で20代の企画職に対する風あたりの強さは察してあまりあります。ましてや1975年のピーク時の2兆円から比べて売り上げが15%減という縮小していく和装市場での転職は想像以上の困難を伴うものであったと思います。


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事業の始まりは東京の竺仙という会社とコラボした「ゆかたに合わせる下駄」が日本橋三越に認められ、和装に合うアイテムを基本とたファッションブランドの確立を目指すが、塩崎氏は失敗だという。(着物=ファッションの一種、ぞうりバッグ=ファッションアイテム、2005年5月カランコロンブランドを立ち上げる)

ブランドの転換をはかる中で、着物の多彩な素材や柄、生地とぞうりバッグを伝統地場産業の技としてオリジナルテキスタイルを使ったアイテムを京都雑貨ブランドとして始動させた。
2006年新宿ミロード出店を皮切りにファッションを中心としたSCに出店を拡大、ブランディングデザインでは自らもディーブロスを運営するドラフトの宮田氏と出会いブランドを拡大していった。
ファッションブランドとして失敗し、京都雑貨ブランドとして全国に拡大する中で、再びファッションとして消費されていくブランドの現実のなかで、京都ブランドとして再度輝きを取り戻すには京都ならではの老舗の技と職人達の生産現場が息づく京都の地へとブランドが回帰していくのは必然であった。

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あまたあるマーケティングの基本戦略を駆使するだけでは真の京都ブランドにはなれない。
京都の人と物と文化が歯車のように力強くかみ合い駆動するイメージを塩崎氏は力強く語った。
オリジナルで昔から変わらないことをしていても古臭くない、自信に満ち溢れた京都、ここ10年の買いたいものを自分で見出すという消費者マインドの変化をとらえながらスーベニールは京都の土地に根差して消費者の生活レベルの向上を目指し 真の京都ブランドを発信し続ける。
京都の地霊(ゲニウスロキ)と応答を繰り返しながら塩崎氏は京都ブランドのブランディングを力強く推進している。いいお話でした。

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