「くいだおれ太郎」の太郎カンパニーはなにわのディズニーでした。

昨日はMCEI大阪支部の9月定例会でした。
会場は毎年この時期にお借りしている三洋電機の本社ビル

今月の講師は昨年秋に立ち上げられた「太郎カンパニー」の
代表取締役社長の柿木 央久(かきのき てるひさ)さん
あの「くいだおれ太郎」のキャラクター作りを仕掛ける社長さんです。

今期から理事に就任してもらっている某FM局のエライさんのご紹介です。
ぼくは初めてお会いするので事前にネット検索で調べてみました。
ぼくより20歳お若い42歳で国立大学の卒論のテーマはボサノバだったとか


あの「くいだおれ太郎」の付添としていつもおられる女将さんの息子さん。
講演は先々代の創業者が1949年に道頓堀に
「大阪名物くいだおれ」を開業してところから始まりました。

当時の写真をいろいろ見せていただきながら終戦後の
ベビーブーマーが生まれてくる中で「これからは子供の時代や」と考え、
文楽人形からヒントを得たからくり人形を造りお店の前に置きました。

それからは赤・白縦じまのコスチュームの製作や
大阪万博への出店で店頭での設置にまつわるひと悶着や
道頓堀の店頭風刺イベントの開催などなどを見せていただきました。

そして先々代の遺言の「人形を絶対なくしてはあかん!
人形があったから今がある」を守り、後を継いだ先代が
人形をさらにより成長させるために意思表示の吹き出しをつけます。

関空が完成したときにはその一番機に搭乗してオーストラリアへ。
パスポートや搭乗者名簿のために「くいだおれ人形」に命名します。
初めてついたその名は「くいだおれ太郎」でした。

その後も「おでかけ太郎」は野茂の応援にロサンゼルスに行き
なみはや国体の開会式や2年前の世界陸上の開会式にも出席します。
しかし昨年の春に「大阪名物くいだおれ」は閉店に。

それでも「くいだおれ太郎」は消えるどころか
ますますタレントとしての活躍の場をつくり
九州の温泉や東京へ進出していきます。

そして昨年秋に「くいだおれ太郎プロジェクト」がスタートします。
一連の「くいだおれ太郎」のタレントとしての
すべてのキャラクターコントロールを掌るのが
太郎カンパニー社長の柿木さんです。

これからの「くいだおれ太郎プロジェクト」は
大きく分けて二つの方向が考えられます。
太郎のキャラクターをめぐっての各業界サプライヤーとの
商品化契約と宣伝契約です。

それはまさにディズニーが世界各地で
展開しているビジネスモデルです。
キャラクタービジネスには新製品はありません。

毎年毎年生まれてくる新製品のキャラクターはありません。
ミッキーを乗り越える新製品は存在しないのです。
「くいだおれ太郎」は永遠に「くいだおれ太郎」です。

ですから昨年比300%なんていう瞬間沸騰のビジネスはできません。
50年前に生まれ出た「くいだおれ太郎」というキャラクターを
ゆっくりゆっくり成長させていくのです。

今年のMCEI大阪支部の年間テーマは「関西元気印」です。
まさに昨日の講演はそのテーマ「関西元気印」そのものでした。
来月のMCEI大阪支部の定例会は10月8日です。